チンパンゲーマーの人権は3センチ
ゲーム脳という、かつての流行語をご存じのことだろうか。ゲームに浸った連中は、そろいもそろって愚か者になる、という迷信に、大学教授という肩書きの付いた人間が、さも科学的検証の結果として、どや顔で語ったあの著作である。
その後、数多くの論客たちが、この怪しげな仮説を否定したことは、今となっては知れた話だろう。曰く、科学的検証では無く、単なる偏見に過ぎない、ゲームで育つ人格もある、そもそも怪しげなピコピコモニター(ゲーム脳判別機)を見てホ ル ホ ルしているこの著者の方が「ゲーム脳」脳だ、などである。
この手の著書が、出版後、長期にわたって影響をもたらすことはまずもって無い。しかしながらビデオゲームへ熱中する人間への恐怖は、20年の時を経た今でも生々しく存在する。
仮に、発明した薬の治験中に、被験者の一部がこのような行動を取ったとしよう。治験はたちまちのうちに中止され、この発明は無かったことにされるだろう。ひょっとすると向精神薬などとして、法的な規制の下に置かれるかもしれない。
あるプロゲーマーが、問題発言を理由に契約を解除されたという。「○○には人権が無い」というのは、チンパンジー以外が発言すれば、たちまちのうちに炎上することは、現代を生きる皆様であれば容易に理解できるだろう。しかし、彼女はチンパンジーだったのだ。
「俺、ショックすぎてIQが2になったわ」
というネットスラングが存在する。IQは定義上、100を平均値とし、正規分布を前提としている。要するに、IQ1300なんていう宇宙人は存在しないし、IQ2も、また本来の定義では存在しないのだ。
ten sigmas occur with probability 1.5265*10^-23 (plus or minus 2.7*10^-26).
要するに、発生確率は限りなくゼロである。それであるが故に、この発言自体を切り取られても、余程文脈が異常なもので無い限り問題視されることは無いだろう。
逆に、「俺、IQが60になったわ」という、究極の差別発言を思い浮かべていただきたい。IQが70を下回ることが、公的な知的障害者の定義であり、「俺、まるで池沼(=知的障害者)みたいだろ」という発言と同義であることを考えれば、やはり批判を免れない発言であることは間違いない。
ゲームとかで「人権がある」みたいな言い回しはやばいからやめようって言って代わりに使われるようになったのが「身長〇〇cmある」になった話めちゃくちゃ好き
— ぺる (@P3__R) February 24, 2022
「このキャラ強いから身長185cmありますよ」ってセリフで腹抱えて笑った
ゲーマー界隈では、どうやらチンパンジー粛清事件を契機に、浄化の機運が見られているという。人権の有無では無く、身長の長短で力量を表現しようというのだ。
何故、身長170センチボーダーが盛り上がったのか
ある人によれば、チンパンジー氏が「自身が男性として認識できるのは、身長が170センチ以上ないと」という文脈で語ったことが問題だという。これが約半数の日本人男性の怒りを引き起こした。そう、政府統計によれば、日本人男性の平均身長がまさに170センチぐらいなのだ。社会の半分を敵に回せば、怒りをかうことは自明であろう。
ひょっとすると、これが150センチであれば、問題視されなかったのかもしれないし、逆に200センチといえば、それはそれで変わった趣味として、問題視されなかったのかもしれない。
しかしながら、このぐちぐちと長い記事を見ていただければ分かるとおり、身長の長短は、ハードルにはなるのかもしれないが、闘争心が高く、社会的名声を手にした100センチの人間は、やせぼっちの170センチのチー牛モヤシより余程モテまくったという歴然たる事実が存在する。
ここに、日本の誇る古典的名作が存在する、そう、一寸法師だ
ご存じの通り、身長3cmの英雄が、難敵を打ち払い、そして名家の姫様と結婚する、という武勇伝である。ついでに身長も人並みにオニパワーで伸ばして貰ったのだ。
何故、画面の外では、一寸法師ほどの度胸もなく、活躍もしない、不毛なピコピコゲーマーに3センチ以上の人権を与える必要があるのだろうか。盗人にも三分の理という言葉があるが、170センチの3パーセントは5センチだ、彼らに5センチも人権をくれてやる必要など無いだろう。
第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
人権の前提には、理性の存在が置かれていることを忘れてはならない、チンパンジー氏や、あまたのピコピコゲーマーにも、3センチぐらいの理性は存在するだろう。誰に人権があるべきか、それは乙武氏が、仰ることに同意する
「人権は誰にでもある」のだ。3センチぐらいは。