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雨季噂架

 夜明け前から降り始めた雨は次第に雨脚を強め、昼食を食べ終わる頃には嵐もかくやといった勢いとなっていた。
 ソファに寝転んでぼんやりと外を眺めている千早君を他所に、私は家中の家事に勤しんでいた。無垢材の家具は湿気や乾燥に弱いので定期的にオイルで拭き上げてメンテナンスしてやらねばならないし、カーテンレールの上やダウンライトの中に溜まる埃を払ったり、掃除ひとつ取っても時間と手間がかかる。
「退屈だ。外に出られないとやる事ないな」
「千早君。家事を手伝おうという気にはなりませんか?」
「えー、嫌だ。三食昼寝つきっていうから居候してるのに。掃除は特に嫌だ」
「汚い部屋は嫌じゃありませんか?」
「大野木さん。俺の家の中、知らない訳じゃないよな?」
 確かに千早君の家の中の惨状は筆舌に尽くし難く、足の踏み場どころか、そもそも立ち入れない部屋の方が多いという有様だった。いや、居住空間であるリビングだけは割と片付いていたが、あれは他の部屋に物を押し込んでいただけだ。整理整頓とは呼べない。
「あの家で寝泊りしているとは、にわかには信じられませんでした……」
「男の一人暮らしなんかそんなもんだろ。俺が大学の時のアパートも似たようなもんだったぜ? 友達んとこも似たり寄ったり。大野木さんが潔癖症なんだよ。フツーの男は朝一にトイレの便器掃除したり、風呂場の水垢取ったりしない」
「そうでしょうか。最低限の掃除はするものでしょう?」
「ははは。甘いな。俺は年に一度も掃除をしないこともあった」
 想像してしまい、思わず顔が青ざめていくのを感じた。1年、すなわち365日間も埃も払わず、窓も拭かず、便器も磨かず、エアコンや空気清浄機のフィルターも掃除しないだなんて。
「そんな環境で、病気にならないものですか?」
「仕送りがなくて栄養失調になったことはある」
「それは掃除とは無関係では……」
「そんなことよか、なんかしようぜ。退屈で死ぬ」
「外出してきたら如何ですか? 駅前はそれなりに賑やかですよ」
「こんな雨の中、出かけたくねぇ。濡れるし」
「雨の中、傘もささずに出歩く人の言葉とは思えませんね……」
 しかし千早君の言葉にも一理ある。退屈はよくない。私が一人で家事をしていては、千早君も居心地が悪いのかもしれない。考えてみれば掃除は日常的にこまめに行っているし、何も今日のような日にまで行う必要もないのではなかろうか。
「わかりました。何かしましょう。映画でも観ますか?」
「途中で寝るからいい。もっとこう楽しいやつがいいな。今度、卓球とか買おうかな。テーブルに着けるだけのやつ。ネット取り付けるだけで卓球がやれる」
「却下です。無垢材が傷つきます」
「うええ」
 どうしてもと言うのなら専用の卓球台を購入した方がまだ良い。長年、磨き上げてきたウォールナットの無垢材でオーダーしたテーブルに傷をつける訳にはいかない。
「そうだ。怪談話は?」
「怪談、ですか?」
「そう。怪談。怖い話」
 どうしようか。ここは突っ込んでおいた方が良いのだろうか。日常的に怪異と遭遇している霊能力者が怪談話をするというのは、なんだかとても奇妙な気がする。なにしろ全て実話なのだ。
「それは怖い話というか、業務報告のような気が……」
「大野木さんが知らない話にすればいいだろ?」
「わ、わかりました。ですが、私はなんの話をすれば良いのですか?」
「そんなの怖い話に決まってるだろ。怪談話してくれよ。背中が凍りつくようなやつを頼むぜ」
「千早君と遭遇したものばかりなんですが……」
「いや、そこは『これは友人の◯◯から聞いた話なのですが』みたいなのでもいいから」
 そんな事を言われても、私の友人知人に怪異に遭遇したことのある人物などいない。
 さて、どうしたものか。

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