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天神飯 さいふうどん《福岡県太宰府市》

 八月。茹だるような暑さに辟易としながら、太宰府天満宮の参道の影を渡るように進んでいく。大勢の参拝客で行き交う参道をこうして眺めているだけでも崇敬が集まってくるのを感じられるが、今は兎にも角にも暑い。
「ええい、暑い。こうも暑いと生死に関わるぞ」
 隣を歩くウカノミタマ様は溶けかけのアイスクリームのようになりながら、不平を漏らしていた。扇子で顔を煽いでいらっしゃるが、熱風しかやってこないだろう。
 お昼をご馳走して下さるとの事で、急いで駆けつけたが、正直暑さでそれどころではない。冷房の効いた部屋へ帰り、お中元で大量に貰った素麺を消費してしまいたい。でも、やはり素麺はもう食べたくない。
「平安の世はこれほど暑くはありませんでしたから。今の夏とは全くの別物です。これでは優雅に詩歌を詠む余裕すらありません」
「歌なんぞ詠んどる場合か。どうにかならぬのか、菅原よ。お主は自在天神の神号を持つ神であろう」
 私、菅原道真は誰に憚ることのない、天満大自在天神である。天気を変えることなど造作もない、と信じて疑わない者も多いだろう。しかし、私の気分一つで天気を変えることなど到底できない。そんなことをすれば、あちこちの先達の神々より苦情がくる。天候というものは諸々の神々がさまざまな事情を鑑みて、高天原の神々と協議に協議を重ねて決めるのだ。それを私の一存で好き勝手にしてしまえば問題となる。場合によっては高天原へ呼び出されかねない。
 私の記憶によれば、スケジュール的に今日どうにかできるのは夕立を降らすくらいだ。
「うーん。雷雲を呼ぶぐらいなら出来ましょうが。気温云々は管轄外です」
「雨男じゃのう。誰も雨を降らせよとは言うておらぬわ」
 打ち水効果でそれなりに涼しくなるだろうが、その前に立ち昇る蒸気で蒸し焼きとなるだろう。
「ウカノミタマ様こそ天津神の一柱でいらっしゃるのですから、何か手段はないのですか?」
「たわけ。日輪は畏れ多くも天照大御神様の御神体ぞ。神も人も触れられる存在ではないわ」
 どうにかせよ、と仰ったのはウカノミタマ様の方なのだが、そんな野暮なことは言うまい。八百万の神々の世界とて年功序列。崇敬の多寡で決まるものではないし、知名度がものをいう世界でもない。
「しかし、こうも暑くては食欲がとんと湧かぬ。昼餉に何を食おうかの」
「ざる蕎麦や、ざるうどんは如何でしょう?」
「うーむ。ここの所、蕎麦、冷やし中華、そうめんの順でローテーション食いしておるから些か飽いた。たまには違うものがよい」
「そうなりますと、残るはカツ丼の類か、あるいはラーメンですね」
 むぅ、とウカノミタマ様が唸り声をあげる。私の知る限り、ウカノミタマ様はラーメンをよく好まれていらっしゃったが、不満があったのだろうか。
「気が進みませんか」
「ラーメンは好いておるが、とてもあの行列に並ぶ気にはなれぬ」
 指差した先、太宰府駅前にある人気ラーメン店に並ぶ長蛇の列。この殺人的な炎天下にも関わらず、日傘やタオルで日陰を作って並ぶ執念は一体どこからくるのか。亡き友との約束でも果たそうとしているかのようだ。
「並んでおる間に油揚げになるわい」
「平日ならいざ知らず、観光地ですから。仕方がありません」
「ええい。他に何か良い場所はないのか」
「……少しばかり歩きますが、お連れしたい場所がございます」
「それを早く言わぬか。早う連れていけ」
「わかりました。では、参りましょう」
 かくだの梅ヶ枝餅屋から馬場参道線へと入り、JAの前を通過して、九州ヴォイスというセレクトショップへと差し掛かった。
「菅原よ。ここは良き店ぞ。あちこちの逸品がよう揃うておる。贔屓にしておる故、お主も足繁く通うがよい」
「そういえば神功皇后様や宗像三女神様もお忍びでいらっしゃるとか。私も年に何度かは足を運んでおります。なんとも希少な醤油がありまして。もっぱら卵かけご飯に用いております」
 卵にこだわるのも良いが、醤油にこそこだわりを持つべきだ。特に最近はさまざまな商品があるので、目移りしてしまうほどだ。
「菅原よ、悪いはことは言わぬ。お主も相応の歳であるのだから、もう少しコレステロールを気にしたが良い。毎朝毎朝、生卵を食べておってはいずれ痛風になろうぞ」
