小噺「氷菓」
灼熱の陽射しに辟易しながら、私と千早君は日陰を求めて歩いていた。
とある品を夜行堂に届け終えた帰り道、屋敷町から県道を東へ暫く進んでいくと、鬱蒼と生い茂った雑木林が見えてくる。千早君に言われるがまま着いて行っているが、頑なに行き先を言おうしないので彼が何処へ向かっているのか皆目見当がつかない。まさか、あの雑木林の中で涼んでいくなんてことはないだろうが、この暑さだ。千早君の判断能力が落ちていても不思議ではない。
命を燃やし尽くさんと絶叫をあげる、けたたましい蝉の鳴き声が容赦なく降り注いでくる。
「千早君、この先に目ぼしい場所なんてありませんよ。小休止したいのなら、屋敷町に戻って何か冷たいものでも食べましょう」
「あんな人の多いとこで飯なんか食えるかよ。一秒も並びたくない。今日みたいな暑い日にぴったりの店があるんだ。もうすぐ着くよ」
私も屋敷町の近辺にはそれなりに詳しい。地図は頭の中に入っているし、目ぼしい店の場所も網羅している。この先にそれらしい店などあっただろうか。
狭い歩道を縦一列になって進んでいくと、雑木林の先に小さな店が現れた。暖簾もなければ、看板らしきものも見つからない。ただ軒先から吊るされた手拭いに「こおり」とだけある。
千早君はその店の引き戸を戸惑う素振りなく開けて、「ちぃーす」と気さくに声をかけた。慌てて後に続くと、急に甘い匂いがする。八畳ほどの空間、足元は土間になっており、机と椅子が三つ。焼き場のような場所があり、その向こうで腰の曲がった高齢の女性がこちらへ頭を下げた。
「うわ、店の中もあっちーなぁ。婆ちゃん、もう扇風機だけじゃ無理だって。客がいない時でもエアコンつけてないと死んじまうぞ」
そう言いながら実に慣れた様子で壁にかかったエアコンのリモコンを使って操作すると、ついでに窓をパタパタと締めて回る。
店主であるらしい彼女は小さく頷きながら、氷の入ったコップに麦茶を注ぎ始めた。身体が小刻みに震えており、思わず何か手伝うべきではないかと思案したが、千早君がそんな私を手で制する。
「大野木さんは座ってろって。ほら、メニューでも見てなよ」
差し出されたメニュー表は一見しただけでも相当な年季が入った物だと分かる。開くと、何度も価格を更新した形跡が見て取れた。
「すげぇだろ。七十年くらい続いてるんだってさ」
「創業七十年ですか。それは凄いですね」
私が言うと、お盆に麦茶を乗せてやってきてくれた店主がニコニコと笑いながら、首を横に振る。謙遜をしていらっしゃるのだろうが、自分の店をこれほど長い期間、守ってきたというのは称賛に値する。
「お店の名は、ええと『松香庵』というのですね」
どうやら老舗の和菓子屋であるらしい。店の中を漂う甘い香りは小豆によるものだ。
宜しければサポートをお願いします🤲 作品作りの為の写真集や絵本などの購入資金に使用させて頂きます! あと、お菓子作りの資金にもなります!