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未読の恋、既読の愛


小学生の時に好きな男の子がいた。

足が速くて、勉強ができて、皆んなの事を笑わせるのが得意な男の子だった。私はそんな彼に幼いながら恋をして、眠れない夜なんかあったりした。

そんな彼への恋が冷めたのは一瞬だった。

たしか図工の授業中、私の描いた絵に悪戯をした時だった。ただの(言い方が良くないけれど)男友達に同じことをされたとしても、笑って許せたのかもしれない。でもそれが好きな人だったというのが良くなかった。
私は、彼を好きじゃなくなった。

もっと言えば嫌いになってしまったのかもしれない。あの日から、その彼とは積極的に話す事を辞めてしまった。


それから先も、私は恋をしてはその相手の嫌なところを見つけて好きじゃなくなってしまう事が何度かあった。単純な片想いなら好きでいるのを辞めればよかったけれど、お付き合いをするような年齢になってからはそれだけじゃ済まなかった。

お別れをしなきゃいけない。

たとえ相手の嫌なところを見つけて気持ちが冷めてしまっても、交際していた相手と離れるというのは私にとって「悲しさ」と直結する行為だった。

それを経験すると、徐々にわかって来る。
相手の嫌な部分を見ないようにすれば良いのだと。嫌な部分から目を背ければ、目の前にいるのは私の好きな彼だった。


LINEで言えば、嫌な部分のメッセージを読まずに未読するみたいに。読まなければ分からないし、嫌いになったり冷めたりすることもない。未読のまま放置すれば、ずっと相手を好きでいられる!

そんな浅はかな考えをしていた。
でもその未読のメッセージが徐々に気になってしまって、既読をつけて、またいつものパターンに戻ってきてしまう。そういう恋をしていた。


そんな恋を繰り返した私が、ようやく辿り着きそうなのがタイトルにもある『既読の愛』である。

嫌な部分を受け取って既読をつけても、「ああそれも彼の一部なんだ」と受け入れられるようになった。(もちろん許せない事もあるけれど)

「だから好き」ではなく「でも好き」が本当の好き

どこかでそういう言葉を聞いた事がある。良い部分を見て好きだと思うのは当たり前だけれど、悪い部分を見つけてもやはり好きだと思えるのは、愛なんじゃないかなと。
この言葉の意味が理解できるのは、きっと絶対今だからなんだと思う。

未読の恋と、既読の愛について。

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