朝の路地で感じる故郷
私はベトナムのホーチミン市というところに生まれ育ちしました。
ホーチミン市というのはベトナムの首都ではありませんが(ベトナムの首都はハノイ)、日本でいう東京のような大都市です。
朝の時間
ホーチミン市は一番大きい経済都市で、人口密度が多いため家同士が隣り合っていながら、家の中と道路が玄関のドア一つで繋がっています。
そして朝になるとどこかから聞こえる鶏の鳴き声で目覚め、みんなが玄関を開けます。
外に出れば近所の人に「おはよう?今日も学校がんばってね」とあいさつされ、仕事へ行く人、学校へ行く人、朝の体操をする人、市場に出かける人、朝のひと時を楽しむ人。
みんながせわしく動き出す朝は、さっきまで寝ていた子供のわたしにとってまるで別世界のように感じていました。
そして親に学校まで送られながら眺める街の景色は、まるで私に「今日もきっと楽しい日になるよ」と言っているように感じて私はこの「朝の時間」がすごく好きでした。
そして日本で暮らすようになると、いつのまにかその時間を忘れていた。
朝起きて、着替えて、ご飯を食べて、学校にいく。そんな日常に追われているといつのまにか子供の頃に感じていた朝の時間を感じなくなった。
私の住んでいる場所は駅から遠いため、通勤通学時間は人それぞれで朝にあまり人と会いません。近所づきあいの機会も少ない。
先日、課題をやるため大学の最寄駅に住んでる友達の家に泊まりました。
そして学校を行くため、着替えて家を出て、バスに乗るため友達と一緒に駅へ歩いて行きました。
駅までの道の路地では、たくさんのお店が開店準備し、駅へ向かって歩く人々、自転車をこぐ人。
その時、私は小さい頃に感じていた「朝の時間」を思い出してなんだか懐かしくなって泣きそうになった。
大人になって世界が広がっていても、子供のようにその世界を楽しめてないような気がした。