進化とは退化
久しぶりの更新となってしまいました。
ポッドキャストを配信してみたり
新たな目標に向けて奔走したりと
どこまでも「やることいっぱい」な私。
でも、不思議と「忙しい」とは思わなくて。
(結果的には忙しいに分類されるんですが)
しいて言うのであれば、
「実り詰まってる」「満ちてる」感じ。
どちらにせよ、良い兆候です。
そんなこんなで私の脳内は目まぐるしく
かけまわっているわけですが
今日は、「進化と退化」について。
何故このテーマにしたかというと
車で道路を走っているとき、
ぼーっと車や建物、空、人、目に映る景色を
ただ眺めていたんですね。
すると車を見て
昔は車って便利なものはなかったんだ、と。
馬車や徒歩が当たり前だった時代と違って
歩いてはいけない所へも、疲れることなく快適に
車が走ってその場所まで導いてくれる。
そう、文明が発達して、生活が豊かになった。
なのにも関わらず、交通事故や人身事故という
絶えることのない問題が生まれ
排気ガスによる地球温暖化が叫ばれるようなった。
もし、車や電車、飛行機など
そのものが存在していなかった時代には
存在していなかった「問題」「課題」だなって。
便利で豊かになった一方で
人は自らの体を使って動くことを省いた。
スポーツに限らず、日常生活の中に
歩く走るといった「運動」する機会は
ごまんと散りばめられているけれど
その機会を文明の発達により見失っている。
医者から「運動不足ですね」と言われるのも
無理はない、むしろ当然な世界に生きてる。
スマホやPC、AIの誕生によって
情報社会が盛んになる一方で
人は自らの頭を使って考えることを省いた。
本や辞書を引かなくても
スマホ1つでググってしまえば答えは見つかる。
便利だ。とても便利だ。
だけど、そこに人としての在るべき姿
すなわち「人間」にだけ与えられた特権を
放棄しているようにも思える気がするんです。
意図せずとも
人が「人として」機能しない現実を作った。
そして知らず知らずのうちに進化に染まり
進化という名の「退化」を歩んでいる。
かく言う私も、今、現代の恩恵をもろに受けてる。
この執筆だって現にPCという優れた機器を使っている。
「読んでください」と、
わざわざ自分で手書きのチラシや原稿を何部もの作って
1枚1枚配って回る必要がないのだから。
進化することが悪いということではない。
でも、進化を遂げていく中で
人は同時に「退化」する危機の自覚を持つことは
こんなに豊かで便利な世界だからこそ必要かと。
私たちは常に動いてる。(=進化している)
当たり前に動き続けていると
自分が「動いている」という認識は薄れ
まるで息をすることが当たり前かのように
今の自分に変化や異変を感じなくなる。
だけど立ち止まり考えることで
はじめてこの世界は「動いている」と認識し
自分が「動いていた」事実を俯瞰できる。
そこで大切になってくるのは
進化の渦中で、
人としての在るべき姿を忘れないこと。
人本来の役割を放棄せず、
進化とのさらなるシナジーを生むこと、だと
私は思うんです。