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賀祝癒温

 太宰府天満宮の祭神として祀られて幾星霜、御神徳を得ようとやってくる参拝客は増え続け、今や日本屈指の大神社となった。学業の神として知られる一方で、家内安全や商売繁盛、恋愛成就や安産祈願など願い事も大変多い。遠路はるばるやってきたのだから、他の願い事も一緒に叶えてもらおうというのは無理もない。人間誰だって高名な神社で願いごとをする。そういうものだ。
 しかし、如何せん専門の分野というものがある。私は生前、政をしていたので政治だの祭事には詳しい。おまけに今は暇な時間を使って英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、津軽弁を覚えたマルチリンガルである。勉学の神として当然のことだが、そんな私に恋愛成就の悩みを聞かされても困るのだ。オフィスラブの是非を聞かれたりしても、むしろ続きが気になるばかりである。
 そういう訳で、日本中の神々が最も忙しくなる正月三が日には、近隣の神々が太宰府の参道の一角にある茶店の二階に集い、昼夜関係なく寝る間も惜しんで御神徳を与えるべく仕事をしている。中には途中で現実逃避して神社に参拝に行くものまでいるが、全くもって無駄な行為だ。神の願いを聞き届けてくれる神はいない。
 日本には八百万の神々が在わす。実際には数え切れぬほど沢山在わすのだが、正月三が日は繁忙期の極みとも言える為、日本全国すべての神々が死屍累々の有様となる。
 そして、三が日の最終日、私はついに倒れた。ちょうど福岡県古賀市に住まう三十代女性の英検一級の合格祈願を聞き届けているときだった。御神徳と言っても、いきなり頭を良くすることなどは神々でもできないので、せいぜい受験日当日に風邪を引かないとか、生理が来ないようにするとかそういうレベルの話なのだが。ついに、過労で倒れた。
「あ、菅原くんが倒れた」
「三が日は乗り越えられなかったかー」
「仕方ないですわ。毎年、参拝客が増えてるんですもの」
 起きろー、とみんなで揺り動かされても体が動かない。もう指一本動かないの。
「しょうがない。菅原くんも倒れたし、今年も水糜庵に出かけましょうか」
 宗像三女神の長女であらせられる興津嶋姫様だ。
「あー、やっと息抜きできるぅー」「死ぬかと思った。死ぬかと思った」「最近、縁切りの願いも多いわねー」「ちょっと誰だ、俺の尻尾踏んだの!」「温泉温泉〜」「ワシ、正月特番見たいな」「ウカノミタマ様の所に天津甘栗持ってくの誰の番? 私は去年行ったからね!誰か変わってよ!」
 他の神々がそそくさと仕事場を離れていく中、巨大な腕が私の体を担ぎ上げた。
「ああ、アマノタジカラノミコト様。ありがとう、ございます」
 日焼けした真っ黒い肌、真っ白に輝く歯を剥いて笑う笑顔。この季節に半袖シャツにアルバイトをしている酒屋『住吉酒店』の前掛けという出で立ち。額のねじり鉢巻が妙に似合っている。
「おいおい。神名で呼ぶなよ。長いだろ。田島でいいよ、田島で」
「いや、だってそれはバイト先のあだ名じゃないですか」
「いいぞー。酒屋は。酒もあるし、筋肉も使えるしな。頼まれてた祝い酒、下に置いてあるからな。彼女に任せておけば良いんだろう?」
「はい。大丈夫です。しかし、すいません。みっともない姿を」
「気にするな。幾ら何でも参拝客が多すぎる。水糜庵へは俺が送って行こう」
「え? でも、他の神々の方は?」
「もうとっくに向かってるぞ。お前さん、置いていかれてるぞ」
「うう、みんな酷い……」
「まぁ、お前さんは比較的新入りだからなあ。神になってどれくらになるんだ?」
「ええと延長八年に雷を落として、天歴元年に神として祀られたので、だいたい1000年と70年くらいですかね。はは、1000年前はこんなに忙しくなかったんですけどね」
