『スーツ=軍服!?』(改訂版)第51回
『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載51回 辻元よしふみ、辻元玲子
◆新素材のスパンデックス、ゴアテックス、ポーラテック
第二次大戦頃までは、天然素材に頼っていた冬季用のウエアだが、一九五九年に米デュポン社がナイロン素材のスパンデックスを開発すると、伸縮自在で防風性能が高い専用のスキーウエア(英語ではスキースーツ)が登場した。
さらに七六年に防水透湿素材、つまり水を通さず、内側にこもる湿度は逃がす革命的な素材ゴアテックスが開発され、八〇年にはフリース素材のポーラテックがお目見えした。これらは次々に高性能なスポーツウエア素材となり、さらに冬のタウン着として一般にも用いられるようになった。ノースフェイスやパタゴニアの製品は日本でも大人気である。
またこういう高機能素材は、米軍の寒冷地被服システムECWCS(エクワックス)に採用されて、重ね着をすれば氷点下52度まで耐えられる超防寒衣服として有名になった。
中でも中心となるポーラテックについてだが、これは、ポリウレタン起毛繊維であり、開発当初、画期的といわれた。ポーラテックは商品名だが、これの別名「フリース」というのは本来、普通の羊毛の意味である。金羊毛勲章の英語名がオーダー・オブ・ザ・ゴールデン・フリースであることを想起していただきたい。つまり羊毛のように暖かい、しかし軽くて、何より羊毛の最大の弱点だった水、汗に強い。しかも速乾性がある。ここがポイントだった。
さらに羊毛と違い、ポーラテックは薄くも厚くも、撥水性の強いタイプにも、軽い下着にも加工できる点が優れていた。よってポーラテックはスキーウエアやスケートウエアに大いに使われている。
ポーラテックはいわゆるフリース素材の元祖だが、「本物のポーラテック」は今でもかなり高価である。しかし、一九九〇年代後半から日本では、量販店を中心に、ペットボトルを再生した安価なフリースが売り出され、日本人にフリースというものを広めた反面、安物というイメージも植えつけたようだ。スポーツ専門店やミリタリー販売店の人に聞くと、「ポーラテックと一般のフリースを一緒にしないで欲しい」とよく言われる。
初期開発から三十年以上経ったポーラテックだが、米軍の寒冷地被服システムの第三世代「ジェネレーション3」でも、下着やウインドブレーカーはポーラテックを指定している。
◆ロシア発のファッションとウクライナ
二〇一四年にロシアのソチで冬季五輪が開催された際、久々にロシア的なファッションも注目されたが、何しろ寒い国なので、寒冷地グッズの元祖のようなものが多くある。
ロシア発の冬服というと、テログレイカと呼ばれる詰め物入りの刺し子の防寒着がある。これは第二次大戦時にソ連軍の兵士たちが、正規のコート支給が間に合わず、間に合わせに着始めたものだが、簡便さが受けて戦後の共産圏では民間用に大ヒット。この詰め物を入れた刺し子の防寒ブルゾン、というアイデアはその後、現代のダウンジャケットなどに受け継がれることになった。
足元のアイテムとしては、ワレンキと呼ばれるブーツがある。要するにフェルト製の防寒ブーツのことだが、今や色々なブランドからフェルトのブーツが出回っているが、これの起源もロシアなのだ。
こういったアイテムで上下を固めれば見事にロシア気分となるが、ここでロシアの服といって忘れてならないのがルバシカだ。プルオーバー式でスタンドカラーの、男性用ブラウスである。かつては芸術家の服というイメージがあったが、文豪トルストイが愛用していたのが世界的に広まったようである。
ところで、実はこのルバシカ、ロシアではなくて本当は隣国ウクライナのもの。このルバシカと、シチューのボルシチは実はウクライナ発で、ウクライナの人たちはロシアのものというと気分を害するそうだ。
歴史的には長らく交戦もしてきた間柄で、帝政ロシア時代からソ連邦時代には統合されていたものの、ずっと抑圧されてきたウクライナ人の恨みは積み重なっていた。二十一世紀になり、ソチ五輪が終わった途端にクリミア半島を巡って両国間で紛争が勃発。そして二〇二二年二月には、ついにロシア軍がウクライナに侵攻する事態となったのである。