「設計者は図面で語れ」というならば、語れる言語を操りたいと思う
つづるです。今日は「設計者は言語を習得するように、図面の描き方を習得するべし」という話を、偉そうにも綴ります。
わたしは普段 日本語を操り、声で発することもあれば 今こうしてnoteに綴っているように文章を書いたりすることで、「ひとに伝える」ということをしています。
ただ、何かを言うにしても、何かを書くにしても、聞く人や読む人や見る人が「伝わる」状態になっていないと あんまり意味は無い気がしています。本も、映画も、授業も、何もかも、伝わるものがあるからこそ面白くて好きになれると思うからです。
だからこそ、こうやってnoteで綴る練習を重ねながら、「ひとに伝わる文章」が上手くなりたいと願っているのですが・・・
「ひとに伝わる」を意識すると、普段扱っている「図面」にも同じことが言えるなと思うのです。わたしは仕事で図面を作ったり、見たりする機会が多いので はっきり言えることがあります。図面を作ることは、言語を操るのと同じです。
言語を知らないと、表現できなくて 伝えられない。描き方を知らないと、心の奥の想いを伝えられないし伝わらない。細かなことも表現が出来ているるだけでも、お施主様や職人様へ配慮の心は伝わると思っています。
・・・ただ、「図面を描くというスキル」を一人きりで習得し、再現性の無いものとするとどうなるかと想像してみます・・・
例えば、英語がペラペラなひとが近くに居たとして、わたしは英語レベル1だったとします。英語ペラペラなひとがさぞ「遠い存在」「雲の上の存在」「ちょっと努力しただけではすぐ到達できそうにもないレベルの存在」という認識をすると思います。
図面を描くことも同じことが言えると思っています。一人で習得し、そこに再現性がなかったら、「目指すべき孤高の存在」になりえるのかなと想像します。
わたしは、「同じ言語を操りたい同士で、一緒に習得すればいいじゃん」という派で、英会話スクールがあるなら、図面作成スクールとかもあっていいのにな・・・とか思っちゃうくらいです。
なので、最近は「図面の描き方の教科書」を社内の新人設計者さんと一緒に作りながら、同じ言語を習得する日々を過ごしています。いつか公開できるといいな~
今日はわたしのnoteに遊びに来てくださってありがとうございます。「図面を描くスキル」と「設計をするスキル」は、これまた別物だと思っています。
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