「忙しいのは良いことだ。信心がなくては神として成立せんからなあ。あとはアレだ。筋肉だ。菅原、お前も筋肉をつけろ。大体のことは筋肉で解決できる。最近はいいぞ。プロテインや加圧トレーニングとかな。筋肉を崇める者も多い。あいつらは俺の氏子だ」
 ガハハ、と豪快に笑いながら一階へ連行される。もはや人攫いのようだが、とても立っていられないのだから仕方がない。
「まぁまぁ、大丈夫ですか」
 心配そうに声をかけてきた店主の老婆の頭を、アマノタジカラノミコトもとい田島さんがぽんぽんと撫でる。まるで小さい子供のように接しているが、古い神は時間の感覚が狂っているので絹代さんが小さな頃とそう変わらないのだろう。
「おお、絹ちゃん。息災だったか」
「まだ生きておりますよ。菅原様は大丈夫なのですか? 御髪が真っ白になって」
「なーに。これから湯治に行くからな。今は切り干し大根みたいな有様だが、水に戻したようになって帰ってくるぞ。絹ちゃんも来るか? 特別に俺が連れて行ってやろう。何、俺に文句を言える神などそうはおらんぞ」
「老い先短い身には勿体のうございます。お留守の間の番はお任せください。家人にも家には上がらぬよう申し付けておきましょう」
「先祖代々、迷惑をかけてすまんな」
「何を仰いますか。どうぞご贔屓に」
 参道の方へ出ると流石に目立つので、店の勝手口から裏手へと出る。
「さぁ、乗れ。急ぐぞ。宴に間に合わんと困るからな」
「あの、この車で行くのですか?」
「おう。いいぞ、軽トラは。狭い道も小回りが効くし、荷台になんでも載せられるからな」
 白い年季の入った軽トラの荷台側面に『お酒は住吉酒店』と店のロゴが入っている。
 慣れた手つきでシフトレバーを動かし、やや強引に車を発進させる。
「千八稲荷さんのとこから繋ぐか」
 光明禅寺の手前、千八稲荷社の敷地へ入った途端、濃霧に当たりが包まれる。そうして濃霧の中をしばらく進むと、欄干の向こうに水糜庵が見えた。あちこちが霧にかかっているが、その豪奢な建築は見る者の目を奪う。
 軽トラを路上に駐車すると、またもや片手で担ぎ上げられる。
「おう。邪魔するぞ」
 敷居を跨ぐと、パタパタと色とりどりの小鳥がフロントの上に留まる。背中には着物を着た神々が鞍をかけて横座りしている。
「いらっしゃいませ!アマノタジカラノミコト様! 菅原道真様! ようこそ、お越し下さいました」
 深々と頭を下げられる。毎年お世話になっているのはこちらの方なのだから、頭を下げるのはこちらであるべきだ。
「すいません。今年もお世話になります」
 チチっと一羽のスズメが指先に留まる。その背には髭を蓄えた厳しい顔の老人が座していた。
「ワケイカズチノオオカミ様。ご無沙汰しております」
「堅苦しい挨拶は不要ぞ。一刻も早く癒しの湯で心身を癒すが良い」
「しかし、珍しいですね。お屋形様自らがいらっしゃるなど。何かありましたか?」
「ふむ。実はな、只人が泊まりに来ておるのだ」
 こそこそと囁くのも無理はない。ここは人がやってきて良い場所ではないのだ。八百万の神々が疲れを癒し、神力を充実させるための憩いの宿。そして、神々の中には人を食べる者も少なくない。
「紛れ込んだのですか?」
「いや、正式な客じゃ。年末に送るチラシから連絡を貰っておる。予約専用ダイヤルにかかってきおったからな。これはいかんと気づいたのは、迎えの牛鬼車に乗せてからじゃ」
「予約を貰った段階で分からないものでしょうか」
「まぁ、聞き覚えのない神じゃな、とくらいにしか。なにせ数が多いでな。千年近く顔も合わさぬ者もおるし、出雲の集まりとて見知った顔なんて数えるくらいにしか会わぬわいな」
