【つながる旅行記#151】太宰府天満宮で牛を眺める
前回は博多駅前が崩落し、シンゴジラを見た。
なんだかこんな書き方だとゴジラのせいで博多駅前が崩落したように思えるが、そんなことはない。
本当に素晴らしいゴジラだった。
さて、電車に乗ってたどり着いたのは、太宰府駅。
「太宰府」……?
歴史の授業で出てきた気がする単語だ。
あいにくの天気だが、歩いていくとしよう。
向かうのは太宰府天満宮だ。
なんだかやけに宣伝されてるなと思ったら、九州国立博物館がすぐ近くにあるらしい。
これは寄らなければならない。
新しい土地に来たら博物館には行かなければ。
通りを歩いていたら九州国立博物館のミュージアムショップがあった。
(出張ミュージアムショップとかあるんだな)
では太宰府天満宮の中へ。
さて、太宰府天満宮といえば、菅原道真を祀っていることで有名だ。
そういえばド田舎の自分の地域でも、受験シーズンにはなんたら天満宮のお守りとかが話題になっていた気がする。
簡単に菅原道真について説明すると、めちゃくちゃ優秀で、今日では「学問の神様」として崇められている人である。
広く海外の知識を求めて、それを日本の思想と組み合わせて活かしていくことをしていた道真の姿勢は、「和魂漢才」という言葉で後年表現された。
海外から学ぶのは間違いなく大事で、それを自国にチューニングすることも大事だよねというやつである。
わかるなあ。
(なおこれが「和魂洋才」になり、のちに「和魂(やまとだましい)」だけになっていく)
そんな超優秀な道真は国の中枢である右大臣にまでなったのだが、謀略により都から太宰府に左遷される。
そしてここでの生活の内容を見ると、正直「左遷」なんて言葉で済ませられるような扱いではなかったようだ。
給料も与えられず、政務も禁止されており、実質的な流罪、ないし死罪だったといえる。
そんな菅原道真は貧しい生活を2年間送り、延喜3年(903年)2月25日に亡くなった。(享年59)
そして遺言で、「遺骸を牛車に乗せて人にひかせず、牛の赴くところにとどめよ」と述べて、その牛が動かなくなった場所を墓所とした。
それがこの太宰府天満宮の場所というわけだ。
そんなわけで、牛の像が太宰府天満宮の各所にあるのはこういう由来があるからなのだ。
この牛は神牛として崇められていて、ご利益もあるらしい。
願いを込めてこの牛の体の部位を撫でることにより、自分のその部位が健康になったり、病気が全快したりするとのこと。
頭部を撫でると知恵がつくらしいので、受験生には必須の部位である。
像を見ると前足と後ろ足と頭部が撫でられているのがわかる。
……みんな腰とかは問題ないのだろうか。
そんな菅原道真だが、死後に都で良くないことが起きまくったことにより「道真の祟りだ!!」と騒がれることになる。
きっと都の貴族たちも、祟られてもしょうがないことをやった自覚があったのだろう。
そして「祟り」が思った以上に長期間(約30年)続いちゃったので、道真への御霊信仰はどんどん盛り上がっていくのだ。
しかしまともな人が謀略によって悲惨な人生になるというのは酷い話だ。
そして死後に崇められたところで普通は許さない気もするが、許した上でご利益もあるという御霊信仰の発想はなんか凄いな。
……では、謎のアート作品を見つつ、中を巡っていこう。
現在はアート的にも見どころ満載の大宰府天満宮である。
そんな感じで次回へ続く…!