日記310:「ミラン・ケストレルのフレグランスを買う」
買った。
数時間前、注文していたミラン・ケストレルのにじさんじフレグランスが届いた。
私はフレグランスとか香水とか(この間に違いはあるのだろうか?それすらも知らない)、あるいはお香だとか、なんなら花にすらも触れる機会が人生においてあんまりなかった。強いて言うなら母の浮気相手が極めて甘ったるい香水のにおいをさせていたな、という微妙な記憶があるくらいである。
フレグランスの箱を開けてみると、中には瓶、それとノートの詳細と手書きメッセージが書かれたカードが入っていた。
オタクというのは謎に博識なもので、まあ、この程度であれば博識もくそったれもないのだろうけれど…香りものに縁のなかった私だが、こういうものは手首の内側につけるとかということを知っていた。それが果たして正しい知識なのかはいまいち定かではないけれど、とりあえずシュッと1発やってみた。律儀に定規で数cm測り、肌から離して。
ふむ、と思った。なかなかどうしてフレッシュな香りである。これがオリエンタルな香りというのだなあ、と学びを得た。
続いてノートを確認する。なお、すでにメッセージは読まれている。ノートの内容は注文ページですでに見ていたのだけれど、手元に直にある文を読むというのは読書好きにとりデカい感動がある。
で、読むと、果たしてノートとはなんだろうかという疑問が浮かんだ。オタクというのは勘のいい人間で、なんとなく香りの香る順序みたいなものだろうかという予測を立てていたので、調べてみるとそんな感じの(アバウトである)知識が手に入ったのでホクホクした。
香水というのはいい文化だなと思う。
つい先程まで部屋で足踏みをするという、なかなか地味だがなかなか効果のある、または疲労のある運動をしていたのだけれど、ふっと動くといい香りが身の回りに舞い、また動くといい香りが、また動くと…という流れがどうも心地よくなり、私にしては長めの有酸素運動を達成できたわけだった。
それとは別に、今日インターネットを見ていると、某ショップの香水の宣伝が出てきたのを見た。これはたぶんにじさんじフレグランスを見たことで関連の広告が出たのだろうか、財布と相談し、これから香水というものにより触れてみるのも楽しいかもしれないなあと思うなどした。
いつもありがとう、ミラン・ケストレル。