 私も神無月になると、竈門神社の御祭神と共に氏子の良縁を勝ち取るべく、出雲に新幹線で向かうのだが、その集まりの規模ときたら尋常ではない。八百万の神々が一堂に会するのだ。八百万もの数である。人間が年末に行うコミケにも参加している神が「数ならうちらの集まりの方が圧倒的に多いけども、夏のコミケは暑さで死ぬ」とのたまっていた。そのコミケとやらが75万人である。その10倍以上の神々が集うのだ。
「毎年思うのですが、もっとこうやり方を考えるべきですよね」
「伝統故、仕方あるまい。それに、あれも集まる口実に過ぎぬよ。その後の打ち上げの宴会が主じゃからな。いや、それよりも今は件の人間の方をどうすべきか」
「俺は追い出すべきだと思うけどな。人にここの湯は効き過ぎる」
「私は反対ですね。せっかくの旅行なのですから、きちんと持て成すべきです」
 どんな事情であれ、彼らとて好き好んでやってきた訳ではないのだ。
「ふむ。菅原殿の言い分に一理ある。では、なるべく我らは姿を見せぬよう配慮致そう。しかし、風呂などはどうするね?」
「大丈夫じゃありませんか? 人の姿をした神々も多いですし。最後に夢とでも思ってもらえれば」
 人間というのは結局の所、自分の信じたい事しか信じぬものだ。
「すいません。あの、もう限界なので風呂に行っても良いですか」
「引き留めて済まぬな」
 いいえ、と答えるよりも早く、ぐい、と肩の上に担ぎ上げられる。
「ようし! 風呂だ、風呂に入るぞ」
 
   ●
 従業員の雀たちに身体を清めて貰い、ようやく露天風呂の湯船に浸かる。
 水糜庵は八百万の神々が疲れと穢れを癒やす宿だ。そのサイズもバラバラで人間大の神ばかりではない。軽々と山を跨ぐような神もいる。その為、露天のサイズも異界じみている。巨大な滝、七色に輝く霧、何処からともなく聞こえてくる天上の音楽。
「雅楽っぽい音色は正月感があるので、遠慮したいんですけどね」
 ぐったりと湯に浮かびながら、他の神々に目をやると、何処の神々も憔悴し切っている。無理もない。年末年始というのは神々にとって繁忙期なのだ。おまけに今と昔では参拝の中身も随分と様変わりした。昔は神々の前で誓いを立てることで、その加護を願ったものだ。しかし、いつの間にか願いを叶えて貰うというものになってしまった。御神徳を得ようとするのは変わりないのだが、他力本願という意味合いが強い気がする。
 そもそも御神徳も万能ではない。私は勉学の神として祀られているが、何も受験生の偏差値を急上昇させるような力はない。私に出来るのは試験まで健やかでいられるよう、病魔や厄災を退け、勉学に励むことができるようにするのが精々で、合格のお墨付をあげられる訳ではないのだ。
 それでも、根が真面目な私は参拝客の一人一人の声に耳を傾け、どうにかならぬものかと頭を悩ませる。近所や知り合いの神々に相談をしてみたり、市役所で行政をチェックしてみたりする。出来ることなら、誰もが幸せになるよう願わずにはいられない。
 こうして髪の毛が真っ白になってしまうのも、毎年のことだ。年がら年中、参拝客の絶えない我が社ではあるが、ここ半世紀は尋常ではない。地域の神々が一丸となって事に当たらねば到底乗り越えられないのだ。最近は百濟や唐の観光客が参拝に来るが、御神徳の圏外なので月末にまとめてあちらの神々へ加護を丸投げしている。電子メールで済ませられるのだから、グローバル社会である。
「まぁ、争うよりもずっといいか」
 今は国籍も性別も人の営みには関係なく、果ては神々も人に混じってアイドルのライブに出かけたりする世の中である。神の方も身分を偽って人と居酒屋で飲み交わし、カラオケでヒットバラードを歌い、道端で戻したりする。良い世の中になったものだ。
「すんません。ここ、いいですか?」
 不意に声をかけられ、顔を上げると、右腕のない青年がタオル片手に立っていた。何処か不思議な雰囲気のある子で、すぐに彼が見鬼であることがわかった。なるほど、彼が迷い込んだという人間か。
「ええ。どうぞ」
