反抗期というレッテル貼りの持つ暴力性
両親曰く、私は現在反抗期らしい
辞書を引くと、”子供が幼少期と青年初期とに親や周囲の人に反抗的になる時期”(新明解国語辞典 第七版)と書いてある。
私はこれに当てはまらない。反抗期だと言われたことに反抗しているから反抗期になると言われればそうかもしれないが、反抗していないのに反抗期と言われたら反抗せざるを得ない。両親が反抗期としておいた方が都合が良いと考えて反抗するよう仕組んだ罠かもしれない。(そんなことはないと思うけど)
私は、懐疑的になっているだけで反抗的ではない。親に言われたからという理由で反抗することなどなく、親という要素を取り除き、残された言葉の意味やその正当性を考えている。その結果として疑問や反論が出てきたからそれを伝えているだけで反抗したいからではなく、考えたから言葉がでた。この順番を逆にしないでもらいたい
ある意見に反抗期とレッテルを貼ることでその意見は、意見の中身に新たに反抗期という情報が付いて回るようになる。こうすることで、「反抗期だから~」と聞くに値しない意見かのように扱われてしまう。実際にそうされた経験がある。
大人からしたら聞くに値しない言葉かもしれない。だが、聞くに値しないと感じたのはどうしてか自問自答してほしい。少し変わった意見だとしても先に年齢などの時期から反抗期というフィルタを通さなければ反抗期に見えないはずだ。純粋に意見の中身を取り出す作業をすべきで、反抗期だと決めつけることを先にやったならそれを意識的に取り外さなければいけない。
これができない人は、誰が言ったかで中身の善し悪しを決める。
権威のある人が言ったから、有名人が言ったから善いものなのか。そうではないことを多くの人が直感的に確信している。
本当に反抗期なのか見つめなおてほしい。ただ一蹴するだけの言葉になっていないか、
もしそうならそれは思考を奪う言葉
何を言っても反抗期特有のものだと一蹴されてしまったら考える楽しさがなくなる
自分の親はめんどくさがってあまり聞いてくれないからそれをインターネット空間に放つ笑
こうやって文章書くのはいい気晴らしになるね
自分の考えもまとまってくるし、新たな発見もある
この感覚を大事にしていきたい