 実に耳に痛い。そうならないよう密かに神威を用いて、結石となってしまわぬよう日夜除去しているが、油断はできない。なにせ、風が吹いただけで痛むという。大きなものになると手術して取り出さねばならぬといい、エビス神が以前、尿路結石に苦しんで入院した折には他人事とは思えなかった。
「ウカノミタマ様こそ御神酒の飲み過ぎでは?」
「何を申すか。稲穂を司るワシに、米を醸した酒精が障る道理はあるまい」
 ぐうの音も出ない。私が生卵の神であればコレステロールに悩むこともなかっただろう。
「それよりも店はまだか」
「すぐそこです」
 ウカノミタマ様は通りの右側に見える、寿司屋を眺めて眉を顰めた。
「寿司か。確かにここは名店だが、だいぶ並んでおるのう」
 予約客も多いので、飛び入りで入るのは難しいだろう。
「いいえ、その向かいの店です」
 こじんまりとした店構え、暖簾には『さいふうどん』とある。
「ほう。さいふうどん、とな。これはまた懐かしい響きよ」
「明治の頃、参道に軒を連ねていた、あのうどんの味が味わえますよ」
 つい最近、老舗製麺所の店主が再現に成功し、密かに人気を集めている。私もテレビで取材されている様子を見て食べに来たのだが、懐かしい味に驚いたものだ。
「ただし、この店にざるうどんはございません」
 ウカノミタマ様が唖然とした表情をなさるのも無理はない。
「こ、この猛暑日に熱いうどんを食えと申すか!」
 憂慮をしていたのは、まさにその一点である。しかし、これについては考えがあった。
「補足ではありますが、ここの天ぷらは非常に美味でございますよ」
「なんと」
 きらりと目が輝くのを私は見逃さなかった。こう見えてウカノミタマ様は無類の天ぷら好きでいらっしゃる。稲穂の神であられるので、菜食主義者のように思われがちだが、そんなことはない。焼肉もお寿司も大好物だ。特に天ぷらは好みに合うのか。江戸時代にはよく浅草の屋台に出没しておられた。
「それを先に言わぬか。ごぼう天を頼むぞ、ワシは」
 ホクホクと嬉しそうに暖簾を潜るウカノミタマ様の後へ続く。店内は冷房がよく効いており、思わずため息をこぼすほど心地よい。提供する料理が熱いので、そのぶん冷房を強くしているのだろう。
「うむ。カウンターだけか。良い良い」
 いらっしゃいませ、と店主の男性が愛想よく挨拶をして、ウカノミタマ様が上機嫌に椅子へ腰を下ろす。私はその右隣へと腰を下ろした。ここならば
入口が開くたびに熱風に晒されることもない。
 カウンターの上にあるメニューを手に取って、ウカノミタマ様へお見せする。
「ふむ。うどんと、ごぼう天がよい」
「私はうどんに海老天に致します」
「菅原、稲荷寿司がないではないか!」
「こ、声が大きいです」
「だが、うどんの付け合わせは稲荷寿司、と天地開闢の頃より固く定められておる」
「まことしやかに嘘を仰らないでください。ほら、かしわおにぎりがあるじゃありませんか。美味しいですよ」
 かしわおにぎりは鶏肉、ごぼう、にんじんを米と共に炊き込んだものを握ったものだ。
「ならば、それを一つ。いや、お主も食え。夏バテで神去りする者も少なくない。ようく食べておけ」
「はい。私もいただきます」
 すいません、と店主へ声をかけて注文する。ニコニコと愛想がよいので、ついつい足を運んでしまう。
「揚げたてをご提供しますので、少しお時間をいただきますね。ああ、それと今日は茄子がありますよ。如何ですか?」
「茄子は好物よ。菅原、茄子も頼め」
「はい。それでは茄子も追加でお願い致します」
「ありがとうございます。お連れの方は、お仕事関係の方ですか?」
「まぁ、そんな所です」
 ウカノミタマ様はといえば、満足そうに頷きながらメニューを眺めている。
「どうかなさいましたか?」
「ふふ。まだお主が神となる前に、観世音寺うどんを供しておった時期があってのう。唐で作り方を学んだ仏僧がおったのだ。まだ誰もうどんなぞ食ったことなどなかったが、これが大層うまかった」
「ウカノミタマ様はうどん好きですよね」
「讃岐へ赴くほど好いておる。コシがあまり強いと顎が疲れるがのう。土地それぞれの風土に合わせて味が違うのが実に良い」
「さいふうどんも、博多うどんと似ているようで少し違いますからね」
「ふふん。楽しみだわい」
 待っていると、かわしにぎりの皿が先にやってきた。
「ウカノミタマ様。どうぞ」
「うむ」
 一個を手に取り、大きく口を開けて齧る。怪訝そうな顔をしていらっしゃったが、きらりと目を輝かせた。