 まだ何処か幼さの残る顔が、湯船に浸かって溶けるようにほぐれた。
「あー。気持ちいいー」
「はは。気持ちいいでしょう。ここは特別な温泉ですからね」
「お兄さん、ここの常連さん?」
「まぁ、毎年来ていますからね」
「そうなんだ。なら、神様かな?」
 急に言い当てられ、思わず目を白黒させてしまった。
「あはは。当たりか。すごいな。人の形をした神様なんて視た事なかった」
「わかるのですか?」
「俺さ、右目が少し特別で。お兄さんが光ってるように視えるんだよね。昔、ビルに巻きついてる無茶苦茶大きな蛇の姿をした神様を視たことがあるんだ。あの蛇もぼんやり光ってて。ああそういうもんなんだなって」
 これは驚いた。昔は人間の中にも神を視ることのできる人間は少なくなかった。昨今でも赤ん坊や、無垢な幼子などは視えることがあるが、これほど深く視ることのできる人間はそう多くはない。
「まぁ、今はオフなので。ただの湯治客に過ぎませんよ」
「なら、気さくに話してもいいよね。お兄さん、ここは凄いね。現世でもないし、あの世でもない。幽界ってやつかな」
「名前は色々ありますよ。時代や土地でも呼び方は違いますし。常世の国なんて言い方もありましたね」
「道理で。天国みたいに居心地いいもんな。こりゃあ、あの爺さんの差し金かな」
 青年はそういうと、右腕の付け根を揉みしだいた。
「事故ですか?」
「あー、うん。バイク乗っててタクシーと事故った。それから腕の感覚だけが残ってて、死んだ人の願いやらなんやら聞いている内に、いつの間にかこの有様。もう半分、あの世に足を突っ込んでる」
「この世のものではないモノにあまり近寄らない方がいい。中には生まれつき、そういう世界と繋がっている人もいますけどね。そんな人は稀ですよ」
「あー、俺の姉弟子がそんな感じです。魔女みたいな」
「その人の真似をしてはいけませんよ。命が縮む」
 私の時代にも居た。賀茂忠行殿。彼は高名な陰陽師だった。誰よりも深く物事を見通す『眼』を持っていた彼は、性格的には破綻していたが、その才を時の帝は絶対的に信頼していたのを思い出す。
「そうなんだよね。俺はやっぱりそういう才能はないんだ。この腕だって、たまたま手に入れたもので、使いこなすどころか、どんどん身体を蝕んでる」
「そうまでして、しなければならないことがあるのですか?」
 青年は正面を見据えて、何事か思案しているようだ。
「分からない。ただ、そうすべきだと思うんだ。師匠とはもう呼べないけど、もう亡くなった恩人が俺をここに寄越した気がする。おかげで右脚も動くようになったし」
「君は、お師匠様とは良い関係でしたか?」
「いやー、それが全然。拾ってもらって修行してたんだけど、全然モノにならなくて。才能もなかったし。それに俺は師匠のような考え方が出来なかった。才能の塊だった姉弟子も師匠に反発して。結局、二人して破門された。お節介な爺さんだったよ。尊敬してた」
「なぜ、破門に?」
「んー。師匠のいう『怪異と人の仲立ち』ってのが納得できなかったんだよね。俺は人があんまり好きじゃない。だから死んだ霊の復讐に手を貸したり、成仏させる為に加害者を死に追いやったこともある。だって、おかしいじゃないか。法で裁けないものを、被害者が裁いて何が悪いんだ」
 ああ、この子は本当に真っ直ぐだ。斜に構えた部分もあるのだろうが、彼は若者らしい正義感を持って自分の置かれた環境と向き合っている。御神徳を与えてあげたいところだが、その必要はなさそうだ。
「大丈夫。君のお師匠様は、今でも君のことを見守っていますよ」
「本当? もしかして此処にいたりする? 俺が視えないだけで」
「視えるものが全てではありませんよ。死んだ人の想いは残りますから。良くも悪くも」
「それは、お兄さんも?」
