5,ファンキー婆ちゃん
祖母と祖父との生活が始まった。
祖父と言っても血縁関係はない。
祖母の内縁の夫。
この時は実の祖父の存在を知らなかった。
晴れて小学生になったわたくし。
真っ赤なランドセルを背負い楽しく通学していました。
そういえば誰がランドセル買ってくれたんだろう。
聞いたことないや。
今の時代は「ラン活」という言葉があるぐらい
子供がランドセルを選ぶ時代になりましたね。
うちの息子はどんなランドセルを選ぶのかな?
小学生になって直ぐに友達もできた。
近所の男の子。その子とは今でも交友がある。
親同士も仲良かった。
よく二人で近所の公園で遊んだりお互いの家
でゲームをしたりしていた。
他にも友達はいて女の子と遊ぶ日も多かった。
でもよく姉の後ろにくっついて一緒に遊んでもらった。
実際姉からしたらうざかったと思う。(笑)
母は祖父の職場で働いていた。
現場仕事だ。相当しんどかったと思う。
母は昔祖母はからお酒が好きで毎日のように飲んでいた。
今思えば二日酔いで休んでるときもあったな。
祖母の家で生活してから母が少しずつ変わってくのがわかった。
よく怒るようになりピリピリしている感じがした。
きっと環境の変化だと思う。
母は仕事がある日は夕方に帰ってくる。
その時間が近づいてくるのが嫌な日もあった。
けれど母が嫌いとは思ったことはなかった。
祖母は母の代わりに沢山のことをしてくれた。
授業参観に来てくれたり、夏休みはプールに連れってって
くれたり、ホットケーキを焼いてくれたり。
学校に行くときはいつも、本当にべっぴんさんやな~
なんて言って送り出してくれた。
祖母は可愛い反面かなりファンキーなところもあった。
まずは服装だ。
昔水商売をしていたからなのかかなり派手。
ヒョウ柄でおさまらずキリン柄の服を身にまとっていた。
ミニトマトの絵が散りばめられたスーツも着てたな。
あんなんどこに売ってんねん。
美川憲一しか持ってないだろうと言えるぐらいの
ギラギラのバッグもすごかった。
失明するってまじで。
パチンコで勝ったときはよくお小遣いをくれた。
500円のときもあれば1万円のときもあった。
そのお小遣いを持って文房具屋さんで色々買ってたな。
ファンキーは私の友達にも人気者だった。
ネジ吹っ飛んでるから(笑)
私がいなくても友達が家にいることもあった。
よく笑う人だったな~。
あんな年寄りになりたい。
残念ながら私が成人する前には亡くなってしまいました。
急に体調を崩し病院で検査したら
膵臓癌の末期で余命三か月でした。
余命宣告されたのにも関わらず泣き言一つも
言わず生き抜いて素敵だった。
思い出すだけで涙が出そうになる。
近いうちお墓参りに行こう。
次は今のわたしのことについて書いてみます。