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サポート御礼小噺『新雪内裏」

 新雪の野を二人でひたすら進んでいく。

 もうどれほど歩いてきたのかさえ判然としない。

 山間の廃村とは聞いていたが、よもやこれほどの僻地にあるとは思っていなかった。

「すいません、千早君。私の調査不足でした」

 寒さで鼻先が痺れるように痛む。防寒装備は完璧にしてきたつもりだが、これほど長時間雪道を歩くことになるとは思っていなかった。

「しょうがねぇよ。まさか短時間でこんなに降り積もるなんて誰も予想できないさ」

 前を進む千早君はうんざりするどころか、どこか楽しげな様子で道無き道をぐんぐんと進んでいく。

「大野木さん、雪庇を踏み抜くなよ。そこの先は崖になっている」

 ぎょっとして千早君の後ろへと回る。

「よく見分けがつきますね」

「修行時代に見分け方を必死で覚えたんだよ」

 あの柊さんが修行をつけていたというが、いったいどれほど過酷なものだったのか想像もつかない。

「それで? 依頼はなんだっけ」

 さも当然のように聞いてくるので、思わず閉口してしまう。車内で行った諸々の説明はいったいなんだったのか

「さては何も聞いていませんでしたね?」

 あ、と間抜けな声を出して千早君が苦笑する。

 笑って誤魔化そうとしているが、そうはいかない。せっかく準備した事前資料も、どれほど読んでいるか分かったものではない。

「ごめん。いや、聞いてた。聞いてたんだけど、途中から大野木さんが教壇で講義し始めてさ。ノート取るのに必死だったとこまでしか覚えてなくて」

「夢まで見て寝てるじゃないですか」

「でもほら、まだしばらく着かないんだし。もう一回話してよ」

 言いたいことはまだ他に幾らでもあったが、ここで争っていても仕方がない。

「依頼人は市内在住の八十歳過ぎの女性で、名前を内海ソノ子さんといいます。息子さんと一緒に対策室へ相談にいらっしゃいました。現在お二人で県営団地に住んでおり、管理人の方から対策室のことを知ったそうです」

「へぇ。それで?」

「はい。依頼内容はソノ子さんの生まれ故郷に残された、とある品を回収してきて欲しいというものでした」

「え、そんなの引っ越し屋とかに頼んだ方が早くない?」

「実際、当初はそういう遠方の荷物などを代理で回収してくる業者に依頼したそうです。しかし、誰一人として件の廃村には辿り着けなかったのだとか。業を煮やした息子さんも直接出向いたそうですが、村には辿り着けていません」

 依頼を引き受けたのは、どれも県内の民間企業三社であり、実績も評判にも問題はなかった。事前調査として実際に話を聞いてみると、どの担当者も山の中をどれだけ歩いても件の廃村に辿り着くことができなかったという。

「山中ですから携帯電話の位置情報サービスも使えませんし、担当者たちが地図を読み違えたという可能性も否定出来ませんが、これは対策室の仕事だと判断しました」

「辿り着けない廃村、ね。それは確かに俺たちの仕事だな」

「ええ。大変遺憾ながら私も同じことを思いました」

 緩やかな傾斜を千早君に続いて上っていく。よく見ると分厚い雪の下には石段があるようで、加減を間違えると苔で足を滑らせてしまいそうだ。

 傾斜を上りきると、坂の下に広がる小さな集落を一望することができた。朽ち果てた家々がほとんど雪に埋もれつつある。中にはまだ倒壊していない家もあるが、中はきっと無事ではないだろう。

「……ありましたね」

「問題はここからか」

 集落の少し手前にある杉の林が、村へ続く道に立ち塞がっていた。

「ですが、ここから集落は目と鼻の先ですよ」

 この程度の林を抜けるくらい、五分とかからないだろう。

「どうですか。目立った危険はありますか?」

「いや、さしあたり危険は無いと思うよ。とりあえず行ってみようか」

 斜面を転ばないよう雪を掻き分けながら降りて、林の中へと足を踏み入れる。杉の表皮についた粉雪の様子からして、普段から誰かがやってきている様子はない。

「大野木さん。村が廃村になったのは何年前?」

「半世紀ほど前のことです。戦前戦後と住人の殆どが林業で生計を立てていたようですが、次第に国産木材の需要が減っていったことで村から移住してしまう人が増えました。ソノ子さんは廃村になる数年前にご主人様と共に村を出たそうです」

 村の過疎化は未だに解決していないどころか、人口減少も相まって依然加速し続けている。同じ悩みを抱える自治体が全国にあるのだ。

「なるほどね。それで、家の場所は聞いてんの?」

「はい。ただ、この荒れ具合ですと何処まで地図が頼りになるか分かりませんね」

 半世紀近く経っているだけでなく、この雪に覆われてしまった状況ではソノ子さんの家の場所を特定するだけでも一苦労だろう。

「因みに何を回収してくればいいんだ? 依頼人から聞いているんだろ?」

 千早君の問いに私は沈黙せざるを得ない。

「……珍しい。聞き忘れたのかよ」

「違います。ちゃんとお尋ねしました。ですが、当の御本人がお話をできる状態ではなくてですね。なにせ御高齢ですから、経度の認知症を患っていらっしゃるんです」

「あー、そういうことか」

「ご依頼の内容もほとんど息子さんから聞かせて頂きました。彼自身も村を訪れる際にはソノ子さんから『行けば分かる』としか言われなかったようで」

 息子さんも母親が何を心残りにしているのか、全く心当たりがないのだという。実際、これまで廃村になってしまった故郷のことをご両親はあまり話そうとしなかったらしい。

「旦那さんは?」

「昨年亡くっています。認知症の症状が出始めたのも、故郷の村に帰りたいとしきりに言い出したのも、ちょうどその頃と聞いています」

「八十過ぎの婆ちゃんをこんな所まで連れてくるのは無理だな」

「はい。ですから、何を持って帰ればいいのか誰も分かっていない状況なんです」

 千早君はうんざりした顔で大きく溜息を吐くと、気に入らない餌を与えられた猫のように、こちらをじとりと見つめてくる。

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