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子どもの運と才能を伸ばすママ養成塾/ 東大ママ 塚本純子 プロフィール
はじめまして。東大ママの塚本純子です。
ページにご訪問いただきありがとうございます。
これまで、一人の母として、どのような活動をしてきたかを書きました。
お読みいただけると幸いです。
自己紹介
子どもの運と才能を伸ばすママ養成塾主催。大野南こどもセンター運営委員。
1965年広島生まれの広島育ち。
県立広島女子大学家政学部生活科学科卒 環境コンサルタント会社にて主に水質分析を行う。1991年結婚 により横浜に移り2年後に出産。
いわゆる核家族で育ちましたし、母は、親戚関係で交流することもありませんでした。母の姉は遠くに住み、いとこたちとも、なかなか会えませんでした。
実家からわが家に帰ると夫と三人暮らしでした。夫が仕事に行けば、赤ちゃんと二人っきりですが、実家よりも、気遣いは減りました。しかし、一難去ってまた一難です。次は公園デビューです。
同級生ママが、5名。娘は、3月生まれでしたので、学年の中では、一番最後、身体も小さく、アドバイスをいただいても、気が重いほうが多かったです。
そのうえ、まだ子どもが幼児の頃、実家の母親からの電話で、結婚で遠くに住むことになったことに、不満をぶつけられ、考え方を変えました。
子育てしながらも、自分もやりたいことをしよう!
自分がいなくても生きていける、そのためには、今、何を伝えるとよいか?
そんなことを考えながら、育てていきました。
1990年代、中東情勢は不安定であり、21世紀の世界情勢は不確実性が高いと考え、親がいなくてもしっかり生き抜く、自立できるわが子を応援する親子関係をはぐくむことが大切という考えは、こんな経験から生まれたものです。
その後も、家事全般も不得意でもあり、お庭や公園では、いつも小さくなっていました。だた、ひとつ学年が離れたのお子様をお持ちのお母様とは、気が合って、励まされ、何とか過ごすことができました。
それでも、毎日は息苦しく、子どもが小学校を卒業するまでは、働かないと決めていたのですが、ここでも、考えを変えて、働きに出ることにしました。
次のターニングポイントは、中学受験です。
私は、中学受験に失敗して、結局、公立中学校に進学したことから、中学受験には、積極的ではありませんでした。
むしろ、小学校のうちは、のびのび育て、中学受験をさせるつもりはありませんでした。
しかし、時は、ゆとり教育。
娘の友だちは、児童クラブを3年生で卒業すると、塾に通うようになりました。塾選びから試行錯誤しながら、結局、中学受験をすることになり、私立中学に通わせることになりました。まさかの人生の展開でしたが、結果的に、親子で世界が広がることになりました。
わが子の幸せは、よき仲間と ともに生まれることに気づき、わが子だけでなく、地域をはじめより多くの子どもたちのために行動することを決意しました。
こども会の会長をやってしまったことをきっかけに、地域のこどもセンターの運営に関わったり、その中で、理想のイメージである子どもの考えたことを大人が手助けしながら実現することを目指す「こども運営委員会」を作ったりしました。
また、子どもたちには、見守るように心がけPTA活動や部活で応援してきました。
結果 2人の子は高校の部活において、部長、主将としてリーダー力を発揮しました。
進路についても自ら決断し、長女は東北大学理学部化学科、長男は東京大学理科 Ⅱ類へ進学しました。。