「はは、困りましたね。そんな質問をされたのは久しぶりだ。そうですね。絶望と悔恨の果てに死に、宮中に雷を落としたりもしましたが、今は後悔していますよ。おかげで、こういう立場に祀られるようになったというのも複雑な気持ちですが」
「それって、もしかして」
「今はオフですからね。昔話は止しましょう。それに、君はどう見ても受験生ではないようだし」
「あはは! もっと早くに会いたかったよ。まぁ、大学も中退しちまったけど」
 二人でひとしきり笑うと、彼が立ち上がる。
「ありがとう。お兄さん。少し考えがまとまりそうな気がしてきたよ。カウンセラーとか向いてるんじゃない? 迷える子羊を導くのとか」
「そういうのは、あちらの神様の専売特許ですから」
 宗旨に合わない。我々は人事を尽くした者にこそ、天命を与えるのだ。
「そりゃそうだ。じゃあね。お兄さん」
「ええ。ご縁があれば、いつかまた会いましょう。桜千早くん」
「あれ? 俺、名乗ったっけ?」
「名前を読み解くぐらいは、なんてことありませんよ。あなたの悩みも解決してあげられたら良いのですが。それは貴方が答えを出さないとね」
「オフなんだからゆっくりしなよ。お兄さん」
「菅原です。私の名前は菅原と言います」
「ありがとう。菅原さん。またね」
 彼は快活に笑うと、違う湯船へと軽やかに走っていった。気持ちの良い若者もいるものだ。
「ん? そういえば、二人組みではなかったかな?」

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 風呂から上がって髪を乾かそうと鏡の前に立つと、ようやく髪の毛に色が戻ってきている。このまま禿げ上がったらどうしようか、と毎年不安になるのだが、今年もなんとか乗り越えられたらしい。
 ドライヤーで髪を乾かし、浴衣に着替えてから脱衣所を出ると、思わぬ人物が仁王立ちして立っていた。
「ど、どうしたのですか。こんな所に。男湯に何かご用が?」
 美女という言葉では、この御方の美しさは形容できないのだが、私にはこれ以上の語彙がないのでどうしようもない。日本を代表する三女神、宗像に社を持つ屈指の神である。名をオキツシマヒメ、天照大御神によってスサノオノミコトの剣から生み出されたという、神の中の神なのだ。私のように人間が神に祀られたものとは違う、正真正銘の女神である。
「人間が紛れ込んでるのよ。アンタ知ってた?」
「ええ。先程、温泉で話しましたから」
「はぁ? ちょっと、それってどんな奴よ。背の高い真面目そうな奴? 綺麗な顔立ちをしてる神経質そうな感じの」
「いいえ?顔立ちは整っていましたが、若くて少し生意気そうな感じの青年でしたよ」
「連れの方か。まぁいいわ。ちょっと戻って連れ戻してきて」
「え? 今からですか!? 今上がったばかりなんですが」
「当たり前じゃない。人間がこんなところでのんびり温泉に入ってたら、頭からバリバリ食われてもおかしくないわ。ベロンベロンに酔っ払った神なんて一番始末に負えないんだから! 早く宿から追い出してやらないとダメよ」
 物言いはきついが、気に入った人間には甘い。彼女の坐す社は玄界灘の果て、女人禁制の沖ノ島という絶海の孤島にある。昨今、世界遺産に登録されたせいで良い男がやってこなくなったとぼやいていたが、彼女の神性を考えれば宮司たちが悪戯に人が上陸できぬようにしたのも納得がいく。
 神とは本来、恐れ敬われる存在なのだ。
「菅原。先輩の言うことが聞けないの?」
 怖い。流石はスサノオノミコトの剣から生まれたと言うことはある。勿論、絶対に口に出しては言えないが。八百万の神々に位の上下はないが、絶対的な先輩後輩の上下関係は存在する。
「大丈夫ですよ。簡単に食われてしまうような子ではありませんでしたから。あれで相当場数も踏んでいるようですし」
「そうかしら。私が連れてきたのは、融通の効かない頭でっかちって感じだったけど。まぁ、顔は悪くなかったわね。ああ言う知的な顔ってのも昔はいなかったし。今はイケメンて呼ぶのよね、メガネ男子は嫌いじゃないわ」
