俺氏、毎回限界青天井まで同人誌を刷りたいマン

(この記事は真面目な話ではありません)

どれくらいの部数を刷ればいいのか、という件、トウィッター上で何回も話題になるが、先人たちによって、失敗(後悔)しないための答えはおおよそ出ている。①大前提として、黒字になる事は考えない。②一冊も売れなくても問題ない部数を刷るのが定石。③インターネットで反応が良くても決して信用しない。大体この3点。

参考:リットルさんの記事

この話も面白いのだが、個人的に興味が湧くのは、なぜ人間は(クソデカい主語)印刷部数をミスってしまうのかという点。特に初心者。というか俺。

バズりが絡むとややこしいので置いておくが、何も考えず10〜20部刷っておけば安全である事は確かにも関わらず、人はそれが出来ない(俺は出来なかった)。何故?

安全圏のみの支出なんてあり得ないと考える。部数を増やせば黒字の幅も広がる、という、ギャンブルじみた思考に至ってしまう。何故?

小賢しい知識のあるオタクや実経験のある人が見れば、実力・ジャンル・内容によって、突っ張るべきか、そんな場面ではないかはおおよそ判断がつくにも関わらず、当の本人はわからなくなる。迷ってしまう。相談をしない。何故?

それが私にはわかる気がする。少なくとも自分の経験に照らし合わせて語ることができる。興が乗ったので振り返ってみる。

私の場合は漫画だったが、初めの同人誌を作るのに、作画だけで3ヶ月ほどかかった。構想期間など含めると倍。次の同人誌は半年かかった。1年間、そればかりをやっていた。まずはその狂気について考えなければならない。

そんな長い長い期間、ズブの素人が一つの漫画に取り組むのはおかしい。今の自分から見ても、耐えられる気がしない。コミケに行けば、自分程度の人間は沢山いるだろうけど、その人らもまとめておかしい。何故、そういう狂気に身を委ねることができるのか。どんな夢を見ているのか。

最近見かけた「やる気」についてのツイートで整理ができると思う。「脳内報酬の予感」の過剰が、行き過ぎた「やる気」(狂気)の正体だ。

我ながらナルシストだが、自分が作っているものの良さに全く疑いがなかった(今もあんまない)。追いついてない部分があるとしたら画力だけ……という、問題の単純化から始まる妄想の数々があった。
第一に、”時間さえあれば”画力を補い得るという間違った確信があった。少なくとも、ある程度の水準までは自分のイメージを出力できると信じていた。
第二に、構成や内容さえ最高であれば、画力にはある程度目を瞑ってくれるに違いない、という展望があった。
第三に、センス。自分のセンスにも疑いがなかった。俺のハイセンスに世界が酔いしれるだろう…という脳内お花畑があった。

とにかく、最高のものが生まれると思っていた。だから、おかしな事にとんでもない時間を捧げることができた。
更には、それに見合った報酬や反応があると、盲信していた。
最高の物を生み出せば、数字にも現れると。
ラーメンハゲの言葉を借りるなら、良いものを作れば売れるはず、という、大天才にしか許されないナイーブな考えを、まさしく持っていた。

締切間際に、幾重にも連なった自分の妄想・狂気・勘違いに気付き始める。まず、自分の最高のイメージに絵が届いていない。更に、最高に思えた構成や内容もゲシュタルト崩壊を起こしてよくわからなくなってくる。というか俺は本当に天才なのか?俺は何を一生懸命に作っていたんだ?
お花畑が幻だと心のどこかで気づき始めるが、妄想を手放せない。3ヶ月、半年、一年、あるいはもっと長く、信じていたものが間違いだったと認めることは出来ない。

そして、過大な部数を発行する化け物が生まれる。数字の根拠は、ネットの反応だったりする。穴だらけの理論武装。間違いを認めまいとするただの自己弁護。
pixivで100反応があれば100、200なら200刷るべきなんじゃないかと考え始める。大事なのが、自分の考えが揺らぐような行動を取らないこと。Twitterで下手に告知して反応がなければ、自分の考えが揺らぐ。ゆえにしない。他人に相談もしない。自分を過小評価したくないしされたくもないから。
部数を減らせば、その分読んでもらえる数が減るかもしれない。読んでもらえないということは、報いが少なくなるということ。現実は甘くないと半ば気付いていても、もう最大値以外には認めたくない。狂気に身を委ねた期間に対する報いがあるはずだと、もはや祈るような気持ち。まさしくギャンブルの思考。。。

というような人間模様がそこら中にあるからこそ、印刷部数の件がしょっちゅう話題になり、情報が豊かになった今でも事故が起り続ける原因の一つだと思うんだよな。知らんけど。

実のところ、自分の場合は運が良かった。売り子(友人)のおかげもあり、何より参加者の優しさがあり、初参加のコミケでは完売することができた。感想もいただけた。最高の結果であった。だが、この結果によって、狂気を捨て損なった。次もその次も、多くの時間を尽くした。違った点は初めに刷った数以上を刷った事。自分は成長していて、全てが過去より磨かれていて、最高が更新されているのだと信じたかった。それが数字に出るはずだと。
結果だけ言えば、一番売れたのは最初のコミケだった。

ただ、これは全く悲観的な話ではない。妄想と過信によって過大な部数を刷ったという事実。はたから見れば痛い話でしかないが、過大な部数を刷っておかしくなってしまうくらい、俺は一生懸命だったし、人生を削ったし、その時の最大を原稿に乗せた。馬鹿な話だけど、安いもんだ金くらい。
こんな最高のことはマジでないんだ。人生において。大人になってから、誰にも強制されずに一生懸命に何かをやるなんて事は、マジであんまりないんだ。
だから過大な部数を刷ったことは誇りだと考えている。いつか売り切れる気もしている。一時期は自分の本を見返すのが恐ろしくて仕方なかったが、今の俺にはよくわかる。この本は偉い。イベントに持って行くとまだまだ買ってくれる方がいるし、一般参加者の立場になって考えてみても、需要はやっぱりあると思う。それは妄想じゃなかったと思う。

長くなってしまったが、次は初めて出す一次創作。何部すれば良いんだろう、と考える。一次創作は二次創作と違うからな。二桁行けばいい方だという話もある。でも俺の本貴重だし…30くらいは必要だったりしない?先々の事を考えたら100くらいあってもいいんじゃない?

などと供述しており。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?