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妬怠嫉惰

 彼女のことは入学してきた時から知っていた。入学初日、最初に彼女に声をかけ、サークルに誘ったのも俺だ。新歓コンパで最初に酒を注いで貰ったのも俺だし、終電に間に合うよう駅まで送ってやったのもそうだ。
 彼女の顔が好きだ。大きな瞳に、小さな唇。耳の端には小さな黒子があって、笑うと笑窪ができる。
 彼女の声が好きだ。鈴を転がしたような声。耳を溶かすような甘い響き。
 彼女の手が好きだ。小さいのに長くて、繊細な指が動くたびにどうしようもなく堪らなくなる。
 彼女の脚が好きだ。スカートから覗く小さな膝に白い肌。座っただけで赤くなってしまう、そんな柔らかい肌が良い。
 初恋だった。生まれて初めて、誰かが欲しいと思った。俺のものにしてやると。
 今までそれなりの数の異性に好意を寄せられてきた。顔も容姿も悪くない筈だ。彼女は間違いなく俺を選ぶ。なぜなら、彼女は何が正しいかを理解しているからだ。
 俺は彼女に尽くした。彼女の良き理解者となるべく、彼女のことはなんでも調べた。嗜好は勿論、どんな講義を受けているのか、何処に住んでいるのか。今日、何を食べて何を飲んだのか。生理の周期から体調の良し悪しも把握してフォローした。サークルでの宅飲みの機会を作って、彼女の部屋の合鍵を手に入れ、彼女の持ち物を把握した。同じ化粧品を買い揃え、愛用する頃には、俺はもう彼女の全てを理解していた。
 彼女は俺たちによく相談をしてくるようになった。当然だ。彼女の思考は理解している。共感してやるだけで、彼女の中の俺の好感度は上がっていく。
 彼女が困っているのは、友人関係だった。仲の良かった友人と喧嘩をしてしまった。仲直りするにはどうしたら良いかと。その友人は彼女と同郷で、高校から付き合いのある女子生徒だった。調べれば調べるほど、どうして彼女が友人にしておきたいのか分からなくなるほど醜悪な女だった。
 ある日、学内で一人になるのを待ってから、人気のない場所で階段から突き落としてやった。全身を強く打った女は酷い怪我をして入院することになった。友人の少ない女の見舞いに来て、身の回りの世話をしたのは、やはり彼女だった。二人は関係を修復した。
 退院した女と、キャンパスで仲良く連れ立って歩く姿を見て、俺は自分のしたことが正解だと思った。
 自宅で、その笑顔を思い出すたび、私は顔を掻き毟りたくなるほど愉悦を感じた。
 俺は、彼女を手に入れる時が来たのだと感じた。

   ◯
 依頼人の脇宮さんが県庁の特別対策室へやってきたのは、夏の盛りのことだ。知人からの紹介で相談に来たという彼女は、見るからに憔悴しきっている様子だった。まだ大学生とは思えないほど髪の毛はボサボサ、びくびくと怯えた様子で俯きながら周囲を警戒している。目の下には濃い隈がある、もう何日も満足に眠れていないのだろう。
「脇宮さん。特別対策室の担当をしています、大野木龍臣と言います」
 名刺を手渡そうとするも、一向に受け取ってもらえないので机の上に置く。早く本題に入りたいのだろう。実際、彼女は相当に追い詰められているように見えた。
「今回は、どのようなご相談内容でしょうか」
 びく、と彼女は肩を震わせ、ゆっくりとこちらを見た。髪の毛の合間から見える目が、今にも泣き出しそうだ。それでいて恐怖に震えているようにも見える。
「これ、視えますか?」
 彼女は自分の左肩、その背後を指差した。
 一見すると何も見えないが、じぃ、と目を凝らすと急に背筋が冷たくなった。何かがいる。そして、こちらを見ているような気がした。慌てて視線を外し、メガネを取って目元を押さえる。
「ひと月ほど前から、急に現れたんです。でも、私にしか視えないみたいで。両親も信じてくれなくて。友人にも相談できないし、自分の頭がおかしくなったんじゃないかって。そうしたら、これが私の周囲の人を傷つけるようになったんです」
「他者を襲う、と?」
「はい。その、交際中の彼が死にました。殺されたんです」
 彼女の話によれば、交際中の彼とのデート中、屋上階にあるレストランのオープンテラスから急に飛び降りたのだという。地上十三階から地面に叩きつけられた恋人は即死、ニュースにも飛び降り自殺として報道されていた。
「私、視たんです。これの手が、彼を外に放り投げたのを。これは私の大切な人を殺すんです」
「他の方に、この話はしましたか?」
「こんな話をして、誰が信じてくれるというんですか。あなたにも、これは視えないんでしょう?」
「はい。私には視えませんし、必ず解決できると安易にお約束することは出来ません。しかし、最善は尽くします。これまでと同じように」
 脇宮さんは力なく微笑した。
「眠りたいんです。安心して朝を迎えたい」
「私たちに任せてください」
「私たち? あなた一人じゃないんですか?」
「残念ながら私はただの受付に過ぎません。事態解決の専門家は外部に委託しています」
「専門家って、霊能力者?」
 ええ、と私が答えるよりも早く、対策室のドアが乱暴に開かれる。
「悪い。手が塞がってて」
 千早くんの腕には抱えきれないほどの回転焼きがあった。
「特売しててさ。あんまり安いから大人買いしちまったよ。大野木さん、カスタードだよな?」
「千早くん。依頼人の方がいらしてますから、まずはご紹介を。こちらは依頼主の脇宮さんです。そして、こちらの彼が件の霊能力者の桜千早君です」
 チョコレート味のそれを頬張りながら、千早くんが応接用のソファに腰掛ける。そして、彼女の背後を視た。

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