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スーツ=軍服!?改訂版 第36回

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載36回 辻元よしふみ、辻元玲子

見せかけではなく本当の環境対策を

 エネルギー政策上、冷房温度を高めるなら高めればよく、それに応じた服装は個人の問題だと私は思う。暑くともタイを締めたい者は締めればよく、上着を着たい者は着ればよく、本人の好きにすればいいことで、大きなお世話ではないか。
 また、根本的には「地球が温暖化したからタイを外して楽になりましょう」ではダメなのである。それは「子どもの成績が下がったからそれに合わせて教科書をもっと楽にしましょう」と言っているようなものである。行き着く先は、みんなハダカでだらけ果てて、文化も秩序もなく崩壊した未来であろう。政府は逆に「もっとファッションを快適に楽しむためにも、産業界は本気で温暖化対策を取りましょう」という宣伝をするべきだ。一番いけないのは廉価を際限なく追い求め、便利さを追求し、外国で人件費の安い人たちに作らせた安い商品を莫大な燃料をかけて輸送し、それでグローバルビジネスなどと言って使い捨てにする精神の軽薄さである。本当にいい物はある程度、値が張るのは当然で、それを大切に長く使うことが重要だろう。効率や実用ばかり追い求めたのが「小泉改革」だった。その一環として出てきたのがクールビズであった。しかしそういう精神とは対極にあるような思想こそが、求められているのではないか。
 だいたい何よりいけないのは、制服のようになんでも服装を規定する発想そのものである。ネクタイやジャケットがいけないのではない。昔の中学校の校則のように、六月になったら一斉に衣替え、十月になったらまたなんでもかんでも衣替え、という発想そのものがよくない。別に何月でも構わない、汗ばむ陽気なら麻でもシアサッカーでも着ればいい。一方で、八月でも肌寒い日にはそれに応じた服を着ればいい。それでなくとも世界の気象は不順となっており、機械的に衣替え、という江戸時代の日本人のような発想は、現実にあっていない。

機械的な衣替え」はもう無理

ファッション業界の常識だと、半年前の晩冬から初春には早くも翌年の秋冬物のコレクションが発表され、八月のお盆が過ぎると一斉に店頭も秋冬物に移行する。八月後半、どんなに暑かろうが猛暑日だろうが、秋冬物を着込んで接客する販売員をみると、大変だなと思ってしまう。
しかし、これは極端な例で、日本では通常、六月一日から夏服、十月一日から冬服という「衣替え」に従って衣服をチェンジする。さらに政府提唱のクールビズ期間が延び、五月一日から十月末まで六か月間を夏服期間とし、亜熱帯並みになりつつある。
ところで、この「衣替え」というのは、平安時代の貴族が衣装を季節に応じて宮中で一斉に取り換えたところから始まった。武家時代を経て、明治時代になり、明治政府が役人や軍人の制服を六月と十月で一斉に衣替えするように通達を出してから、今に至っている。
欧米語にはこれに当たる言葉は見あたらず、もちろん寒暖差のある国では、どこでも夏と冬で服を替えるが、もっとゆるやかなもので、だいたい六月の夏至から九月の秋分までの間を夏季として、それぞれが思い思いに衣服を改め、夏季となればシアサッカーやコードレーン、リネンなどの涼感がある夏素材のものにする。とはいえ、湿度が低く真夏でも三十度に至らない欧州諸国などでは、夏でもジャケット着用が普通で、半袖シャツはリゾート用と見なされ、オンタイムでは長袖シャツが常識、という国もある。
シアサッカーやコードレーンは、夏物素材の代表で、畝のはいったコットンの生地だ。シアサッカーのほうがコードレーンより畝が深く、カジュアル。多くは白地に水色のストライプなどが入り、見た目も涼しげで肌触りもいい。「シアサッカー」とはペルシャ起源のヒンズー語で「ミルクと砂糖」の意味で、なめらかなミルクと砂糖のざらつきで、畝の質感を表している。インドで織られ始めたシアサッカーは、英国では盛夏や植民地での衣服として人気を得、一八九六年にはブルックス・ブラザーズがシアサッカー生地のスーツをアメリカで売り出し、特に温度の高い南部で流行した。
米国の上院議会では、毎年六月の第二か第三木曜日を「シアサッカー・サーズデイ」として、一斉にシアサッカーのスーツやジャケットで登院する。南部の夏を思わせる衣服で季節感を表現するものである。


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