迷夏孤曜
ぼくは将来、きっと立派な人間になる。
クラスメイトの誰よりもたくさん勉強をしているし、他の子が昼休みに遊んでいても、ぼくは教室でずっと予習復習をしている。先生もぼくのことを「努力家」だと言うし、校長先生からも賞状をたくさんもらっているので優秀だ。
お父さんはいつも口を酸っぱくして『勉学にはげみなさい』という。そんなお父さんは会社でも大変えらい人なので、このままたくさん勉強をしていたら、ぼくも将来はお父さんのように偉くなるだろう。
日曜日。お父さんとお母さんが珍しく同じ日にお休みだったので、ぼくは家族でどこかにお買い物に行きたかったのだけれど、思いも寄らないことを言われてしまった。
「お前ももう小学二年生。春になれば三年生となる。そろそろ一人でお使いくらいできないとな」
「少し距離はあるけれど、地図アプリもあるから大丈夫よ。でも、車には気をつけて。変な人から声をかけられたらアラームを鳴らすのよ。わかった?」
ぼくの意思なんて聞いてもくれない。まるで最初から決まっていたみたいに言われたので、ぼくは大変ふんがいした。子供の頃なら泣いて怒ったかもしれないけれど、妹の前でそんな情けないことはできない。ぼくはなんでもないように頷いて、買い物をするもののメモを受けとった。
いってらっしゃい、と家の前で手をふるお父さんとお母さん。それからお母さんの足元にしがみついている妹に手をふって、ぼくは初めてのお使いに出かけた。なんだか急に心ぼそくなってきたので、前を向いて歩きだすことにする。
ぼくは勉強しかできない頭でっかちではない。体育の授業も二重丸をもらうほど、運動神経がいい。クラスメイトの女の子たちの中にも、ぼくのことが好きな子がたくさんいると思う。
そんなぼくがお使いくらいで泣いているのを見たらどう思うだろうか。きっと馬鹿にされるにちがいない。特にクラスのいじめっ子の武内くんに見つかったりしたら大変だ。彼はとてもいじわるで頭が悪く、おまけに乱暴ものなのでクラスの中でもたいへん嫌われている。当人は自分のことを人気者だと思っているが、そんなことはない。あわれだ。ぼくは前に一度、まじめに先生の話をきかないことを注意したら、べちん、と頭を叩かれてしまった。すぐに先生にほうこくにいったので、武内くんはこっぴどく叱られていたけれど、彼は大変に頭が悪いので、きっと反省なんてしていないと思う。
あれからというもの、武内くんとその子分たちに会うと、いじわるをしてくるので困っている。ぼくのことが嫌いなら放っておいてくれたらいいのに、いつもいつもいじわるをしにくるから、もしかすると彼は僕のことが好きなんじゃないかと思うくらいだ。でも、彼がどんなにぼくのことを好いていても、ぼくは彼のことが嫌いなのでどうしようもない。諦めてほしい。
近衛湖疎水にさしかかり、ポケットからお母さんがくれたメモを取り出してみて、ぼくは思わずムッとなってしまった。お醤油くらい、ひらがなで書かなくても読める。書けないけど。
「お使いの品は、お醤油、のり、マヨネーズ、にんじん」
ぼくは眉をひそめた。のり、はどちらなのだろうか。ひらがなだと食べる方の海苔なのか、工作に使う糊なのかわからない。
「お母さんはこういうところがあるから困る」
目的地のスーパーまでは学校よりも少し遠いくらいだけれど、携帯電話の地図アプリがあるので道に迷う心配もいらない。けいかは大変順調だ。寄り道もせず、すぐに買って帰れば、お父さんたちも感心するにちがいない。
けれども、お父さんがいつも言っているように、世の中はそんなに甘くはなかった。
「橘。お前、こんなとこで何やってるんだよ」
スーパーの前にあるベンチに行儀悪く座って、棒アイスを食べている武内くんと子分ふたり。今日の子分は吉田くんと原くん。ふたりとも武内くんに負けず劣らずの乱暴者で、おまけに小ずるいところがあった。強い人の前ではへりくだり、弱い人の前ではえらそうにする。ぼくは本でこういう人たちのことを太鼓持ちとか鞄持ちとか言うことを知っていた。
「買い物に来ただけだよ」
なにが楽しいのか、ぼくを見てニヤニヤと笑っている。彼らくらい頭が悪いと、休日にクラスメイトと会うだけで笑えるのかも知れないが、ぼくはなんにも面白くない。
