Kate Davis / Trophy
ケイト・デイヴィスと聞いてピンとこなくても、今年1月にリリースされたシャロン・ヴァン・エッテンの最新作『Remind Me Tomorrow』でシャロンと「Seventeen」という曲で共作していた女性アーティスト、と知れば、「ああ!」とクレジットを見返す人も多いのではないだろうか。そう、それが、ケイト・デイヴィス。ここに届けられた『Trophy』はそんなケイトにとって“正式な”…いや“納得できる”と言うべきだろうか、いずれにせよ、ようやくその全貌をたっぷりと味わうことのできる待望のファースト・アルバムなのである。
“正式な”もしくは“納得できる”…と書いたのは、もしかするとご存知の方もいるかもしれないが、1991年、オレゴン州ポートランド近郊のウェストリン出身のこの類い稀な才能のヴェールに包まれたシンガー・ソングライターが自身の名前で作品をリリースするのはこれが初めてではないからだ。しかし、例えば、今、Spotifyなどのサブスクリプション・サービスで彼女の作品を探してみると、それらの作品は出てこない。今年1月に全米公開された映画『Five Feet Apart』のサントラに収録されている「My Baby Just Cares For Me」…そう、ニーナ・シモンの代表曲のカヴァーのみ(2019年10月現在)。このニーナ・シモンのカヴァーを聴くと、彼女のその豊かな音楽的ルーツや、紆余曲折を経てようやく辿りついた境地への歓びがじわりと感じられるが、しかしながら、ここに至るまでに彼女にはいくつものターニング・ポイントがあった。
だが、その「My Baby Just Cares For Me」や本作では、邪気なく純粋にポップ・ミュージックにまっすぐに向き合っている姿が眩しい。いや、挫折や心の痛みを味わっている彼女だからこそ、ポップな作品への憧憬に嘘偽りがないのではないか、とさえ思えてくるほどに。
ここからは今回筆者との取材に応じてくれたケイトからの回答をもとに彼女の経歴を紹介していこう(インタビュー全文は『TURN』(turntokyo.com)に掲載)。
http://turntokyo.com/features/katedavis-interview/
今年28歳を迎えるケイトは、大学時代に趣味でバンド活動をしていたという両親のもと、小さな頃から楽器を習ったりCDを聴いたり録音の真似事をしてみたりするような、いわば「音楽のある毎日」をたっぷり味わって育った。最初の両親に買ってもらったのはエッフェル65(イタリアのエレクトロ系ダンス・グループ)の「Blue」で、自分のお金で買ったのはホワイト・ストライプスの『Elephant』だったという。一方で、ヴァイオリンやダブル・ベースを学んでいたケイトは、ティーンエイジャーにしてポートランドの《Portland Youth Philharmonic》に加入しブラームス、マーラーなどの作品に触れたという。今も創作で迷ったらインスピレーションを取り戻すためにそれらクラシック音楽を聴いているのだそうだ。
その後、ニューヨークに移り、《Manhattan School Of Music》でジャズやアメリカの伝統的な音楽を学ぶことに。実地では小さな頃からオーケストラで演奏し、学校ではアカデミックな音楽理論や歴史も体得したというわけだ。
「たくさんのジャンルの音楽を学ぶことで、過去の音楽がその後にどのように影響したかを理解ことができたの。20世紀にハーモニーがどのように発展し、それがアメリカの音楽にどう直接影響を与えたかを知るのはクールなことだから…。私は多くのロックやポップスに影響を受けた曲を作りますが、特にどれというよりも、過去200年にわたって書かれたあらゆる音楽に深く影響を受けていると言えるわね」
なるほど、彼女はニーナ・シモンもカヴァーすれば、一方で2014年にメーガン・トレイナーの「All About That Base」もとりあげてみたことがある。こちらは今もYouTubeで観られるが、ケイト自らお得意のアップライト・ベースを弾きながらピアノ・トリオ編成で歌ったスウィング・ジャズ・アレンジ・ヴァージョン。ジャズやフォークなどからアメリカの大衆音楽まで幅広く熟知する知性派の彼女らしいとても開かれた演奏だ。他にもレノン=マッカートニー、ジョニ・ミッチェル、ボブ・ディランなど他にも多くのレジェンドたちの楽曲を自分なりに解釈してカヴァーしてきたことがあるそうで、そうした分け隔てのない音楽愛が今日のケイトの大らかで包容力あるミュージシャン気質を支えているのではないかと思う。
さて、その後、2008年に『Introducing』、2009年には『Kate Davis Holiday』という2枚のアルバムをリリース。これらは彼女が学校でジャズを学んでいた時代の「産物」で、ジャスのスタンダードをとりあげた内容だったという。この2作品の制作とリリースに尽力したのがケイトのお父さん。だが、カヴァーだけでは満足できなかったケイトはいよいよ自作の曲を作り始めるようになる。もちろんそれを全面的に応援したのも彼女の父だった。
