そっちはゴールではありません
見事な作品を作ったアーティスト
素晴らしい曲を作ったミュージシャン
すごい業績を残したスポーツ選手、冒険家
革新的な発見をした研究家、発明家
その中にたまにこんな事を言う人がいたりします
「私がやったというより
誰かにやらされていました」
「自分ではない何かに助けてもらいました」
「ただ頭にすーと浮かびました」
「最初から完成形が見えていたので
肉付けしていっただけです」
「苦労して自分が作り上げたというより
どこかからひょいと借りてきた感じです」
しかしインタビュアーという
頭の悪いハイエナみたいな人たちは
こういう答えでは納得してくれません
どのくらい大変だったか
どこに一番苦労したか
しつこくしつこく聞き出そうとしてきます
そんな取材に
対応する側も感化されてしまい
「私はすごい苦労をして これをやりとげた」
頭の中がそんな感じに固まってしまい
すごいことが以前のように簡単にできなくなる
時間をかけて苦労して苦労して悩んで悩んで
迷って迷ってなんとか形にできる
そしてそのほうがファンや支援者に
ウケが良かったりするし
弟子や生徒を指導するにも都合がいい
あなたがマイペースで
仕事をスイスイこなしていたり
自分流の工夫で何かを創作したりしていると
「どうしたら上手くいきますか?」
「いつも心がけてる事は何ですか?」
「何が大変ですか?」
「一番苦労したのはどこですか?」
誰かにこう質問されます
その時の対応が
ある種のワナとでもいうか
そこに深い落とし穴があるんです
みんなはあなたの努力、苦労、負担、犠牲を
知ると感動してくれます
賞賛してくれます
尊敬してくれます
どれだけ頑張ったかどれだけ辛かったかを
話せば話すほど喜ばれます
これが批判とか反発とか嫉妬、やっかみなら
あなたも対抗できるのですが
賞賛や尊敬はつい無抵抗に受け入れてしまいます
そしてあなたは自分がなにかすごい事を
やりとげたと勘違いします
自分がなにかすごい人間になったと勘違いします
そして偉そうに自分の信念や
成功するための秘訣を
人に語り出すようになります
この勘違いが甘い蜜の味なんです
それはそれは恐ろしいほど甘い甘い蜜の味です
「謙遜を忘れず驕るな」とか
「すごい事をしても威張るな」
という話ではありません
「多くの人に感心され称賛され
人を教える人間、人を導く人間」に
なってしまうと
それまでスパスパできた事が
「苦労して苦心する大変な事」になる
そしてあなたの苦労と苦心を人が褒めてくれる
あなたの苦労と苦心を習いたいと人が集まる
あなたが抜け出せない、抜け出したくない
輪がそこに完成します
この輪がさらに経済的安定につながると
あなたは自分の状況を「成功」と考えてしまいます
世の中はそんな「成功者」と
「成功に憧れる人」
「成功を目指して頑張る人」でいっぱいです
多くの人がこの輪にはまってしまう原因の一つは
学校で教えられた
執拗に執念深く骨の髄にまで叩き込まれてしまった
「辛い困難を乗り越えることで人は成長できる」
というとんでもない間違いにあります
私たちが目にする本マンガ映画ドラマのほとんどが
この間違いの後押しをしているので
本当に始末が悪いです
輪から抜け出すために
「頑張らない 肩の力を抜いて生きる」
という姿勢は
間違ってはいないといえばいないのですが
この言葉をまた額に入れて飾って
大事にしがちなんです
それをやってしまうとすべて台無しです
「リラックスしろ」と怒鳴るコーチと同じです
「頑張らないことを頑張る」という
笑い話のようなちぐはぐさです
言葉で説明するのは難しいのですが
もっと自然にもっとあたりまえに
気がついたらそもそも輪なんてあったかな?
みたいなそんな感じです
そこはほら
なんにもひっかからずに
するっと抜けてほしいのです
するっと抜けられるんです