「金持ってんだろ? くれよ」
馬鹿じゃなかろうか、とぼくは思ったが、彼らは本当に馬鹿なのを忘れていた。
「ぼくの家のお金を、どうして君たちにあげなきゃいけないの?」
「うるせぇ」
ああ、これだから頭の悪い人の相手をするのは嫌なんだ。国語を習っているのに話が通じないのだから。道徳の時間なんてきっと眠ってしまっているに違いない。
ぼくは運動神経がいい方だ。でも、喧嘩はまるで強くない。人を叩くのも嫌いだし、叩かれるのも嫌いだ。だからと言って、お父さんとお母さんが働いて手に入れてくれたお金を奪われるのは許せない。
「ぶん殴るぞ。早くサイフ出せよ」
出せよ、と太鼓持ちたちが繰り返す。
「絶対に嫌だ」
言い返すなり、ぼくは方向転換して走り出した。捕まえろ、と後ろから声が飛んできたけれど、怖がっていられる余裕はない。とにかく足を動かして逃げる。大丈夫だ。ぼくの方が足が早いし、頭もいい。あんなゴブリンたちに追いつかれるはずがない。
ぼくはとにかく彼らを引き離そうと右へ左へと路地を曲がる。前に授業で地図を作ったので、屋敷町の道はだいたい頭に入っていた。
「おい、いたぞ!」
曲がった路地の先に武内くんがいたので、慌てて反対方向へと逃げる。どうして先回りされてしまったのだろう、と考えたところで致命的なミスに気がついた。地図を作ったのはぼくだけではなかった。社会の授業の一環でクラスメイト全員がそれぞれ作ったのだ。おまけにぼくは一人だけど、相手は三人。多勢に無勢とはこのことだ。
このままではいけない。ぼくは一か八か、立て看板の隙間に身を隠すことにした。お尻が少しだけ出てしまうけれど、ここは薄暗いから見つからないかも知れない。とにかく身体を亀のように縮こめ、息を止めて気配をたつ。
しばらくして武内くんたちの声が近づいてきた。
「おい、あいつどこ消えたんだよ!」
ぷりぷり怒っている武内くんが子分達に八つ当たりしているらしい。あんな乱暴者に、大して考えもせずに従うからこういうことになる。
武内くんが公園の方を探すぞ、と怒り狂ったように言って、どこかに走っていく。
「…………」
ぼくは看板に頭を突っ込んだまま、しばらくそのままでいた。もしかすると罠かもしれない。彼らにそんな演技ができるとは思えないけど、もしかするともしかするかも。なので、危険が去ったと確信できるまでじっとして待つ。
どれほど経ったのか。ぼくは慎重にお尻の方から後退し、看板から脱出する。ぼくの作戦勝ちといえるだろう。
「能ある鷹は爪を隠す。ゆえに、ぼくはお尻を隠す」
さぁ、これで心おきなくお使いを続けられる。念のため、帰りはいつもとは違う道を通って帰ったほうがいいだろう。
しかし、ここで不思議なことに気がついた。なんだか路地裏の様子がおかしい。薄暗くて、まるで夕方みたいだ。ぼくは急に心細くなってきた。
おそるおそる路地から出ると、自分の目をうたがった。お祭りがあっている。おまけに太陽がもう沈んでしまおうとしていた。お父さんから誕生日にもらった腕時計に目をやると、針があべこべに動いている。前に進んだり、後ろに戻ったり。通りを歩いている人も、なんだか変な人ばっかりだ。みんな、お面をつけて歩いている。子供はともかく、大人までしているなんて変だ。
お囃子の音が聞こえる。お店がたくさん並んでいて、お腹のすく匂いがした。
「お使い」
まだ頼まれたものをなにも買えていないのに。これではなんの為にやってきたのか分からない。迷子になるために来たようなものだ。ぼくは武内くんたちを恨んだ。おのれ。
しかし、ぼくはここで情けなく泣きだしたりしない。そんなみっともない真似は恥ずかしくてできないし、そんなことをしてもなんの解決にもならないからだ。ぐい、と袖で涙を拭う。
まずは家に帰らないといけない。きっと心配しているだろう。
「こらこら。無闇に飛び込むと、食べられてしまうよ」
ぼくの手を綺麗なお姉さんが、優しくつかんでいた。背の高い、ほっそりとした女の人だ。
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