「おお、美味いではないか。悪くない。うむ、味つけがよいな」
「私もいただきます」
 食べてみると、具材の一つ一つから素材本来の旨みが感じられる。食感が楽しく、あっという間に食べ終えてしまった。
「やはり若いのう。一気呵成に食べおるわ」
「いや、自分で思っていたよりも空腹だったようで」
 話していると、やっとうどんがやってきた。
「お熱くなっておりますので、ご注意ください。お好みで薬味をどうぞ」
「ありがとうございます」
 おぼんに乗った状態でうどんと天ぷらがやってきた。うどんとは別の小型の籠に海老と茄子が並べられている。
 さいふうどんはシンプルで、美しい色の出汁の上にはネギ、カイワレ、ワカメが乗っている。
「うむ。それでは頂こうとしよう」
「はい。いただきます」
 箸で麺を掴み上げると、太くてやや色味のある麺がぷるぷるとしている。息を吹きかけてから口へ放り込み、啜ると喉越しが素晴らしい。噛めば柔らかいぷわぷわとした食感に思わず頷いてしまう。
 コシのないうどんでしか味わえないものがある。
 出汁は風味豊かで、甘めで美味しい。京都や関西の人間はもちろん、東京や東北の人が食べてもきっと気に入る絶妙な塩梅だ。
「店主殿。アゴ出汁がよう出ておりますな」
「ありがとうございます。お分かりになりますか」
「滋味深い味よのう。気に入った」
 どうやらお気に召したらしい。万が一にも気に入らなければ、どうしたものかと思っていたが、杞憂に終わったようで何よりだ。
 天ぷらも揚げたてで綺麗に揚がっている。そのまま食べても良いが、ここはやはり一度軽く出汁に浸けてから食したい。
 じわっと衣に出汁が浸かるのを確かめてから、口に運ぶと、口の中に出汁と衣の油分、海老の濃い味が広がっていく。外が猛暑だということを忘れてしまうほど美味しい。
「うむ。ごぼう天も美味い。短冊にしたものも良いが、こうして斜めに切ったくらいが食べやすくてよいのう。茄子は言わずもがな。うむ、瑞々しい。まるで蒸されたような味わいがあるわ」
 私も茄子の天ぷらを食してみると、衣に包まれた茄子が蒸しあがったように瑞々しく仕上がっていた。芳醇な夏野菜の風味に思わず笑みが溢れる。
 それから私たちは一心不乱にうどんを啜った。天ぷらを齧り、出汁を飲み、よく冷えた麦茶を飲む。身体の中がじんわりと熱くなってくるのに対し、空調の効いた店内は涼しいので実に良い塩梅だ。
「菅原よ」
「はい」
「ようやった。褒めて遣わすぞ。この猛暑に熱いうどん、乙な昼食を用意するではないか」
「恐縮です。お気に召して頂いたようで何よりでございます」
「エビスが言うておったぞ。『菅原は安くて美味い店をよく知っている』とな。界隈では天神飯などと噂されておるそうではないか」
 そんな界隈があることを初めて知った。確かに福岡の美味しい飲食店へ、他所からやってきた神々を案内させて頂く機会は多い。しかし、そんな言葉が生まれていようとは寝耳に水である。
「次回も期待しておるぞ」
 弁明したりするのも面倒になので、ここは素直に頷いておく。うどんが伸びてしまうことだけは避けたい。
「承知しました」
「うむ。いや、それにしても美味いのう」
 入口の戸が開いて、若い女性の二人組がやってきた。いかにも他所から観光にやってきた様子である。
「すいません。お隣、よろしいですか?」
「ええ。どうぞ」
「失礼します」
 礼儀正しい二人組だ。どうやら縁結びへやってきたらしい。正直、専門外だが、全力を尽くさねばなるまい。
 さいふ参りという言葉は知らずとも、こうして足を運んでくれる者が絶えないということは嬉しい限りである。この店の味も末永く、人の子らの手によって紡がれていくことを願ってやまない。
「いささか食い足りぬな。替え玉をもらおうかの」
「あ、私も頂きます。すいませーん」

 人の子らは知らない。
 神々も暑さに倒れ、熱中症で搬送されていることや、こうして人に混じって食事をしていることを。
 隣に座る者が、よもや八百万の神の一柱であるなどと誰が想像するだろううか。
 酒を飲み、食事をし、替え玉もする。
 それが、この日の本の国の神々の姿である。


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嗣人
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