揺牡滴花
その依頼は夜行堂の主人からのものだった。
とある廃村にある襖を回収してきて欲しい、と彼女は千早君に言ったそうだ。千早君はあの店の主人に大きな借りがあるので、未だになんのかんのと程よくこき使われている。しかし、遠出で車が必要だからと私も借り出されているので、結局のところは私も似たようなものなのだろう。
場所は山間にある廃村、県庁の記録によると五十年も前に地図から名前が消えていた。それでもどうにか道が未だに残っているということは、誰かが定期的に其処へ訪れていると考えるべきだろう。
知人から借りた軽トラックで山道を走りながら、そんなことを思い出していた。対向車がくれば離合することもできないような、未舗装の狭道である。
「大野木さん。俺、つくづく思うんだけどさ。あいつ、俺たちのことを都合のいいパシリくらいにしか思ってねぇよな。助かるよ、とか言うけどさ、大して感謝してないだろ」
「今更気づいたんですか」
「あの野郎。くそ」
「野郎呼ばわりはよくないですよ。女性相手に」
「あいつに性別なんかねぇよ。皮かぶってるだけなんだから」
「やめてください。その辺りのことは考えないようにしてるんですから。あの人は美しい女性。それでいいじゃないですか」
「現実逃避っていうんだぜ。そういうの」
「好奇心は猫をも殺すって言葉をご存知ありませんか?」
「知ってるよ。馬鹿にすんな」
千早君の右眼には、彼女の中身というか、正体がはっきりと視えるのだろう。私からすれば神秘的な美女だが、視える人には性別さえ曖昧に見えるのだという。しかし、そんなことを追求してどうするというのか。
「あんな化け物に借りを作ったのが、運の尽きだよな」
「そういえば、聞いたことありませんでしたけど、どんな経緯があったのですか?」
「言いたくねぇ。今思えば仕組まれてたような気もするんだよな。確認した訳じゃねぇけど」
「きちんと報酬を出してくださるのですから、良いじゃありませんか」
「いや、大野木さんはロハじゃん」
「公務員ですからね。それに私が好きでしていることです」
対策室に依頼をかけて貰えれば良いのだが、彼女には戸籍がないので仕方がない。そもそも名前さえ知らず、住所さえ曖昧では調べようもなかった。
千早君は窓の外の景色を眺めながら、露骨に嫌そうな顔をしている。
「どうかしましたか?」
「どんどん深いとこに行くな、と思って。まだ着かねぇの? かれこれ一時間くらい山道走ってるけど」
「地図が正しければもうそれほど遠くはないと思いますが」
「さっきも同じこと言ってなかった?」
そういえば、先ほども同じようなやりとりをした気がする。
「ほら、そこの朽ちかけの標識、さっきも見た」
「そういえば、見かけたような気がしますね」
一度、車を止め、地図を確認することにした。
「携帯、圏外だとなんの役にも立たないな」
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