『ワルツ〜カミーユ・クローデルに捧ぐ〜第二章』 公演 ④
ロダンが亡くなったことを知らされることもなく、
時が経ち、
カミーユも、その人生に幕を閉じる。
トライアウトの時は、
カミーユが纏っていた「黒い衣装」が、
彼女の、ままならない人生の「影」のようであり、
精神病院での30年間という時間の重みと相まって、
とにかく切なすぎた。
そして、あの哀しくも美しい音楽に心が揺れ、
最後にステージに映し出された、
カミーユの憂いを帯びた顔を見たら、
私は泣いていた。
でも、今回は、全く違った。
中央に展示された白い衣装が、
精神病院の窓から差し込んでいた光のようであり、
カミーユが失うことのなかった心の中の光でもあり、
彼女が天国に召された時の、神々しい光のようでもあった。
また、
その後の、修道女の女性の人生を照らす光のようにも感じた。
黒(闇)から白(光)へ、
演出している宮本さんが、
これほどまで大胆に、表現方法を変えていたことに驚きつつ、
不思議な安堵感のような余韻に浸りながら会場を出ると、
宮本さん本人が、お客様を見送られていた。
友人に声をかけていたので、
私も図々しく、少しお話をさせて頂いた。
印象的だったのが、
「自分の想像でしかないけど、精神病院での生活は、
辛いことだけだけではなかったと思う」と仰った。
「想像でしかない」ことを、
あのような説得力の有るセリフ(言葉)に表現することは、
とてもとても勇気のあることだと思う。
今も、あの日の余韻に浸り、
カミーユが制作した彫刻の写真を眺めながら、
こんな妄想をした。
この舞台を創り上げるなかで、
宮本さんが、カミーユのことを、
深く深く考え、想いをはせた時、
一瞬「何か」がカミーユの魂と繋がったのではないかと。
「想像」とは言うものの、
実は、カミーユが語りたかったことを、
宮本さんは、直感のようなもので捉えたのではないか・・・と。
勝手に、そうだと確信したら、
あの「セリフの力強さ」と「説得力」にも頷ける。
それから、
演者の集中力、音楽の力も、凄かった。
生演奏ではなかったが、
情景や、心情が、空間に広がり、
観ている者に、イマジネーションを与えてくれる。
歌い手の方も、
カミーユの魂を、
入魂の歌声で、空気を震わせ、
観客に伝えて(届けて)いた。
本当に、心に響く歌声だった。
「カミーユのワルツ」と「MITASORA」を聴くと、
これまで感じたこともない、言いようのない気持ちになる。
今、この瞬間も、曲が頭の中で奏でられていて、
ここではない、どこかへ誘われているかのようだ。
※これで、この舞台を観劇した経緯と感想は終わり。
私は、なぜ、この「ワルツ」から、
自分の人生が、大きく影響を受けてしまったのか、
そのことについて、考えてみたい。
そして、やはり、宮本さんに、
なぜ、
カミーユの激動の時代ではなく、
精神病院での30年を描こうとしたのかを伺ってみたい。
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