 顔の話ばかりだ。
「左様ですか」
「まぁ、アンタがそこまで言うのなら良いでしょう」
「では、自分はこれで」
「宴会場でみんな先に呑んでるから早く行きなさい。妹たちにも事情を説明しておいて」
「わかりました。オキツシマヒメ様は?」
「私? 私はちゃんと二人が無事に出てくるのを見届けるまで待ってるわ。何かあったら守ってあげないと。正月のおめでたい時に死なれたら夢見が悪いもの」
 なるほど。なかなかのタイプだったらしい。氏子であったなら御神徳の1つでも与えて貰えただろうに。
 貧乏籤だわ、と言いながら律儀に二人を待つ姿はなんとも女神らしかった。

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 宴会場は想像していたよりもずっと混沌としていて、もはや収拾がつかない有様になっていた。途方もなく広い座敷を埋め尽くすように、八百万の神々が酒器を片手に顔を真っ赤にして躍り狂っている。笑い上戸の神や、泣き上戸の神、怒り上戸の神で宴会場は騒がしいことこの上ない。部屋の隅には下戸の神々が集まって、嫌悪感丸出しの顔で彼らを遠目に眺めている。皆、口々に飲酒がいかに悪影響であるかを説き、アルコールに負けるなと互いを慰め合う様はなんとも神らしくない。
 私は程々に酒を嗜むが、今回は下戸の神々の隣に腰を下ろした。素面であの渦中に飛び込めば、高速道路へ時速20キロで合流するようなものだ。大事故が起こる。
「やあやあ、菅原道真殿ではありませんか。お久しゅうございますな」
「どうも、ご無沙汰しております。クエビコ様」
 久延毘古様は畑に立つ案山子の姿をしていて、大国主様の国造りの際にも知識を発揮した博学の神である。田の神、山の神、農業の神として御神徳を与えている。久延毘古は当て字で、本来は「崩え彦」といい、体が崩れた男という意味だ。すなわち、案山子のことである。
「菅原殿は大変でしょう。髪の毛がまだ斑らになっておりますぞ」
「一晩寝れば元に戻ります。毎年のことですから、もう慣れました」
「ささ、一献どうぞ。私はこの通り、口もなければ目もありませぬからな。氏子が奉じてくれた、この案山子がなければ、こうして座敷に座ることも出来ませぬ」
「しかし、なんと言いますか、随分と派手な御身体ですね」
 鮮やかな絵の具で彩られた、てるてる坊主のような頭にはプラスチックの目と口がついている。胸の部分には拙い字で「1ねん2くみ ごほうのう」と書かれていた。背中には幼児用のアニメのキャラクターまで描かれている。
「良いでしょう! これ! 私の氏子の子供達が学校で作ってくれましてな。紅葉のような小さな手で一生懸命こしらえてくれたのです。宮参りの時分から見知った子供たちが、こうして依り代を作ってくれるというのは、神冥利に尽きるというものですよ」
 頭をくるくると回転させて喜ぶ姿が、なんだか妙に愛らしい。
「素晴らしいですね。羨ましい」
「子は宝ですなあ」
「うちの境内にも幼稚園がありますが、あれは癒されますね。ただ最近は世間の目も厳しいので、ニコニコと小一時間ほど眺めておりましたら、警官に職務質問をされる羽目になりました」
「主神ですのに」
「オーラがないんです。免許証を見せてもなかなか納得してくれなくて困りました。名刺を渡しても怪しまれる一方で」
「広義で言えば宗教団体ですからなぁ」
 彼らも仕事でしているのだから仕方がないが、他ならぬ自分の神社の境内で不審者扱いを受けるというのは流石に辛い。神使である鷽も苦笑していたが、無理もない話だ。
「それにひきかえ、私などは見つけてくれる者も殆どおりません。こうして依代がなくば、形を持てぬ無形ゆえ、少し羨ましくもありますな」
