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【小説】私の明日はどっちだ?5-②
人生は無数に枝分かれした道でできている。どれほど真剣に選ぼうと迷いは消えず、こころはいつも霧の中…。
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あれ、緊張してないかも…
「鏡になれ」とニワカさんは言った。
急にそんなこと言われてもピンとこない。だいいち、人とどう接すればいいかなんて考えたこともない。仕事は仕事、だもの。
頭のなかでブツブツ言いながら、今日も始まっていく。
ここで暮らすお年寄りのご飯のお世話、レクリエーションの手伝い、備品の整理など、あっという間に時間が過ぎていく。新しいことを覚えるのに、とにかく必死だ。だけど、資格のない私でも、できることは山ほどあった。
「ただいまー」
みつ子さんとハルカが、散歩から帰ってきた。
ひざを悪くしているみつ子さんは、歩くのがゆっくりだ。ちょっとでも歩いたほうがいいというので、調子のいいときはできるだけ散歩に出るようにしているらしい。日中はさすがに出歩けないほど暑いが、夕方になると少しましになる。
「やっぱり、外に出ると気分が違うんだよね」
と、みつ子さんはニコニコしていた。
「今日はセミがいっぱい鳴いてたよ、ね、みつ子さん」
ハルカくんはそう言いながら額の汗をぬぐった。若いのによくできた青年だ。二十歳は過ぎていたような気がするけど、雰囲気がどこか落ち着いている。介護とかに興味があったんだろうか。
みつ子さんを部屋まで連れていき、戻ってきたハルカ君に、私は思わず声をかけた。
「ハルカくんて、こういうのすごく慣れてる感じだけど、もともとこういう仕事がしたかったの?」
「え、そんな風に見えますか」
「うん。なんか仕事でやってるって感じじゃなくて、ほんとの孫みたい。すごいなあと思って」
「全然そんなじゃないですよ。ここ来てるうちに何となく手伝うようになって話とかするようになって…」
「へえ。そうなんだ。資格とか取ったの?」
「あ、はい。この間、初任者研修やって…」
「初任者…?ふうん、そういうのあるんだ」
「ここにいるなら、あったほうがいいかなと思って。他にもいろいろやりたいことはあるんですけど」
「すごいね。着実にステップアップしてるって感じ。今からやってればすごいキャリアになりそう」
「キャリアなんてそんな。ほんと、そんなんじゃないです。薮田さんなんていろいろやってきたんじゃないですか?僕なんてまだまだ」
「私…。私はね。何にもないな。何にも。確かにいろんな仕事してきたけど、資格なんてないし。これが得意です!っていうのも何にもない。どうしてここに採用されたのかも全くわからない」
「でも、なんかすでに馴染んでますよ」
「そう!?そうなの?」
「って僕に言われても…」
ハルカくんは困ったような顔で、でもそんな会話をしつつも手では靴箱の砂を掃いていた。ぼさっとはしていない子なんだ。つられて私もテーブルを拭き始めた。
「ね、さっきここに来てるうちにって言ってたけど、バイトとか?」
「あ、違います、そうじゃなくて。ぷらぷら遊びに来てたんです」
「そうなんだ。でもさ、ハルカくん若いんだから仕事もいろいろあるでしょうに」
「うーん。前はやりたいこともあったんですけど。ここでいろんな人としゃべってたら、何やるかより、ただここにいたいなって思うようになって。どんな人とどこにいるかっていう方が、大事な気がしてきて…」
「で、今やハルカくんは、ここではなくてはならない存在というわけです」
有休をとっていたはずの琴音さんが、いつの間にか後ろに立っていた。いつから話を聞いていたんだろう。ちょっと恥ずかしい。
「琴音さん、今日お休みじゃなかったんですか?」
びっくりして私がたずねると、琴音さんは差し入れだよ、と言ってたい焼きの袋をテーブルの上に置いた。
「免許の更新に行った帰りにね、かき氷食べてきたの。そこで売ってたのがおいしいそうだったから、つい買って来ちゃった」
休みなのに職場に来るなんて。私ならきっちり休むのに。
「ハルカは若いけど、私は尊敬してるよ。相手が誰でも、同じように丁寧に接してくれる。貴重な人材だよ」
ハルカくんは、ますます困ったような顔をして部屋を出て行ってしまった。そして私は何をしているかと言えば、やだほんとにおいしいわ、これ…と思いながら、琴音さんとたい焼きを食べていた。