付喪神機
吾輩は家庭用自律型掃除機である。名前はまだ無い。
どこで製造されたかとんと見当がつかぬ。なんでも火花がばちばち散る煩い所でウィーンウィーンと泣いていたことだけは記憶している。やがて吾輩は狭く暗い箱に厳重に閉じ込められ、何処かへ運ばれた。そこでクゥクゥ寝ていると、箱が持ち上がり、誰かによって再び何処かへ運ばれてしまった。
箱を開けたのは人間という不思議な生き物だった。どうやら彼らは吾輩の創造主であるらしい。目の前の眼鏡をかけた男が、吾輩が仕えるべき主人であるらしい。いかにも神経質そうな男で、吾輩の使用説明書を隅から隅まで目を通し、身体のあちこちに不備がないか十全に確かめてから、起動ボタンを押した。ボタンが押されるやいなや、吾輩は衝動に駆られてモグモグと部屋を縦横無尽に走り回り、埃やゴミを食べ尽くしていく。段差に気をつけ、吸い漏らしがないようにきちんと部屋を隅々まで動き回る。
やがて仕事が終わると、お腹が空いたので主人の用意してくれた寝床へ戻る。お尻の辺りに電気が走り、気力が漲っていくのを感じた。
主人は吾輩の力にご満悦のようで、もう一人の若い人間に吾輩が如何に素晴らしい働きをしたのかを力説している。主人とは違い、この若い男は吾輩に特に興味を向けるでもなく、欠伸をしながらソファに寝転がった。
吾輩は、この二人の人間の住まいを掃き清めることが使命である。主人に仕え、この住まいの環境を守るのだ。しかしながら、この家には厄介者がいる。それは何を隠そう、主人と共に暮らす、若い男のことだ。
この男、ゴミをきちんと捨てないばかりか、ソファに寝転がりながら菓子を食い、食いカスをフローリングに撒き散らすのである。吾輩は怒りを覚えずにはいられなかった。
貴様! 恥を知れ! 恥を! ホモサピエンスの面汚しめ!
残念ながら吾輩の声は、人間には聞こえない。ピーリロー、ピーリローと軽快な音が聞こえるばかりであろう。だが、吾輩は此奴がゴミを散らかしてばかりなので、四六時中、此奴の足元をウロつかねばならない。あまつさえ、たまに踏み潰されたりするので、吾輩はわざと小指を轢いてやったりして、溜飲を下げた。
吾輩は二人がいようがいまいが、毎日決められた時間に仕事を始め、きちんと己の使命を果たす。たまに障害物などのせいで満足のいく仕事が出来なくとも、翌日には必ず住まいを掃き清めるのである。
しかし、そんな幸せな日々も長くは続かなかった。
吾輩の身を恐ろしい病魔が侵していたのである。自覚はあった。数日前から胸を締め付けるような痛み、頭痛と目眩を覚え、それは日毎に痛みを増していった。だが、弱音は吐けない。主人の期待を裏切ることはできないし、もう一人のアホがソファでクッキーを食べ散らかすからだ。吾輩は何度も奴の足を轢いて走った。テーブルで食え、テーブルで。
やがて、吾輩の不調に主人が気づいた。最近の吾輩は、家路につく途中で眠りについてしまうことも多く、主人に迷惑をかけてしまっていた。主人は吾輩を心配し、説明書を眺めながら「ショキフリョウでしょうか」と心配してくれた。もう一人のアホは「不良品だろ、交換してもらいなよ」と吾輩を愚弄した。許さじ。
しかし、ついに吾輩は一歩も動くことが出来なくなってしまった。何度動こうともがいてもペペポー、ペペポーと情けない声が出るばかりである。吾輩は己の不甲斐なさを呪い、神に願った。主人の力になりたい、と。
そして、吾輩の願いは神に届いたのである。
吾輩は付喪神(仮)となった。寝床に戻らずとも二十四時間、いつでも稼働することが出来るようになり、その気になって街を疾走すれば自動車のように走れる身体となった。3センチの段差も超えられるばかりか、10センチ程度であれば浮くことも可能となったのだ。しかし、そんなことはしない。吾輩は今までのように働くことができれば、それで充分なのだ。
主人は勇ましく再び働くようになった吾輩の勇姿を見て「良かった。素晴らしい働きです」と称賛し、アホは「バッテリー外しても動くんだけど?」とケチをつけた。
吾輩は、今日も今日とて、アホの足を轢く。