【つながる旅行記#287】非常にそれっぽい家康像と、『お手植えミカン』に人生を想う【駿府城公園】
前回は登呂遺跡を眺めつつ、自転車の鍵を忘れたことに気づいて全ての計画が破綻した。
(いや、鍵持ってても破綻してたか…?)
まあ気を取り直して駿府城である。
6月上旬の駿府城公園は、植物たちが美しく咲き誇っていた。
なんだかタチアオイと聞くとアオイ繋がりで葵の御紋を連想してしまうが、徳川家の家紋のモチーフになっているのはフタバアオイである。
いやあの家紋の名前は『三つ葉葵』なのだが、あれは3枚のフタバアオイで三つ葉葵なのだ。(ややこしや)
そして名前こそ似ているが、フタバアオイは上の画像の華やかなタチアオイとは全然違う植物で、樹の下に生えるような地味な植物なのである。
なにやら戦国武将たちは家紋のモチーフに雑草を選ぶことが多かったりするらしい。だが一体それはなぜなのか?
その理由は……!
以下の本に書いてあるんですかね……? (※読んでない)
案内板を見るに見どころはあれこれあるようだが、とりあえずメインっぽい家康像を見に行くとしよう。
思えば大阪で秀吉像は見ているわけで、これで家康像を見れば、あとは岐阜で信長像を見て三英傑コンプリートである。
これもまた自分の人生の達成目標の一つに加えておかねば。
あっ、あれは……!
なんかすごい家康っぽい!!
というわけで家康像である。
なかなかの恰幅の良さ。そして鷹を従えている。
近くには家康公お手植えのミカンもあった。
言い伝えでは400年以上前に紀州(和歌山)の藩主だった浅野氏に献上されたみかんらしい。
へぇ、ミカンって400年も生きて……いるわけがないか。
当然何世代か経ているものなのだろう。
調べるとみかんの木の寿命は人間と同じようなものという話で、ミカンの実がまともに採れるピークも40年くらいまでだとか。
まあ時代は変わり、人間は70歳まで働けとか言われている世の中ではあるが、戦国時代を思えば40歳がピークというのはまさに人間と同じなのかもしれないな……。
いやまさかミカンに人生を想わされるとは。
(そして自分の体はいつまで健康に動くのやら……)
そんなこんなで移動していると、発掘現場に行き当たった。
実はこの駿府城の天守台発掘作業、去年(2016年)に始まったばかりのものらしい。
(※この旅行記は2017年のものですよ!)
いやはやなんだかすごい規模の発掘のようだ。
これはなかなかいい時に来れたかもしれない。
そしてここでちょっと地図ネタを挟むと、大阪城や福岡城と同じく、駿府城もまた軍隊駐屯地となった時代があったことが過去の地図からわかる。
前回もちょっと触れたが、やはり戦国時代の城跡というのは広い土地が欲しい場合には都合がいいのだ。
そしてかつては軍隊が使っていた一般人立入禁止の場所が、今となっては市民のための公園になっているというのも色々と考えさせられる。
やっぱり平和って大事。
(いやしかし元々が戦国時代の軍事施設だったんだから、公園の方が異質なのか……?)
なんかそんなことをあれこれ考えつつ、
次回へ続く……!!
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