【つながる旅行記#43】in大洲 初めての四国とまさかの武田斐三郎
ここは大洲市立博物館。
大洲市は四国の愛媛県にある市。
この旅行記は北海道と東北が大半だったのでめちゃくちゃ新鮮だ。
自分は知らない土地にふらっと立ち寄って、何かないかを博物館などで探す人間なのだが、この大洲、今までの旅行記とも関係のある場所だった。
大洲市立博物館のなかに、なんだか最近見た覚えのあるものが置いてある。
そう、これは函館にある五稜郭の模型だ。
「函館から遠く離れた四国の地になぜ……?」と思うだろう。
なぜかというと、五稜郭を設計した武田斐三郎(たけだ あやさぶろう)は、伊予大洲藩士だったのである。
大洲の街を歩いていたら、よく見た顔があったので博物館に入った次第だ。
この顔、過去に記事にした函館の写真歴史館でも遭遇している。
そして函館の五稜郭の中には武田斐三郎のレリーフが設置してあり、
みんなが触っていくせいなのか、顔の部分がテッカテカになっている。
ここまで重なれば、自分でもさすがに覚えているというわけだ。
そんな武田斐三郎がどんな人物だったのかをwikipediaで軽く見ていこう。
歴史に造詣が深くはない自分でも、緒方洪庵、佐久間象山、吉田松陰くらいならわかる。
こうしてみると歴史上の偉人から学びまくりの人生である。
ちなみに箕作阮甫(みつくりげんぽ)という人はペリー来航時に米大統領国書を翻訳した人物だ。
そんな人と一緒にロシアとの交渉についていくとかすごいな……。
いや35歳までの人生でどんだけ成し遂げとんねんという話である。
プチャーチンの通訳についていったのと同じ歳でペリーと会談してるし、
諸術調所で教えた榎本武明、前島密、井上勝といったら、
函館戦争の中心人物と、日本近代郵便の父と、日本の鉄道の父である。
それを教授する側だったとは衝撃だ。
さらっと日本一周してるし、
ロシアに学生連れて修学旅行&貿易に行ってるし、
いやもう凄すぎだろこの人。
これは五稜郭の設計もするわけだわ……。
ふと壁のカレンダーを見る。
いやまさかの函館の写真!!
JR四国のカレンダーなのに函館の金森倉庫である。
ここの学芸員、実によくわかっている。
博物館を後にし、大洲と言えば……という観光地を目指すことにする。
そういえば武田斐三郎はこの肱川(ひじかわ)で12歳にして小舟を自作して浮かべ、大人を感心させたという。
……やっぱあれだな、もう偉人は子供のころから凄いな。
目的地が見えた。
さあ、今日も歩くぞ。