『ワルツ〜カミーユ・クローデルに捧ぐ〜第二章』 公演 ①
★「ワルツ〜カミーユ・クローデルに捧ぐ〜第二章」については、
こちらを参照下さい。
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昨年、友人から、
早稲田奉仕園スコットホールでの、
「ワルツ〜カミーユ・クローデルに捧ぐ〜第二章・トライアウト公演」の、お誘いを受けた。
公演日は、人気バンドのライブと重なっていて、
どうしようかと思案しながら、
YouTubeで、これまでのワルツの公演を見ていたら、
その音楽が美しかったことと、
何よりも「カミーユ・クローデル」の生き様に興味を持った。
ライブチケットのエントリーは躊躇なくキャンセルをして、
この「ワルツ」の舞台を見に行きたいと友人に伝えた。
当日、
ステージでは、ピアノ、バイオリン、チェロの演奏と、歌。
演者も、語り手も、
心臓の鼓動さえ聞こえてきそうな近距離で、
すべてが演じられる。
自ずと、こちらも、緊張感と集中力が最大限に機能していたと思う。
トライアウト公演で、
カミーユが身にまとっていた喪服のような黒い衣装は、
裾が影のように長く、
彼女の心の如く、フリルが波打っている。
それは時に、彼女を彩り、
時に、彼女から切り離せない暗く重い人生そのもののような衣装だった。
厳しい環境の精神病院では、
強迫観念に囚われ、
制作活動をすることもなく、
パリに帰ることも出来ず、
いったい、何を心の支えにしてカミーユが「生きていた」のか、
これらの苦しみから逃れるために、
なぜ、自ら「死」を選ばなかったのか、
頭で、理屈で、理解することは出来なかった。
ただ、
「MITASORA」のメロディと、
最後にステージに映し出された、
カミーユの顔を見たら、涙が出た。
(これはマスクが、上手いこと隠してくれた)
公演が終わり、
外に出ると、友人から、
「どうだった?」と聞かれた。
私は、「女の人生ってこういうもんだよね」と答えていた。
友人も、何を感じたのか教えてくれて、
それを聞いたら、涙が止まらなくなった。
人が行き交う、歩道を二人で歩きながら、
お互いの感想に、感想を言い合って、
結局、私は道の真ん中で、号泣していた。
友人は、本当は驚いただろうけど、
何も言わず、背中をポンポンと優しく叩いてくれていた。
お互いが「何を」感じたのかを、
文章にするのは難しい。
普段は、絶対に触れることのない、「強い闇」のようなもの、
誰も触れることの出来ない「孤独」のようなもの、
自分の中に「秘める」ことにしてしまったようなもの、
そういうものを、なんとなく、共有していたのかも知れない。