異端
思い出すのは、小学校の廊下の掲示物。
絵、書道、作文。
ご丁寧に厚紙に貼られて、学校の廊下に丁寧に展示された経験は誰しもあるだろう。
私はあれが許せなかった。
特に絵と作文だ。
授業で描いた絵や作文が張り出される度、人目を盗んでこっそりと外した。
その度先生に怒られた。
「どうしてそんなことをするの?」
どうして?
絵や作文は心の描写だ。
それは、私の心そのものなのだ。
それを、無許可で廊下に張り出す。
私の意思など関係なく、不特定多数の目に晒される。
先生、友人、クラスメイト、話したこともない同級生、授業参観に訪れた他人、
顔も知らないような人間にすら軽率に心を覗かれ、値踏みされる。
こんな屈辱的なことがあっていいのか。
完全に私の尊厳の侵害である。
俯く私に先生は言うのだ。
「上手にかけているじゃない。」
ため息混じりに。面倒臭そうな顔をして。
私の作品を見た彼等が、褒めようが貶そうが、そんなことはどうだっていい。
私の心を見るな。覗くな。
私の心に感想を抱くな。
私の心に触れていいのは私と、私が許した人間だけだ。
心を見せる相手を選ぶ権利すら与えて貰えない。
私の胸の内を見せる相手を、何故他人に決められねばならぬと言うのか。
私の心を扱っていいのは、私だけのはずなのに。
自己開示の強要。恥さらし。
先生はいつも困った顔をして私を見た。
私はそれに気付いていたけれど、いつも俯いて目を逸らした。
社会性の欠落。
机の下で握った掌はいつもじっとりと汗ばんでいた。
周りの騒ぐ声はいつも嬌声のように聴こえた。煩わしくて、机に伏せて耳を塞いで眠っていた。
そんな私を先生は不真面目だと叱った。
学校という社会で異端として扱われる疎外感。
同級生は奇異の目で私を見てる。
生きづらい。
どうしてみんなみたいに、「当たり前」を受け入れられないんだろう。
どうして「当たり前」に仲良くできないんだろう。
笑い声が私を刺す。
煩わしさが耳を捥ぐ。
胸中は悲鳴が渦巻いて、行き場をなくして肥大する。
今日も壁を隔てて生きている。
喧騒は狂いそうなほど近くで鳴るのに、そのクラスメイトの姿は暗闇のずっと遠くに在る。
ひとりぼっち。
身体の末端から血の気が引く。
生きづらくて堪らないんだ。
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