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機密天使タリム 第一話「お前が守るんだ」

1998年7月7日

 もう少しで中二の夏休みか……。
 学校も受験も下らない。
 いっそ来年あたり世界が滅べば楽だよな。
 ノストラダムスの大予言とか、もっと下らないけど。

 そんなことを考えながら人の少ない放課後の帰り道を歩いていると。 

”ウウウウウウウウーーーーーーン!!!”
「警報?地震……じゃないか。普段こんなの鳴ってたっけ?」

 ふと気づくと、前方に人型の化け物……らしきものが歩いているのが見えた。


 それはたまたま通りがかった気の毒な老人を腹にある顔で丸のみにし、僕を見てにやりと笑った。

「なんだ、これ……」
 
 化け物が迫ってくる。
 あまりに想定外の事態と恐怖で身体が動かない。
 僕はそいつに勢いよく地面に押し倒された。


 ……至近距離で目が合った。
 そいつの表情は、嗜虐と食欲の悦びに満ちていて……。 

 あ、僕……死ぬのか。

『敵を殲滅します。大事なものを守るために……!!』

 誰かが突如上空から降りてきて化け物を蹴り飛ばし、僕の前に立った。
 化け物はすぐさまその誰かに鋭い爪で襲い掛かり、その人は腕で爪を防ぎ、血が流れた。

『適合率92%、エネルギーチャージ完了。……ロックオン、タリム砲発射!!』

 禍々しさすらある装甲をまとった少女。
 彼女は手から光の嵐のようなものを放ち、一撃で化け物を粉砕した。


 そして異形のヘルメットを外すと『大丈夫?』と言って微笑んだ。

『あ、人前でコレ外しちゃダメなんだっけ……。世界で唯一の機密兵器とか、面倒だなあ』

 肌が少し褐色で、異国の雰囲気があるが……
 あどけない笑顔の、ごく普通の女の子。
 それがはじめて彼女の顔を見たときの印象だった。
 身にまとう武装を除けば……。

 そして、彼女は風のような早さで飛び去った。
 化け物の残骸は、砂のように崩壊して消えた。

「え、夢……だよな」
 痕跡は僅かな血痕のみ。
 他の誰かにこれを見せながら今起きたことを説明しても、誰もまともに取り合わないだろう。
 
 翌日、同じ時間、同じ場所に行っても特に何もなかった。
 昨日あった血痕さえ消えていた。
 それから学校へ戻って校庭の端っこ、木の陰にあるベンチに横たわって本を読みながらぼーっとした。

 あれは、夢だ。
 ほかに、どう受け取りようがあるんだ?
 
 それから。
 その後の夏休みを不毛に過ごしながら、あの日起きたことを忘れようとした。あんなことさえなかったら、いつも代わり映えしない片田舎の小さな町だ。

 

八月の末。夏休みが終わり、始業式の朝。


 いつもの通学路の曲がり角に差し掛かったとき。

『いっけな~い、遅刻遅刻!!』
 食パンをくわえた女の子が……肌が少し褐色で、少し異国の雰囲気がある……がこちらに向かって走ってきた。
 
 気のせいだと思うが。
 僕のいる方向へ走ってくるというより、僕をめがけて突進してきてないか……?

「あっ……」

 僕と彼女は、身体がふれあ合うほどの距離になり……
 このままだと彼女を抱きとめる形に……
 いや、それどころか、パンを口から離した少女と口と口がぶつかりそうにな……


 ……りそうだったので、僕は慌てて横に避けた。
 
その子は勢いよく地面にスライディングしながら地面に落ちそうになったパンを口でキャッチ。
倒れた姿勢のまま意外そうな顔をしてこちらを見た。

『……え?』
「え?」
 僕たちは顔を見合わせた。

 女の子は立ち上がり、パンを咥えながら言った。
『ほぼはふぶかうところはばいのっ?!(そこはぶつかるところじゃないのっ?!)』

 そして、女の子は再び僕に向かって突進してきたので、僕は慌てて距離を取った。

「待って、待って!!」
『ばべ、ぼべるっ?!(なぜ、避ける?!)』
「危ないから!!!それに怖いっ?!」

 女の子は立ち上がりながら言った。
『日本には転校生がパンをくわえて男の子とぶつかる風習があるんじゃないんですかっ?!』
「ねぇわっ!!!漫画でしかねぇから!!!」
『え……』

 少女は呆然としてへたりと座り込み、虚ろな目をしながらパンを食べた。

『”ドキッ☆恋とキラキラの転校生~運命の出会いは突然に~”は、嘘を書いてたの……?!』
「それ、少女漫画のタイトル……?
そのー……口と口がぶつかりそうになったのまで再現しようとしたの?
流石に現実でそれは……」

 少女は慌てて手をブンブン横に振りながら立ち上がった。
『それは違うのっ!
わざとじゃなくて弾みというか偶然というか、危うく大変な事後になるとこでした!!
そっちは誤解しないでね!!』
「事後言うな!それを言うなら事故だろ!!」

 危うげな表現に思わず突っ込んでしまった。

『……うん?
まあいいや、今日からよろしくです!!』
 そう言って女の子は立ち去った。

「あの子って……このあいだ怪物を倒していたヘルメットの子だよな……?」
 今のは……一体なんだったんだ?
 

