8月のメンバーシップ小噺「盆焼」
お盆時期は繁忙期だ。仕事の依頼が絶えることなくやってくる。地獄の蓋が開いて死者が帰ってくるというが、こんなに忙しくなるのなら、もう少し小まめに帰ってきて貰いたい。
とある依頼を終わらせて、マンションに帰り着いたのが午後三時を回った頃だった。昨日の昼から一睡もしないまま徹夜で怪異から逃げ回り、夜行堂へ呪物を預けてようやく帰宅した瞬間、大野木さんの携帯電話が無慈悲な着信音を立てた。
聞き慣れた職場からの着信音に、模範的な公務員の大野木さんの顔が強張る。
エントランスをまだ三歩も進まない内に、足が止まってしまった。
俺なら無視する。どうせ碌な報せじゃない。相手は大方、あの胡散臭い藤村のおっさんだろう。万事、手回しの上手い上司で、大野木さんの二手、三手先のことを読んで行動している節がある。実際、帰宅した瞬間を見計らったようなタイミングだった。性格の悪さがよく出ている。
「大野木さん、無視しときなよ」
「そういう訳にはいきません。これも、仕事ですから」
言葉と表情が一致していない。心底うんざりした様子で電話を取ると、すぐに表情が曇った。
「……はい。お疲れ様です。今しがた戻ってきた所で。……はい」
嫌な予感がする。俺なら不機嫌に対応どころか、癇癪を起こしてしまうだろうが、大野木さんは淡々と受け答えをしていた。
「……承知しました。いえ、皆さんがお揃いでしたら又とない機会ですから。すぐに戻りたいと思います。……はい、三十分ほどかかるかと」
悪い予感が的中した。大野木さんはこれから仕事で戻らなければいけないらしい。いや、もしかすると俺まで巻き添えになる可能性だってある。今更、県庁に戻るなんて真似、絶対にしたくない。
こちらの表情を読んだ大野木さんが、心底残念そうに首を横に振った。
「では、後ほど。失礼します」
通話を切ってから、ガックリと肩を落とす。いつもならなんてことはないだろうが、昨日の事件はかなり過酷だった。大きな怪我こそしなかったものの、スーツは泥だらけ、あちこち擦り切れて破れてしまっている。おまけに酷い寝不足だ。
「お察しだと思いますが、藤村部長に呼び出されてしまいました。知事の参加する会議に出席して欲しい、と。予算獲得の為に行かねばなりません。又とない機会ですから」
「俺、そういうのってよく分からねぇんだけどさ、それって上司である藤村部長の仕事じゃねぇの?」
「『現場の生の声を届けます』と知事に話したそうで。それならそうともっと事前に教えてもらえたら準備のしようもあるのに。どうしてこう人が断れないタイミングを狙って予定を捩じ込んでくるのか」
そういう性格の男なのだから仕方ない。大野木さんには悪いが、あんな上司を持った自分の不運を呪うしかないと思う。
「俺は行かなくてもいいんだろ?」
「ご一緒しますか? 一人では寂しいでしょう。現場の声ですから、やはり千早君がいてくれた方が何かといいでしょうし」
「ははは、冗談。俺は帰ってシャワー浴びて寝る」
地獄には一人で行ってもらいたい。公務員は大変だ。到底、俺のような不真面目な人間には務まらない。公の為に奉仕する、なんて精神は微塵も持ち合わせていないのだ。
「先にシャワーを浴びて、着替えたらすぐに向かいます。流石にこんな格好では会議に出られませんから」
「帰りは何時くらいになりそう?」
「皆目、見当がつきません。それなりに遅くなるかと思います。まず定時は過ぎるでしょう」
エレベーターへ乗り込みながら、鏡に映る自分たちの汚れ具合に顔を顰めずにはいられない。廃墟の中を一昼夜逃げ回っていたら、誰だってこうなる。いや、殆どの人間は朝まで保たないだろう。
「明日が休日で本当に良かったと心の底からそう思います」
「戻ったら何かご馳走でも食いに行く?」
「いえ、帰ったら、まずはベットで思う存分寝たいですね。勿論、お腹も空きましたが」
「どこか空いた時間に仮眠くらい取りなよ」
「そうですね。タクシーで向かうので、そこで寝ようかと」
部屋に戻るなり、大野木さんはすぐにシャワーを浴びに脱衣所へ向かった。それから十分とかからずに身支度を整えると、いつもの様子で玄関に立った。
「それでは行ってきます」
「うん。いってらっさい」
目の下にクマを浮かべた顔で頷くと、ふらふらとした足取りで県庁へと戻っていってしまった。
「……大丈夫かな」
しかし、俺の方もそろそろ限界だ。風呂でゆっくり疲れを取りたい所だが、居眠りをして溺死しかねないので、シャワーで簡単に済ませることにした。
「あーーー。生き返るーー」
温かいお湯を頭から浴びていると、汚れと疲れが一緒に流れ落ちていくような気がした。途端に眠気が襲ってきたので、急いで浴室を出て部屋着に着替え、自分の部屋から毛布だけ抱えてリビングのソファへと寝転がる。
ガンガンにエアコンを効かせて、毛布でぬくぬくとする以上の贅沢はない。大野木さんが見たら絶叫ものだ。
「ふわ、ねみぃ」
瞼を閉じると、ものの数秒で意識が溶けていくのを感じた。
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