しかし、ことはなかなかうまく運ばない。2014年に公開された、前述のメーガン・トレイナーのカヴァー演奏の映像が1300万回以上の再生回数を記録し、アリソン・クラウス、ジョシュ・グローバン、ベン・フォールズらとステージで共演してきたことから、MTVの『これからのポップを担うフレッシュな15の女性アーティスト』の一人に選ばれた彼女は、2015年、ジャズの名門レーベル《Concord》と契約。米『Billboard』の当時の記事には2016年春にアルバムをリリースする予定とまで書かれていたのにも関わらず、結局、ここから作品をリリースするには及ばなかった。その理由を取材で問うても彼女は積極的に答えてくれなかったので、おそらくかなり落胆、心を痛めた出来事になってしまったのだろう。
だが、もしかすると、あの時《Concord》からそのままアルバムをリリースしていたら……もしかするとノラ・ジョーンズ以降のポップなジャズ・テイストを担わされるような方向性に向かっていたかもしれない、とさえ思う。もちろん彼女は老舗メジャー・レーベルから袖にされたことに大いに失望したことだろう。だが、今回こうして《Solitair Recordings》から正式なファースト・アルバムが届けられるに至り…しかも、ジャズのスタイルにとらわれない広範にカジュアルでドレスダウンしたポップ・アルバムになったことは結果としてよかったのではないだろうか。ここで聴ける12曲は、ここまで紹介してきたように、クラシック、ロック・レジェンド、ジャズ、フォークから最新のヒット・ポップスまで隔たりなく吸収してきたケイト・デイヴィスというタフで柔軟でしなやかさも持つシンガー・ソングライター/ヴォーカリストの本領が発揮された、出発点であり原点であり、ある意味集大成とも言える内容だからだ。
アルバムは現在はブルックリンに暮らしているというケイトが旧知のプロデューサー、ティム・ブライトの自宅スタジオで録音されている。そのティムがつきあいのあるミュージシャンたちが集められ(中にはマルコ・ベネヴェントも!)、アレンジ、サウンド・プロダクション含めて一つ一つ丁寧に完成させていったのだという。そうした作業のプロセスの傍ら、前述のように、知人を通じ、大ファンだったシャロン・ヴァン・エッテンと知り合いシャロンの新作のために共作(「Seventeen」)するようなチャンスにも恵まれた。理解し合える仲間にも恵まれ、今度こそ追い風が吹いてきたということだったのだろう。
そして仕上がった本作、ジャズやクラシックの教育を受けてきた…という印象から聴くとすごく素朴かつシンプルに聴こえるだろうし、メーガン・トレイナーのジャズ・カヴァーが気に入ったような人には、オルタナ~ジャンクのようなギター・ロック・スタイルの曲に驚かされることだろう。実際に「Daisy」「Dirty Teenager」「Animals」といった曲は90年代のオルタナ・ロックの影響を感じさせるもので、エナジェティックでキャッチーな曲が持ち味のコートニー・バーネットやステラ・ドネリーを彷彿とさせる。一方で、「I Like Myself」「St Joseph」、そして今年1月に公開された最初の先行曲「Open Heart」はフォーキーで翳りのあるタッチが特徴で、近年急速に注目を集める女性シンガー・ソングライター勢の中でもフィービー・ブリジャーズやジュリアン・ベイカー、モリー・バーチやワイズ・ブラッド、あたりともシンクロしそうだ。けれど、ケイトはあくまでポップなメロディ、親しみやすいフレーズやハーモニーを基調とする展開を何より優先している印象を受ける。極端に言えば、小さな子供やお年寄りも一緒に口ずさめるようなわかりやすさを貫いているところが魅力だ。この感覚こそが、様々なジャンルに精通してきたケイトだからこそ持ち得た説得力なのだろう。
セイント・ヴィンセント、シャロン・ヴァン・エッテン、そしてエンジェル・オルセンらがハードでエレクトリックな意匠でスケール・アップしていく中、もしかするとこのケイトもキャリアを重ねるにつれ、よりダイナミックなポップ・ヒロインになっていくのかもしれない。だが、ケイト自身は本作収録曲の中でもハイライトとも言える1曲「I Like Myself」のテーマになぞらえて、冷静にこう語ってくれた。
「自分を信じる必要があると感じた時に、この曲を書いたの。正直言って、いろいろあったから、結構大変だったし苦労もしてきたと思う。そういう意味でも、自己愛がなければ、逆に他人を愛したり、人生でベストを尽くすことはできないんだってことに気づいて…。まだ自分を信じ切れていなかったけど、そのために力を振り絞って言葉を出そうとした重要な瞬間……それがこの曲になったの。私にとってとても重要な歌。この曲によって自分の中からなかなかのかなかった疑念を振りほどけたの」
多数の女性シンガー・ソングライターが日々誕生する今、しかしながら、一筋縄ではいかない挫折や苦労を味わったケイトならきっと大丈夫だ。ポップ・ミュージックへの絶対的な信頼は、すなわち、自分自身への絶対的な信頼につながるのだから。
岡村詩野/Shino Okamura
Tugboat Records
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