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人の書いた記事があんまり読めない、という話

読まれたいと思って記事を書いているくせに自分は読まんのかい、と思われることでしょう。わたしも思います。

人の書いた記事というのはその人の意思の発露なので、まるでその人と会話をしたように、読むと必ず影響があります。心に残るだとか、心に刺さるだとか、もやもやした気持ちになるとか、晴れ晴れした気持ちになるとか。
それが結構、しんどいのです。
HSP特性は文字情報にも遺憾なく発揮され、「他人の意思」に影響を受けすぎて疲れ切ってしまうのです。
noteでなくても、ニュースなどの内容が心に張り付いたように消えなくて、他人の苦しさや悲しさを想像しすぎてグロッキーになることさえあります。たまに寝込んだり。
なかなかフォローする人を増やせないのも、トップページにたくさん記事が並ぶと「わわーーー」ってなるからで、なかなかスキができないのもなかなか読めないからで…もう開き直って自分が書くためにnoteやってんだし、などと思う所存です…

なので正直ツイッターとは相性が悪すぎるのですが気づいたときには廃人になっていたものだから今更やめられない。
ツイッターを閉じた瞬間また開くようなツイ廃は、「怒涛のように人の意思が流れてくるツイッター」からどうにか逃れて細々とnoteに長文を書いています。


文字を書くのも読むのも大好きだけど、小説なら(心の調子を崩す前は)たくさん読んでいたけど、エッセイやコラムはほとんど読んでいなかった。人の生の意思に影響されるのを無意識に避けていたようです。
読む小説も、歴史物やファンタジーやミステリーが多かった。つまり、現代日本の一般的な人間の感覚、意思、生々しい感情を、文字の中からまで受け取るのを恐れていたんです。
ミステリーは現代日本の一般的な人間がたくさん出てきて生々しい感情がたくさん出るのでは…?と思われたことでしょうが、人がたくさん死んだり探偵が出てきたりする時点でわたしにとってはファンタジー的な分類でした。名探偵ポワロが大好きです!

かっこよくエッセイ書きたいとかいいながらこの体たらく。なのでエッセイってこれでいいのか分からんままただ日記みたいに書いてます。
これからもこんなものです。
読んでくれて、いつもありがとうございます。


…なんか似たようなこと前も書いたような気がしてきました!わー!記憶がもうわやわやしてて…またこういうこと何度も書くかもしれないです。3歩歩くと忘れるので…


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つかさ
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