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聖爛夜駕

 深々と雪が降り積もっていく様子を横目で眺めながら、煌びやかな市街地を公用車で走行する。
 職員の誰が触ったか分からないハンドルに素手で触れたくはないので、革の手袋を嵌めて運転をしているのだが、助手席に座る相棒はそんな私とは反対にシートを最大に倒して、スーツのまま仰向けになっている。
「千早くん。スーツにシワがつきますよ」
「別にどーでもいい」
 目に見えて不機嫌なのは、今夜がクリスマスだからだろう。彼は割とこういうイベントごとが好きなので、急な仕事が入ると露骨に嫌がる傾向がある。
「なんで日本中のカップルがいちゃついてる時に、俺はスーツまで着て仕事しなくちゃならないんだ。せめて可愛い女性職員を運転手にしてくれ」
「生憎、対策室の職員は私ひとりだけです」
「お茶汲みもコピー取りも大野木さんがやってんの?」
「いつの時代の話をしてるんですか。モラハラですよ。今は男女関係なく、その程度のことは自分たちでやります」
「就職したことねぇから分かんねぇよ」
「そろそろ現場に到着します。準備を」
「なぁ、今日の仕事ってなんだっけ」
「先ほど、説明したじゃありませんか。聞いていなかったんですか?」
「まぁ、大体は」
 よほど頭にきていたらしい。
「では概要だけ手短に。依頼は鴉間市にある高級料亭の『翠松』からです」
「おお、翠松って名前知ってる!」
 千早くんが身体を起こして話に食いついてくるのも無理はない。
 鴉間は、江戸時代より宿場街として栄えてきた土地柄、古い飲食店が多い。
 一目で敷居の高さを伺わせる高級店が所狭しと建ち並ぶ中でも、翠松は創業150年を超える老舗中の老舗で、国会議員や大企業の取締役がこぞって接待に使用しているという名店として名高い。
「その翠松に、出るそうです」
「へぇ、意外だな」
 何が、とは聞かない辺りが彼らしい。
「包丁を持った女が出る、とか」
「怖っ」
「従業員の方が4名、目撃したそうです。年末にかけて客足が増えるので、どうしても年が明けるまでに解決したいのだと」
 無理もない。客間に幽霊が出るなどという噂が広まれば、高級料亭のイメージに傷がつく。
「包丁を持った女、ってのが厄介だよな。嫌でも何かあるんじゃないか、て想像させる」
「やはり怨恨の類でしょうか」
「ま、視れば分かる。でも、俺も納得がいった。それでスーツね」
「本当は義手も用意したかったのですが、間に合いませんでした」
「義手はつけない。何度も言ったろ。俺の右手は、失くしただけ。感覚はあるんだ。想像してみろよ、大野木さん。自分の腕が2本ぶら下がってるのを。どう思う?」
「それは、気持ちが悪いですね」
「そういうこと。生理的に無理。頭が許容できない」
 中身の入ってない右の袖を左手で引っ張りながら、肩をすくめてみせる。
「はぁ、聖夜まで仕事か」
「生憎、うちは仏教徒でして。特に何も」
 千早くんがガックリと肩を落としながら、未練がましく街のイルミネーションへ目を向ける。
「そういや、うちもか」

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