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万年猫 第二話
栄誉ある干支のを鼠と争い破れ、地上へ追放されて数千年。
今日も今日とて、天帝からの便りはない。
これは、私が秦という国に住んでいた頃の話だ。
陽という街に李甚という老人が住んでいた。かつては一軍の将として名を馳せたが、王に諫言して不興を買い、役目を解かれたという。
「武人たる者、常に備えを怠ってはならん」
中庭に面した縁側で日向ぼっこをしている私に話しかけているのか。それとも独り言か。この老人は暇があれば身体を鍛え、武器の手入れをしている。戦斧を構え振るう、古傷に塗れた肉体はまだ僅かに筋肉を残している。
齢でいえば、とうに寿命を迎えていてもおかしくはないのだが、よく練り上げられた肉体と魂が長寿を保っていた。
だが、それも永遠ではない。
「いつ主上より命が下るやも知れぬ。心構えを忘れては不覚を取ろう。分かるな、天々」
私は丸まったままミャア、と気のない返事をした。毎日毎日、同じことを繰り返す李甚に付き合うのはもはや私の日課になっている。
黙々と斧を振るう姿を見るでもなく眺めながら、私は欠伸を噛み殺した。
「先生。また稽古などなさって!」
不意の大声に思わず飛び上がりそうになる。台所から中庭に顔を出したのは若い娘で、奉公人の小猫という。もちろんこれは渾名で、しかし本名はない。まだ六つか七つの頃に知り合いから孤児を押しつけられるような形で李甚の家にやってきた。小猫という名前も彼の元へ連れてきた人買いが戯れにつけたものだ。
「う、うむ。もう体調も良いのでな。武人たる者、いつ如何なる時も」
「ダメです。まだお医者様から激しい運動は御法度だと言われているんですから! 粥が焚けましたから、召し上がってください」
「う、うむ。では、そうしよう」
主と奉公人というよりは、祖父と孫のような関係だが、私はこの二人のやりとりを眺めるのが好きだった。平和で朴訥とした日々は、私のなによりの好物だ。
「天々もご飯にする?」
そう言いながら、慣れた手つきで頭を撫でる。耳の付け根、首の後ろ、背骨を滑るように撫でて、尾の付け根をとんとんと叩く。さすが幼い頃から私と共にいただけのことはある。文句なしの撫で方に、思わず腹を見せてしまった。
「先生の後に用意してあげるからね。さぁ、先生。昼餉にしましょう」
二人が屋敷の中に入ったので、私はいつものように散歩に出かけることにした。猫には縄張りがあり、そこにマーキングをして自分の居場所を主張する。私はそんな俗世のことになど関わりたくはないが、無用な争いも避けねばならない。
身体をうんと伸ばしてから、股の間を毛繕う。いつの間にか玉やら竿やらがなくなっているが、いったい何処に消えたのか。そもそも最初からついていなかったのか。今となってはもう思い出せない。
中庭の松の木に駆け上り、それから屋根の上に飛び移ろうとした時、私を呼ぶ声が聞こえた。かすれ声は馬小屋の方から聞こえてくる。
屋根伝いに歩いて行き、窓から顔を覗かせると、老いた馬が一頭こちらを見上げている。白髪交じりの葦毛の背にひょいと飛び降りてやった。
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