【つながる旅行記#224】カワサキワールドで川崎正蔵について学ぶ【神戸】
前回は高尾山をグルメ的な意味でも満喫した。
やはり高尾山は良い山だな!
そんな動物園にもアニメジャパンにも参加した大満足の東京観光を終えた自分は、その後移動を重ねて……
ホテルで『けものフレンズの最終回』を見ていた。
……多摩動物公園に行った経験が生きたな!!
……そして深夜アニメを見たせいで盛大に寝坊した。
もう時刻は13時。
いや全然ここから観光するけども。
おお……!!
ICOCAである。
関西を象徴するICカードに、東京を離れたんだなと実感する。
そして移動を重ねたのち、建物が見えてきた。
そう、あれは神戸ポートタワーだ。
前回はさらっと流すように過ぎ去ってしまった神戸観光。
しかしガッツリ見たいという欲求が再び湧き上がってきたため、復路でまた途中下車したというわけ。
というわけで神戸海洋博物館とカワサキワールドに到着。
(なお写真が撮れるのは基本的にカワサキワールドのみ)
では行こう!!
しかし正直なことをいうと、自分はカワサキに関してはほぼ知識がないのだ。
同僚が「カワサキのニンジャ買いたいんですよねー!」と言っていたので、「カワサキってバイク作ってるんだなぁ…」程度の認識があるだけ。
一体カワサキはどんな歴史を辿った会社なんだろう……?
ということで、まずは創業者について知るとしよう。
神戸川崎財閥の創設者、川崎正蔵(かわさきしょうぞう)について。
(神戸川崎財閥なんてものがあったことがもう初耳だが)
まず正蔵が生まれた1837年のイメージが全く湧かないので、wikipediaでそのとき起きた出来事を見てみよう。
すると、米不足で蜂起した大塩平八郎の乱があった年であり、最後の将軍である徳川慶喜が誕生した年だとわかった。
なんかもう見事に江戸時代である。
そんな江戸時代の商人の家に生まれ、若いうちに長崎で経験を積み、27歳で生まれた地から遠く離れた大阪で起業した正蔵。
……なんだか自分の人生と比較すると悲しくなってくるわけだが、正蔵は長崎の中華街や出島のオランダ商館で業務に励み、夜は外国語の勉強に時間を費やしていたという。
ひたすらゲームとアニメに励んでいた自分とは格が違う。
そしてなにより、江戸時代末期の鹿児島と長崎である。
国の閉塞感と海外の技術への渇望が凄かったであろう時代に、これらの場所で経験を積めたのは相当大きかったんじゃないだろうか。
やはり人間にとって環境は大事なのだ。
だが、まさかの災害によって大阪での事業は失敗してしまったらしい。
その後は一体どうなってしまうんだ……?
普通に就職したあとに、みるみる頭角を表して副頭取になってる!!
やはり自分で事業を起こして失敗も経験した人間は強いということか……!
就職先も貿易商や船に関する知識を有効活用出来る会社だし、今までの経験が見事に生きている。
なんかこの記事の冒頭で、けものフレンズを見ただけで「経験が生きたな〜!」とか言っちゃった自分が哀れすぎるんだが……?
なんとカワサキの始まりは造船業だった!
(当然ではあるが、バイクのバの字もなかった)
しかし日本郵船(三菱)もそうだが、やはり日本を代表する財閥企業は海運に関わってる所が多いんだなと実感する。
考えてみれば商船三井だって三井財閥だ。
もちろん川崎造船所もまた、日清戦争によって特需を得た企業の一つである。
国の目的に合致した企業が伸びるのは当然の帰結ということか。
そんなこんなで川崎造船所から始まって、そりゃもう色々な分野に手を出した結果、今の川崎重工業株式会社がある。
自分は就活の際に企業研究を全然真面目にやらなかったわけだが、優秀な人はこういうのもしっかり調べていくんだろうなと今更思う。(気付くのが遅すぎる)
では、次はそんなカワサキの実際の製品を写真で紹介していくとしよう。
造船業からどれだけ多種多様なものに手を出していったのか。
次回へ続く……!