 クエビコ様に限らず、実体を持たない神々は少なくない。特に国造りよりも前の高貴な神々は形を持たない神ばかりであったという話だ。しかし、不審者扱いされるよりは良いだろう。
「菅原殿は神として、ここまで実直に務めを果たされる。傲慢で奔放であっても良いでしょうに。何故、そのように身を粉にして人の子らを守護するのか」
 確かに八百万の神々の殆どは、傲慢で自由奔放、祝福と祟りを与える理不尽な存在だと言えるかもしれない。人の生死にも、ある種の観念を持っている。だが、それでもこの国に住まう神々は、人のことを愛しているのだ。
「負けず嫌いなのでしょう。あれだけ多くの人の子らが誓いを、嘆願をしにやってくる。健やかに在れますよう、と満願を込めて。それらから背を向けてしまえば、私はきっともう勉学の神ではなくなってしまう。またあの荒ぶる神として、祟りを撒き散らしてしまうのでしょう」
 生前、私は失意の底で死んだ。見送る子らに詫びながら、その生を閉じた。怨みがなかったと言えば嘘になる。私は命の尽きる刹那、確かにあの都を呪ったのだから。憎悪と怨嗟を込めて、決して許さぬと。
 その結果、私は大勢の命を奪った。祖に神を持つが故、というのもあるだろう。私は祟り神として、雷を以って天神となった。そうして、恐れた者どもが私を神に祀り上げた。
 神になったから私は正気に返ったのではない。子孫たちが都に戻ることができた。それが何よりも私を慰めてくれた。やがて父母も神籍に入り、一族の汚名は晴らされたのだ。
「私はこの現代の御代において、なかなか楽しく過ごしております。人の友人も多くできましたし、趣味もあります。人の子らの願いの後押しをするというのも楽しいものです」
 クエビコ様は頭をくるくると回して、酒瓶を手に取った。
「菅原殿は善良な神でいらっしゃる。さぁ、呑みなされ。英気を養い、人の子らに御神徳を届けねば」
 はい、と私は頷いて酒器を煽る。
 神の宴は続く。
 
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 気がつくと、私は他の神々と一緒に廊下で朽ち果てていた。雀たちが惨憺たる宴の残骸を片付け始めている。はだけた浴衣があちこちに散乱していて、全裸で転がる男神も少なくない。
 鹿の姿をした神が、右の角が取れているのに気づいて混乱して何処かへ走り去ってしまった。残念だ。隣で尻を出して寝ている男神の手の中に角があるのに。
 起き上がると、疲労はすっかり飛んでいっていた。流石は醸造の神が造った酒だ。二日酔いするどころか、若返ったのではなかろうか。腕もよく上がるし、関節も痛くない。まるで十代の体に戻ったようだ。
 自分の座敷へ戻って眠気覚ましに朝風呂に入る。個室の露天風呂だが、朝靄に煙る海を眺めるのも悪くない。そういえば、昨夜の彼も温泉に入っているだろうか。
 チュンチュン、と庭木に留まった従業員の雀たちが声をかけてくる。
「おはようございます。朝餉をお持ち致しますが、よろしいでしょうか? それとも宴会場で皆様とご一緒なさいますか?」
「いや、自分の座敷で頂こう。宴会場では迎え酒をし始める神々もいるだろうから」
 かしこまりました、と雀たちが元気よく飛び立っていく。
「やっぱり温泉は良い。二日市の温泉も良いけれど、ここの温泉は格別だなあ」
 充分に暖まってから風呂から上がり、身支度を済ませてしまう。いつの間にか用意されていた朝餉を食べ、座敷の中を軽く掃除してから、出立することにした。
 
 ロビーに向かうと、従業員の雀たちが慌てふためいている。
「どうしましたか?」
「ああ、菅原様! 実は人間たちが宿を出るために今こちらに向かっているのですが、肝心の御代をどうするか困っているのです」
「御代?」
「はい。ワケイカズチノオオカミ様が『人には過福ゆえ、寿命を如何許りか頂かねばならぬ』と仰ったのです。神の宿に泊まる代償だと」
