タロット小説【塔と節制】
「…彼、ずるいのわかってるんですけどわたし…あきらめたくなくて…
でも…友達に話すときっと…不倫はやめとけっていうに決まってるから…」
女性は困った顔つきでうつむき加減にぽつぽつと話しはじめた
だが言葉は途切れることなく水があふれ出すように
出会いから今までの経緯の話が続く
わたしは口を挟まず静かに相槌をうちながら話を聞いていたのだが…
彼女はどこか…嬉しそうなのだ
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街角で鑑定し始めて一番多く相談に来られる内容が不倫だ
不倫というのは潔癖症の世間では<悪>と分類される
わたしから言わせてもらえれば不倫とは<時と場合による選択>だと考える
人を好きになるのに規則正しさは通用しない
だがその当人たちの大人さ加減は大いにかかわってくる
どうしようもない気持ちにどう折り合いをつけていくのか
最終的に何を選ぶのか
それは当人たちが選択すること
規則正しいラインを越えていく人たちをいままでみてきて
わたしが感じ取ってきたことだ
彼とは本社のパーティーで知り合ったらしい
趣味もあい意気投合して話し込むうちに、なんと同じ中学校出身だとわかり話がはずんだ
仕事の相談もするようになり何回か二人して食事や飲みに出かける仲に
「特にハンサムなわけじゃあないんです…私の好みでもないし(笑)でも…」
彼のしぐさや言葉の端々に放っておけない妙に母性本能をくすぐる何かが、あるらしいのだ
それを知ってか知らずか彼は、自分に甘えてきては夜を過ごすことになるのだと
欲というものはあまりにもたくさん、そして簡単にこの世にあふれている
安い駆け引きを永遠に繰り返し愛と誤魔化し続けてきたものもいれば
男女の思惑の差から片方が絶望の淵に追い詰められたものもいる
しかし中には、何十年と時を真摯に積み重ね本物の愛に育て築いていった
ものもいる
オモイとは本当にひとの数だけ形がある
とはいえわたしは簡単に不倫を推奨しているわけでもない
始まりはどんな形であれ、問題は明日からの道筋だ
彼女の話によると、
その彼は既婚者にもかかわらず結構社内でモテているという噂があるそうだ
彼の人となりを聞く限りでは、なかなかな人たらしというか天然というか勝手というか…
だが彼は自分を選んで訪ねて来てくれる
独り占めできている優越感を手放せないでいるようだ
なるほど…
モテる男を独り占めできるというのは、同じ女としてこれほどの特権はないと理解できる
充分に堪能するといい
が、しかし
終わりは必ず訪れる
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『一枚めのカード 塔』
「自分自身を構築し守ってきた鎧は雷によって壊されます
今までの自分が持っていたプライドも常識も思考も壊される
無防備に真っ裸で外に放りだされるようなものです
これは人間の力ではどうにもならず抗うことはできません」
彼女は静かに私の言葉をきき、小さく“ああ”と声を漏らした
テーブルのアロマキャンドルの炎がゆらゆらと影を作る
驚いてはいない
納得なのか落胆なのかは読み取れない
素直に受け取るとかでもなく
感情を少し横に置いてきた“ああ”だった
順風満帆ではないこの恋にとっては驚くことではないのかもしれない
話の内容からして
おそらく彼は口先だけで本気で離婚など考えてはいないのだろう
都合よく甘える場所がほしかったのだと思う
だが女はそんなに馬鹿じゃない
例えば
夫の帰宅を出迎えた時
ふっと0.3秒瞳がゆらいだだけで夫の隠し事は見抜けるものなのだ
女性は妻となり母となったときそういう生き物に生まれ変わる
小さな命を育て、生活を守らなければならない「これから母親として成長していく」動物的感は鋭いのだ
「父親として共に育つ」つもりのない男の不穏な所作など簡単に見抜けてしまう
それに結婚という契約はたかが一枚の紙きれなのだが、その効力はけっこう強力なものでもある
彼女もどこかでそういうことはきちんと嗅ぎ取っている賢さは持っているようだ
が、
身体が、心が、
彼を離したくないのだろう
無理に手放さなくてもいい、いつか終わりが来る時まで…
だが、彼女が泣き寝入りする必要もない
二枚目のカードに描かれている天使のうしろに続く道を見ながらわたしは思った
「どうしたいですか」
わたしはきいてみた
一般的に言われる出産適齢期の年齢を過ぎようとしている彼女は
自分の仕事と彼をとると言い切った
未来はどうあれ、気持ちは止められないとそう決めているのなら…
多少人生を経験しているだろう彼女にわたしは
女磨きを提案してみた
この恋を自分の脱皮としていきましょう
と
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『二枚めのカード 節制』
「善いものも悪いものも混ざり合ってあなたのこれからが作られていきます
どんなことがあるのかはわかりません、ただ言えることは自分が受け入れようと受け入れまいと関係なく今までになかった異質なものがこれからの人生に交じり合ってきます
自分の思い通りにならないことも混ざっていく
これは経験していくたびに徐々にわかってくることでしょう
あなたは仕事と彼を取るとおっしゃいました
だからこそのお話をしますね」
現時点で私があなたに言えることは
彼を(悪い言い方ですけれど)踏み台にして自分の女としての生き方を磨くために利用させてもらいましょう
さらに深みのあるいい女になるために
そして
一つだけ気を付けてほしいことは
決してお母さんにはならないでください
かいがいしく世話は焼かないこと
いくら彼が甘えてきたところで彼には帰る場所がある
いっときの夢の世界を求めているのかもしれない彼にあわせて生きる必要はありません
夢の立場ではなく対等な立場として存在するべき
伝えるべき大事なことははっきりと伝えていくことも必要です
そうやって彼を通して男のずるさや甘さをしっかり観察していくこと
同時に自分の許容量や本音も現実とすり合わせて見極めること
両目をしっかり開けて愛しぬく
そしてもしこの先別れが来たとしても
とことん愛しぬいたなら、もういいやって思えるから
きちんと心を離して別れることができますから
…エンディングはあなたが決めることです
実行するには相当きついことを言っているのはわかっている
ただ、今の中途半端に燃え上がっている状態で無理やり別れても
その近い距離間ではずるずると続けてしまうのは目に見えている
そりゃあ男が離婚して彼女と一緒になれるのならそういう道を選べばいいが…
わたしは彼女の中に感じられる芯の強さに賭けてみた
いくらアドバイスをしてみたところで
道を選ぶのは本人だ
わたしは今のこの時点での道路標識を掲げるだけ
わたしの話がどこまで伝わったかわからないが
心ゆくまで話し終えた彼女は少しだけすっきりした顔で夜の雑踏に消えていった
彼女のうしろ姿を見送りながら何日か前にきたお客さんのことを思い出していた
まだまだわかい二十歳のあのお客さんには話さなかった内容だな
その子は、不倫は嫌だとはっきり言った
既婚者でありながらふらふらとアプローチしてくる男に対して
いくらドタイプでも感性が合ってドストライクでも不倫は嫌だと思っているのなら
はっきり意思を伝えなさいと勧めた
時間がもったいないと
その時は「正義」がでたんだっけ
たしか仕事、恋愛、生活の、天秤の掛け方を話したんだ
嫌だという気持ちを友達にも手伝ってもらってはっきりさせると決めて帰ったが
しんどいだろうなあ
泣くだろうなあ
自分の気持ちの折合いをつけていくのは大変だろうなあ
夜はすっかり深くなっていて今夜も月が煌々と輝いていた
どなたさまもいってらっしゃい
この先に幸多からんことを