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『スーツ=軍服!?』(改訂版)第48回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載48回 辻元よしふみ、辻元玲子

和製英語だらけのニット衣料の用語
 
冬となればニットの出番だが、毛編みのルーツは中東にある。エジプトで技術が確立し、その後、この地を征服したイスラム王朝が発展させ、刺繍と並び重要産業とした。欧州では初めイスラム圏からの輸入に頼り、また各国の王室はイスラム教徒の技術者を招聘して、ニットを編ませた。
つまり、超高級品だったわけだ。十四、十五世紀になるとイタリアやスペインで自国生産が始まり、十六世紀には英国に伝わった。羊毛産業が盛んなことと、技術革新でその後、英国はニット産業の一大中心地となった。
ことに寒冷地の漁師が、温かく伸縮自在で動きやすいニットを好み、アイルランドのアラン諸島のアラン・ニットは著名になった。家ごとに編み方が異なるため、もし漁師が海で水死しても、着ているニットで見分けが付いた、というのは有名なウンチクだが、これはジョン・M・シングの小説から二十世紀に広まった俗説のようだ。
一方、英仏海峡チャネル諸島のガーンジー島やジャージー島のニットも特産品となり、十九世紀にはニット全般が「ガーンジー」か「ジャージー」と呼ばれた。愛知県・瀬戸産でない焼き物でも全て「瀬戸物」と呼ばれるのと同じようなことである。
一八八〇~九〇年代、アメリカの大学のフットボール選手が、汗Sweatをかくための運動着としてニット衣料を採用し、これを特にセーターSweaterと呼ぶようになった。そしてしばらく、防寒ニットは「ジャージー」、運動用ニットは「セーター」という呼び名が続いた。
しかし一九二〇年代までに、アメリカでは本来の防寒用ニットを「セーター」、運動用を「スウェット・シャツ」Sweat shirtと呼び区別するのが普通になった。
そして今日、英語圏ではセーターでも通じるが、防寒用に重ね着するニットはプルオーバー(かぶりもの)と呼ぶ方がずっと通りがよく、シャツやブラウスを着ないで肌に近いところで着るものをセーターと呼ぶようである。特に英国では、セーターというアメリカ発の用語はそもそもあまり使わず、ジャンパーJumperと呼ぶのが普通。これはスコットランドの古語から着た呼び名で、飛ぶ意味のジャンプとは無関係で、おまけに日本人が「ジャンパー」という言葉で思うような丈の短い上着=ブルゾンとも異なる。このジャンパーという言葉は「かぶって着るもの」の意味だ。中学や高校の女子生徒の制服によく見られる「ジャンパー・スカート」のジャンパーもこの用法である。
そしてニット衣料全般は今でも、ジャージーというのが総称になっている。
さて、日本では、戦前にニット全般を「セーター」という名で受け入れた。戦前の日本ではまだ、運動着の需要はほとんどなく、区別も無用だった。そして、戦後になると運動用ニットを「ジャージー」の名で普及させた。ちょっと英語圏の名称とはズレた輸入をしたことになる。
さらに、一九六〇年代、VANの石津謙介がアメリカ流のスウェット・シャツを「トレーナー」の名で売り出した。もちろん、和製英語で海外では通じない。石津はまた、英国風の白いVネック・セーターを「チルデン・セーター」の名でヒットさせた。アメリカのテニス選手ビル・チルデンにあやかる命名だが、これも本場の英国では「テニス・ジャンパー」と呼ぶ。このようにニット衣料では、日本人が思っている物と違うことが多々あるので注意が必要だ。

現代の冬物衣料の代表、ダウンジャケット

冬本番のアウターの代表格といえば、今日ではどんなコートでもなくて、ダウンジャケットとなるだろう。ダウン(羽毛)が入っていなければ、正確にはこの名では呼べないので注意が必要だ。
フランスのモンクレール社が冬の労働着として開発し、一九五四年のカラコルム登頂で登山隊が採用、防寒性の高さと軽さが激賞され、六八年のグルノーブル冬季五輪でフランスチームの公式ユニフォームに採用され、世界的に知られるようになった。長らく特殊なスポーツウエア扱いだったが、徐々に普通のタウン着として認知され、日本でも八〇年代から一般に普及した。今日では、冬場はダウンジャケット一枚で乗り切る、という人も少なくないだろう。


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