#37 死へのカウントダウン
死について、考えたことはあるだろうか。
死んだら無になるとか、なにか違うものに生まれ変わるとか、真実を証明できないだけに、いろんな説が飛び交っている。
月猫は死んだら無になる、という考え方を支持してはいるのだが、一方で、「死んだ瞬間に数グラムだけ体重が軽くなる」という通説から、無になるとはいえ、なにか「魂」とよぶにふさわしいナニカが、この体には宿っているのだとも思っている。
さて、死について考えると、果たして自分は何歳まで生きることになるのだろうか、という考えに至る。
生きているのが偶然か必然か。
生かされているのか生きているのか。
そんな話にも展開していきたいところだが、今回は上記の問い、「寿命」について少し考察してみたい。
(注:考察とかいってみたいだけで、単なる月猫の興味のままに書く駄文であるw)
まずは寿命とは、というところで引用してみた。
何事も初心に返るのは重要ですからな。
そう、寿命。
短命の人もいれば、長寿のひともいる。
これは、偶発的な事故などを除けば、ひとりひとり決まっているのだろうか。
こんな話を聞いたことはないだろうか。
「体の大きいゾウは長生きするが、体の小さいネズミは短命である」
これは、1992年に発売されてベストセラーとなった「ゾウの時間 ネズミの時間」(本川達夫、中公文庫)という本の中にでてくる一説だ。
ここでは「哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は20億回打つ」という計算が紹介されている。
ここから、同じ哺乳類の「人間の寿命も心拍数20億回」説が広まったといえるだろう。
ちなみにこのことはWikipedia博士も取り上げている。
つまりはこんな公式。
寿命(分)=20億拍÷心拍数/分
もしこの説がおおむね正しいとするならば、我々は生まれたときから、決まった回数しか脈拍を打てない=毎日の脈拍は死へのカウントダウンということになってしまう。
こんな式があるならば、もちろん自分はどうだろうかと計算したくなるのが人間というもの。
自分の心拍数を図ったことは誰しもあるだろう。
病院にいって血圧を測ればついでにはかってもらえるし、毎年の健康診断でもチェックされている。
最近のスマートウォッチと言われる腕時計では、常時心拍を計測することも可能なので、日々見ているという人も多いのではないだろうか。
わたしは最近購入したGショックにその機能があり、自分がとても脈拍が少ないことに驚いていたところだった。
そう、平均値で40回/分。
ちなみに、人間の成人の安静時の心拍数は、平均で1分間に60~70回。
なので月猫は通常の人よりかなりゆっくりな脈拍だ。
調べてみると、「徐脈」という種類に分類されるらしい。
なにはともあれ、早速計算してみた。
ついでにパートナーのも計算してみる。
心拍数40回/分のわたしの寿命は95.1歳。
心拍数90回/分の旦那の寿命は42.3歳。
なんだと。
わたしそんなに長生きしたくないんですけど。
てかパートナーの寿命予測が恐ろしすぎでしょ!!w
ちなみに、ハツカネズミの心拍数は1分間に約600~700回で寿命は2~3年、ネコの心拍数は1分間に約120~180回で寿命は約10~15年、ゾウの心拍数は1分間に約30回で寿命は約70~80年と言われている。
人間にもこの考え方を当てはめて、1分間の心拍数を平均70回/分、総心拍数20億回として計算すると、54.3年とだいたい終戦直後ぐらいの日本人の平均寿命に該当するため、生物学的な人間本来の寿命は、生まれてからの総心拍数によってある程度は決まってくるというこの説はおおむね正しいといえるのかもしれない。
なお、2020年の日本人の平均寿命は男性で81.6歳、女性で87.7歳。1分間の心拍数を平均70回/分として換算すると、総心拍数は30億回。
栄養状態や衛生環境、医療の進歩など、様々な寿命に影響を与える因子が改善されたことが原因として考えられる。
なので現代では人間の寿命は心拍20億回説ではなく、30億回説として読み替えた方が適切かもしれないことがうかがえる。
(それで計算すると月猫は恐ろしい寿命になるがw)
一概に心拍数だけで寿命を語れないことはもちろん当然の話だが、心拍数に一定の限界があるという話は眉唾ではないようにも思えてしまう。
そう、今こうしてこの駄文を読んでいるだけでも、あなたは刻々と脈を打ち、死へのカウントダウンは続いている。
人間はいつか必ず死ぬ。
それがいつになるかは神のみぞ知る。
もちろん、寿命というものが本当に存在していても、それを全うできるのはごくわずかの存在だけだ。
いつなんどき、死は訪れてもおかしくない。
今生きているこの時を大切に。
今を大事に生きたいと改めて思う月猫でした。