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岩波教育小辞典に書いてある「生活綴方運動」


編者に惹かれた小辞典

教育の用語を調べるのに、私は古い小辞典を使っています。手元にある辞典の一つは、1973年に刊行された『岩波小辞典 教育 第2版』です。編者は 勝田守一・五十嵐顕・大田堯・山住正己の4人です。この辞典の初版は1956年ですが、私の手元にはありません。初版の編者は勝田・五十嵐・大田の3人です。

 私がもっているもう一冊は、1982年に出版された『岩波教育小辞典』です。上記第2版の改訂版で「第3版」と言えるものです。編者は2版の五十嵐・大田・山住に、堀尾輝久が加わっています。

 初版から「3版」の全てに関わっているのが五十嵐顕と大田堯です。30年近く同じ教育学者が編集に関わった辞典はそうそうないと思い、この古い辞典を用語の学習に使うようになりました。この辞典の第4版にあたるものはあるのでしょうか? とてもコンパクトで使い勝手がよいので、令和版教育小辞典があるなら手に入れたいです。

 私が直接お会いしたことがあるのは大田堯先生だけです。浦和にあるご自宅の地下室だったと思います。とても長いテーブルに着き、大田先生の、ゆっくりと、言葉の意味をかみしめるような話し方に惹きつけられた記憶があります。

 版による記述のちがい 

 小辞典の第2版と「3版」では、記述が同じところと、後になって付け加えられたところがあります。生活綴方運動の項目の冒頭にはどちらの版でも以下のように書かれていました。

「1930年前後からおこった民間教育運動で、国語科の作文・綴方の改革にとどまらず、綴方を書かせる過程を重視し、これを突破口として教育全体の改革を志向した運動」

 ほかの記述はどちらの版でも同じところが多いのですが、後の版に付け加えられた文言がとても気になりました。それは以下の記述です。(太字のところが加筆された部分です。)

「51年公刊された無着成恭編《山びこ学校》は社会的にも大きな話題となり、50年代には全国的な運動としてひろがった。その後、50年代末から60年代にかけて運動は停滞したが、高度経済成長による子どもの生活の大きな変化に対し、70年代に入り、この運動の意義がとらえ直されるようになった。生活綴方は、子どもが自然・社会・人間について感じ、考えたことを具体的に表現した作品であり、またそれを書かせ、学級集団などで共同検討する過程でもある」(164p.)

 この記述を担当したのがどの編者なのかは明記されていません。60年代の「停滞」、70年代の「とらえ直し」について、より詳しく調べてみたいと思いました。具体的にどのような事実を編者は「停滞」と評価したのでしょう。

「停滞」の理由とは?

 1962年、生活綴方運動を主導していた日本作文の会は活動方針の大きな転換をします。会はその方針のなかで、「表現指導体系の充実をはかる」とともに、今後「『生活綴方的教育方法』というコトバを使用しない」と明言しています。この方針の具体的内容と「停滞」とは、何か関係があるのでしょうか。

 わたしは「生活綴方的教育方法」こそ、この団体の独自なところなのではないかと感じていたので、そのコトバを使用しないという記述には驚きました。60年以上前のことなので、当時の様子を詳しく知る人はもうだいぶ年を重ねています。できれば、そのころの事情を聞いてみたいところです。

 「方針」が出された同じ年、1962年の11月には生活綴方の遺産を継承・発展させる目的で全6巻の『講座 生活綴方』(日本作文の会編/百合出版)が出版されています。その序を書いているのは国分一太郎です。その目的にもかかわらず発展せずに、停滞したのでしょうか。それとも、すでに運動が停滞しつつあって、その危機感の高まりがこの出版を後押ししたのでしょうか。そのあたりも気になります。
 また、当時の教育行政や教育問題、民間教育研究団体とのかかわりも影響しているのでしょうか。今後、学習していきたいところです。

 国分一太郎は、日本作文の会ができて満30年の年に、その歩みについて講演しています。それを文章化したものが『現代つづりかたの伝統と創造』(国分一太郎著、1982年、百合綴方選書)の233〜261pに掲載されています。それを読むと運動の「停滞」と意義の「とらえ直し」について少し分かるかもしれません。読んで、また別の記事にしてみたいと思います。

 

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