追い風・向かい風理論
先月12月で25歳になり、同じ25周年のブラックサンダーやユニクロのフリースとともに生きてきた人生なんですが、まだまだ人生を語るには経験も少なく未熟者であることは自覚しています。人生はこうあるべきだ、人はこうあるべきだ、といった確固たる信念を築くというよりは、色々な価値観に触れて自分の世界を広げることが大事なんだろうなと思います。
それを踏まえても25年も生きていると何度も同じ体験や失敗などを繰り返し色々気づくこともありますよね。「女性からの相談はアドバイスを求めていない」とかも正直中学の授業で教えてほしいですね。ここぞとばかりに解決策を並べて親身になっているつもりなのに全然感謝されずに、むしろより不機嫌にさせてしまう男性を代表して切に願います。
長い前書きになりましたが、これだけは自分の人生の指針にしようと思っているのがタイトルの「追い風・向かい風理論」です。理論と名付けていますが、すみませんかっこつけているだけでロジックはないです。。。
この理論を考え始めたのは高校3年生の時です。私は数学が大っ嫌いだけど作文ならうまい下手を考えなければ全く苦にならないタイプです。なので読書感想文とかは結構楽しんでやっているほうでした。ただそれまでは校内コンクールでも全く受賞することはありませんでした。ところが3年生になって校内コンクールでいきなり受賞することが出来たんですね。1・2年生の時と比較していきなり3年生で文章力が向上したとは思いませんし、ターニングポイントは特になかったと思います。
ほんとに何らかの巡りあわせで受賞できたと思うのですが、そこで自信をつけた私はその後の税金を題材にした作文でも、地元の税務署長賞を受賞することが出来ました。どちらも自慢話にもならないぐらいローカルな受賞ではありましたが、自分の好きなことで褒められるって幸せなことですよね。ただ、冷静に考えてみるとその受賞も実力というよりは巡りあわせだったと思います。こうして受賞が続いたときに自分の努力や実力以上のものが発揮されたり評価される「追い風」ってあるんだなと認識したのです。
高校を卒業して社会人になると学生時代と違っていろいろ歯がゆい思いをすることが増えました。仕事の面白さを感じれず、学生時代よりも全然褒められないことにも悩みました。今思えば何を甘いことをと思わなくもないですが、、、でもリアルな気持ちはそんな感じでした(承認欲求の塊ってやつです)。ただ私は仕事自体はとても真面目にやっていました。なぜなら今を「向かい風」の時だと思うようにしていたからです。面白くないから不真面目にやる、褒められないから適当にやるのは理由になっているようで理由になっていません。むしろますます遠のく行為をやると永遠に向かい風のままになってしまいます。
追い風のときは自分の実力・実感とは関係なく周囲から賞賛されたり評価されて、すごい充実した時間を過ごすことができます。(いうならばモテキ)反対に、向かい風のときは立っているのが精いっぱいで援軍なしで戦っている気持ちです(出会いがなくて途方に暮れる)。でも向かい風で吹き飛ばされたらそれこそマイナスになってしまう。向かい風でしっかりと足を踏ん張っていると足腰が強くなり(身だしなみは綺麗にするとか)、追い風がきたときに前に進める距離が伸びるのではないでしょうか。
何かつらいことがあったり上手くいかないことがあったときは、ここが踏ん張り時と思って、立っている自分を一生懸命支えることだけを考えればいいと思っています。もともとメンタルもそんなに強くないので、そんな自分を生きやすくするための理論かもしれませんが、それも人間の本能ですね。なんか新しい理論を考えついたらまたnoteに書いてみます。(笑)
へんてこな文書を読んでいただき、ありがとうございました!