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運動会と駐車場 〜市場の論理と道徳〜
運動会の会場(学校)への交通手段は?
運動会のシーズンです。我が子も10月に運動会がありました。学校からの運動会のお便りには、このような注意書きがありました。しかも以下の部分だけが太字で書かれていました。「自転車・自動車での来校はご遠慮ください。近隣に駐車や駐輪することもご遠慮願います。」
運動会は学校や地域の大きなイベントです。親だけでなく、祖父母や乳幼児を連れての参観者も多いです。何人もの家族や親戚を一度に会場である学校に送り届けるには車が便利です。しかし、関東近郊や都市部の学校周辺に大きな駐車場はふつうありません。だから路上駐車の防止や安全面への配慮のため、以上のような、「自転車・自動車での来校はご遠慮ください」という注意喚起がなされます。保育園や幼稚園の運動会でも同様ではないでしょうか。
学校からのお便りでは、なぜこの部分がわざわざ太字になっているのか。それは、実際には車で来場する人が少なくないからです。学校の近くには、公共施設やコインパーキングがあったりするので、そういった学校近くにある駐車場は、運動会当日に満車となっていることがあります。しかもそれが希少ともなれば、早い者勝ちということになります。
お金を払って空間の使用権を買う
実は、私もはじめは車で来場できるのではという考えが浮かびました。なぜなら、娘の学校は役所が隣接しており、その駐車場が近年「有料化」されたからです。以前は公共施設という理由から無料だった役所の駐車場が、昨年から24時間最大500円のコインパーキングに変貌したのです。お金を払うのだから、車での来場も問題ないだろう・・・最初、わたしはそう考えたのです。
しかし、車での来場は止めました。そもそも歩いて15分ほどの距離ですし、本来の役所を利用する方の駐車スペースをうばってしまうと考えたからです。
実際に会場に行くついでに役所の駐車場を見てみたら、案の定、満車になっていました。学校参観者用のネックホルダーをつけている人が多数見受けられました。そんな役所の駐車場の案内板には以下のような注意書きがわざわざ貼ってありました。
「来庁者専用 一般ご利用のお客様は駐車をお控えください」
とはいえ、コインパーキングの論理、つまり市場の論理からすると、「お金をはらってその空間の使用権を時間単位で買っている」のだから、べつに車で来場するかしないかは個人の自由とも言えるわけです。法的に問題があるわけではありません。そもそもなんで公共施設なのにコインパーキングにするんだという反対の声もあったはずです。
市場の論理が道徳を締め出す
以前、この役所の駐車場は無料でした。無料時代の駐車場が満車になることは一度も見たことがありません。なぜなら、公共施設併設の「無料」駐車場ですので、役所を利用しない人が駐車場を使うのは罪悪感を感じます。また、モラルが問われているように思うので、公正でない利用はほとんどなかったのだと思います。
それが有料化されたことによって、「フェアではない」という罪悪感や後ろめたさが軽減され、駐車する人が増えたのではないか・・・私はそう考えました。
政治哲学者のマイケル・サンデルは著書『それをお金で買いますか 市場主義の限界』(2012年、早川書房)のなかで、人々の道徳的規範が市場の論理(規範)に置き換わってしまう事例をいくつか挙げています。中でもイスラエルの保育所に関する事例が示唆的です。
イスラエルのいくつかの保育所は、決まられた時間までに迎えにこれない親がおり、親が遅れてやってくるまで保育士が残っていなければならないという問題が起きていました。そこで、保育所は迎えが遅れた場合に罰金をとることにしました。すると予想に反して、親が迎えに遅れるケースが増えてしまったのです。
ふつうは罰金が課されるのであれば、親が迎えに遅れるケースは増えるどころ減ると予想されます。しかし増えてしまった。いったい何が起きたのか? マイケル・サンデルは「規範が変わってしまった」と捉えます。
以前であれば、遅刻する親は後ろめたさを感じていたはずです。保育士に迷惑をかけているからです。それが、迎えに遅れることの「罰金」は「延長料金」となり、保育士の善意に甘えていたという事実から、お金を払って勤務時間を伸ばしてもらっているという事実に変わってしまったのです。
つまり保護者は、迎えの遅れは保育士の時間を奪っているという道徳的規範から、保育サービスの延長をお金で買うという市場の規範へと移行させられたとも言えるわけです。
このようなイスラエルの保育所の事例から考えると、小学校の運動会で、近くの大きな有料駐車場が早々と満車になってしまったのは、道徳的な規範が締め出され、市場の規範で多くの人が判断した結果と言えるのではないでしょうか。
非利用者の料金を高くすることでこの問題は解決できるのか?
運動会の駐車場問題は、24時間500円という破格の設定がそのインセンティブになっている可能性があります。それを24時間3000円にしたらどうでしょう。さすがに利用者は減るでしょう。いっぽうで、役所が駐車料金にそんな高額な設定をしていたら納税者から非難の声があがるでしょう。市民が利用する駐車場なのだし、その整備費は税金で出しているのだから無料でもよかろうと。
このような公共施設の有料駐車場は、そうでない民間のコインパーキングより安く設定されていることが多いです。そうなるとコインパーキングの経営者にとっても不満が高まります。「うちの客が減るのは、税金が投入されている安い駐車場があるからだ。」との非難の声も予想されます。
みなさんの身の回りには、このような公共施設の駐車場問題、あるのではないでしょうか?