探訪録11:田園地帯に鎮座する航海の神「五龍神社」
どうもこんにちは、はじめましての方ははじめまして、ツキです。
まずはじめに2週間くらい更新が遅れてしまいました、すみません。またしっかり更新できるように無理しない程度に頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。
では話を戻しまして、今回紹介するのは佐賀県佐賀市の田園地帯に鎮座している神社「五龍神社」です。JR「鍋島駅」から1kmないくらいの場所にあるこの神社、海が近いわけではないのですが海の神様として有名なとある神様を祀っているようです。また、それにはやはりしっかり御由緒があるようなのでそちらも紹介していこうと思います。
拙い記事ですがどうぞよろしくお願いします。
御祭神と御由緒
さて、それではこの神社が誰を祀り、どのような経緯で生まれたのかご紹介いたします。
遡るは千年以上前、欽明天皇の時代に豪族の田中氏という長者がこの地方にいました。田中氏は広く商売を営み巨万の富を蓄え、大船を浮かべ大陸と交易していたそうです。そのために、海上の平安を祈って龍神を深く信仰していたといいます。
欽明天皇26(565)年、とある夜の夢で神のお告げを受けたといわれています。お告げの通り、西の海中から不思議な光を伴った黄金色の霊石を手に入れ、それを危難除去の守護神として国家の鎮護と一族の繁栄を祈念し、村の西隅に1つ祠を建て「五龍社」と称し祀ったといいます。
また、このことを知った里人も鎮守の神として崇敬するようになったそうです。そして、徐々に信仰があつくなり、ついに同市にある與賀神社(よかじんじゃ)の摂社(本社の主祭神と関係の深い神様を祀る神社)となり二の宮とも称されるようになったといいます。 これがこの神社の始まりです。起源は思っていたよりもかなり古いものでした。
御由緒からも分かる通り、主祭神はこの時に祀られた龍神ですね。五穀豊穣、交通・航海安全、安産、諸災除去の守護の神様として信仰されているそうです。なおこの神社で祀られている龍神は、龍神としてよく祀られている九頭竜や八大龍王ではなく、海神として有名な大綿津見神(オオワタツミノカミ)であるようです。由緒書に海童神(大綿津見神の別名)とあることと、主祭神が豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)の與賀神社の摂社になったということから綿津見大神(豊玉姫命の父)であるとみて間違いないと思います。個人的にはあまり龍神のイメージはありませんでしたが、龍神としての綿津見大神を祀っている神社もあるようなのでなるほどなぁって感じでした。
実はこちらの神社、天照大御神と仁徳天皇、菅原道真も共に祀られています。明治29(1896)年に管内数社を併祀したらしく、おそらくその時にこちらにやってきたのではないかと思われます。天照大御神は国民の総氏神であり人間生活の総守神、仁徳天皇は人情豊かで慈悲深く、家内安全や安産の守神、菅原道真は学問の神様として信仰される神様たちですね。
鍋島家と五龍神社
神社の始まりから時代は進み江戸時代、この神社にとある武将が関わってきます。
その武将とは、鍋島直茂とその息子の鍋島勝茂です。
肥前国の戦国大名である龍造寺隆信の家老であり、肥前佐賀藩藩祖である鍋島直茂は家臣の多久長門に命じ七社明神を配祀したといいます。由緒書ではこのようにしか書かれてないので、神社の詳細は不明ですが境内には社がいくつもあるのでこれらのことかと思われます。
以下、七社明神と思われる境内社です。
その息子である鍋島勝茂は特にこの神社を信仰しており、社殿の造営に松や杉や楠を1千本境内に植栽したのだそうです。また、祭祀料及び修復料として八戸村の田地、四町八反(約48000㎡)を奉献したのだといいます。
これ以降も藩政時代は神事も盛んに行っていたのだそうです。
境内風景
境内には紹介したもの以外にも多数の祠などがあります。これらは佐賀市の他の神社でもよく見かけるもので、おそらく民間信仰の名残などが納められたのかなと思われます。
以下、それらを含めた境内の風景となっています。
ちなみに神社周辺の水田からは素焼きの古代土器の破片が広い範囲で数多く見つかっているそうです。また、神社の南側には小さな土祠があり、御神体を引き上げるために使用した縄などを納めた所なのだそうです。
それでは今回は佐賀市の田園地帯にある神社「五龍神社」でした。かなり古くよりこの地に鎮座して、いくつもの時代と人々を見守ってきてくださった由緒あるとても良い雰囲気の神社です。数は少ないですが駐車場もありますので付近を訪れることがありましたらぜひ寄ってみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。次回以降もお読みいただけると嬉しいです。