「あわゆき通信」第3号より一句鑑賞
只今、各コンビニの複合プリンターで出力していただける俳句ネプリ「あわゆき通信」第3号。今号は、昨秋開催の「第2回俳句コンテスト」受賞作家と主宰の私、4人による7句競詠の紙面となっております。
プリント方法などは、こちらの記事よりご確認ください。
鑑賞文も届いています。
今日は、私からも各作家さんの作品より1句鑑賞してみたいと思います。
「アイライン」 中野千秋 より
空つ風この地に生きる眉を描く
表題「アイライン」のとおり、お化粧をめぐる一連となっている。お化粧といっても「メイク」というお洒落で華やかな観点からではなく、メイクを通じて「どんなふうな自分になりたいか(なっていくか)」という視点から、作中人物像が浮かび上がってくる書き方であるところが面白く、心惹かれる。
空っ風吹く北関東に生きる作者。「この地に生きる眉」は、果たしてどんなふうに描き上がったのだろう。向かい風にも追い風にもびくともしない、きりっとした表情、「肝っ玉」な内面が浮かんでくる。
「不在」 山田すずめ より
線路図がうなぎのやうで春を待つ
連作にいつも「意味深」なタイトルを付けてくる作者。句の中のフレーズからではなく、全体を通底するテーマの「謎解き」となるキーワードを置いているのだろう。
今回は「不在」。そこにいた何か、誰かが消えたり、失くしたり、ここにない何かを思ったり。思ったりするけれど、俳句だからモノに託して、気持ちは沈殿して溶かしてしまっているのだ。
そんな連作の中の最後に置かれた掲句は、比較的「思い」がわかりやすく浮上している。「うなぎのやう」が楽しく明るくて、線路図がにょろと動き出しそうな不思議な「異界感」を醸し出していて、待ちわびる気持ちと共鳴していくようだ。
「氷下魚干す」 祐 より
訳ありの女と笑ふ葛湯かな
コンテストの受賞作「雪女」を思わせるような句。「訳ありの女」が登場してくると、さまざまな想像(妄想?)が掻き立てられるが、最後に「葛湯かな」という展開で終わるので、どこか悟り合った絆のあたたかさを感じさせる一句となっている。
「訳あり」は進行形ではなく、過去形なのかもしれない。酸いも甘いも嚙み分けてきた妙齢の男女が交わす微笑み。読み手それぞれに、物語を広げられる魅力がある。
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