「ワケイカズチノオオカミ様は何処に?」
「朝から他の神々様と宴を催していらっしゃいます。ああ、もう来てしまいました!」
「君たちは隠れなさい。あとは私が良いようにしておくから」
 パタパタタ、と雀たちが一目散に逃げ出した直後、昨夜の彼がひょっこりと顔を出した。
「お、昨日のお兄さんじゃん」
 彼の隣に立つ、背の高い神経質そうな眼鏡をかけたイケメンが同伴者か。なるほど。年上でいかにも世話焼きといった風に見える。ああいうタイプは絵馬にも今年の目標を淡々と書くタイプだ。
「ああ、昨日の。こんにちは、答えは出ましたか?」
「まぁね。お陰様で。お兄さんもチェックアウトするとこ?」
「ええ。いい加減、戻らないといけませんからね。こちらとあちらでは時間の流れ方が違いますから。ふふ、どれだけ仕事が溜まっているやら。お正月が終われば他の人もそれぞれの土地へ帰りますからね。正真正銘、一人での戦いが始まるので」
「でも疲れはかなり取れたんだろ?」
「そうですね。あなたも随分と身体が元に戻ったようで。でも、無理はしないほうがいい。ご友人も心配しています」
 視線を向けると、ドキッとしたように目を白黒させている。素を出さないタイプに見受けられるが、割とトラブルには弱そうだ。
「先にチェックアウトしてください。私は人を待っているので」
 嘘だ。帰りは誰の力も借りずに帰ることができる。他の神々はもう暫く鋭気を養うだろう。
「そう? ならお言葉に甘えて」
 彼がフロントの呼び鈴を鳴らすと、顔の前を布で覆った着物姿の女性が出てきた。どうやら雀たちが必死になって人に化けたらしい。雀は差し出された鍵を無言で受け取り、一枚の請求書を差し出す。そこには、
「十年?」
 それだけ書かれていた。金額の提示もなく、ただ「十年」と。
「なんだ、これ」
「何が十年なのでしょうか」
 困惑するのも無理はない。まさか一宿一飯の代償が寿命十年とは夢にも思うまい。
「ああ、いいんだ。ここの支払いは私たちが出すから。このまま返してあげて欲しい」
 雀はどうして良いのかわからず、暫く沈黙していたが、ぎこちなく一礼すると、領収書を記入して差し出した。そこには気を使ってか、法人名で領収が切ってあった。
「さぁ、もう帰った方がいいですよ。ここを出たなら真っ直ぐに坂を降りて。途中、何度か分かれ道になっているけど、気にしないで真ん中の道を通れば駅に出られますからね」
 人の身を放り出すのは忍びないが、私はついていけない。自分たちの足で此処へ来た彼らは、自らの足で帰らねばならぬのだ。
「あの、お支払いしますから、お幾らでしたか?」
 イケメン眼鏡が慌ててそう言ってきたので、私はそれを固辞した。私は生前からイケメンには借りを作らないことを信条としている。
「いいのいいの。そんなことは気にしないで。ほら、早く行かないと、他の人たちがやってきますよ。さぁ、急いで」
 ぐいぐいと背中を押し、二人を宿から追い立てる。少々、強引かもしれないが、人の身であまり長居すると本当に此処から出られなくなってしまう。
「最後に1つだけ。坂道を降りている間は、決して後ろを振り返らないように」
 もしも振り返れば、二度と此処から出られなくなってしまうから。
 黄泉比良坂の話に曰く、此処は人にとっては異界と同じ。
「ありがとう。菅原さん」
「桜くんも元気で。さぁ、いきなさい」
 とん、と背中を軽く突き飛ばし、二人の姿が朝もやの彼方へと消えていき、やがて見えなくなった。彼らはうちの参道に出ただろう。運が悪ければ、少し月日が経っているかもしれないが、帰れただけ有難いと思ってもらう他はない。
「さて、帰りますか」
 ひとりごちて、朝靄の中を歩く。
 雅楽の音が聞こえる。さぁ、私は正月の四日目へ向かわねば。

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