 

始業式後のホームルーム


『今日から転校してきたタリムです!日本語はまだチョトニガテです。細かいことは機密事項です!よろしくです!』

 通学路の女の子が僕のクラスに転校してきた。
 そして、担任は今学期から見たことのない先生に変わっていた。


「席は……そいつの隣だ」

 えっと……僕の隣?

 やたら無口で、どこか威圧感のある若い男の先生……黒鵜(くろう)先生はタリムを僕の隣へ誘導しながら僕の方へ近づいて行き、僕の耳元で囁いた。

「彼女の秘密を守り、日常を支援しろ。
さもなくば正体を知っているお前は機密機関に処理される」
「は、はい……?」

 えっと、機密機関……?
 この先生、一体何……?
 この子が怪物を倒していることが、知られちゃマズい秘密……ってことか?
 この子は……あの怪物は……?
 先生が何を言っているのか、僕は何に巻き込まれたかさっぱりわからないが……。
 ひとつわかったことがあるとすれば、「僕に選択権はなかった」。

「あの、先生……事態がよく飲み込めていないんですが……」
「今言った通りだ。他に言うべきことはない」
「……はあ」

 意味がわからん。
 あの日化け物に襲われて……謎の少女に助けられて、それが今朝体当たりをしてきたかと思えば、おっかない先生に世話しろと脅されて……。

 ホームルームの後。
 本来、今日の学校はこれで終わりなのだが。

「ねえねえ、どこの国から来たの?」
「キミツ?キミツってなに??」
「ねえどうして日本に来たの?お父さんの仕事の都合とか?」
「好きな食べ物は~~?」
「日本語上手いね!誰に教えてもらったの?」

 転校生質問攻めタイム。
 そんな中、タリムは完全にパニックを起こしていたが、僕は黙って遠巻きにそれを眺めていた。

『あわわわわわわ。出身は東南アジアのちっさい島だけど、細かいことはキミツにしろって言われてて……』
「え?誰に?なんで?」
『き、キミツジコーです!』
「だからキミツってなに?」
『偉い人に秘密にしなさいって言われたことです!』
「えー?タリムちゃん実はスパイ?」
『酸っぱくないです!!』
「あ……(アホの子だ)スパイは無理か。じゃあ密入国とか?」

 女子生徒の一部がからかってきた。

『ち、ちがいます!』
「お父さんはどこにいるの?この町で働いている?」
『お父さんは……いません』
「あっ、ごめんね……なんか複雑な事情が……」

 なんとも言えないムードになって、タリムはよりパニックになった。
『あわわわわ……ゴメンナサイえーと!
ワタシニホンゴワカリマセン!!』

 今更その誤魔化しは無理あるだろ。
 教室はシーンとなった。

 そこに黒鵜先生がやってきて僕の肩を強く掴んだ。
「痛っ?!」
 先生は耳元でそっと圧のある言い方をした。
「お前が守るんだ」
 僕が反射的に頷くと、肩から手を離した。
「守るって……どうすれば?」
「最初の任務だ。彼女に校内を案内しろ」

 正直、「守れ」とか言われても、僕にそんなこと出来るはずがない。
 そう、僕には……そんなことしようとしても、どうせまた失敗する。
 きっとまたロクなことにはならない。
 だが……頼まれた案内だけはやらないといけない。

『……』
 タリムが不安げな顔をして袖を引っ張ってきたので、僕は頷いて教室の外へ向かった。


放課後、学校の廊下

 
 僕とタリムは学校の廊下を二人で歩いた。
『やー、なんかいっぱい聞かれて困っちゃいましたー』

 だが、二人きりで話せるなら丁度いい。
 僕だって訊きたいことは山ほどある。

「なあ、君は夏休み前に僕を助けてくれた子だよね?」
『そうですよー。生きててよかったね!』

 彼女は不安そうな表情からくるっと笑顔に変わった。

「君はいったい何者……」
『ごめんねー。ほんとは武装してるときに機関のひと以外に素顔見せちゃいけなくてー。
そのとき顔見ちゃった人はほんとは処分されちゃうの』
「処分って何?!」
『ついうっかりしちゃってー。
処分は処分だよー。
あ、でも学校で顔見知りというか、正体知ってるひとがなんか安心かな、って思って。
偉い人にお願いして、一緒の学校に通えるようにしてもらいました!!
やったーーー!』

 彼女は大勢の前で話すのは苦手だが、本来はおしゃべりらしい。
 おまけによく動き、笑う。
 今だって手足を縦に振りながらクルクルと回っている。

「えーと、君はそもそも何と戦って……あの化け物は……?」
『あれねー。人を襲うんです。怖いよねー』
「ああ……。
あれってやっぱり夢や幻じゃなかったんだな」
『残念ながら本物ですよ。
……一人、助けられなかった』

 明るかったタリムが、急に表情を曇らせて、拳を握った。
 タリムが到着する直前に、老人が一人犠牲になったのだ。
 可哀そうだが、僕にはもちろん、タリムにもどうしようもなかった。
 あまりに一瞬のことで、おそらく苦しむ暇もなかったことが、不幸中の幸いだが……。 

「……」
 タリムがふと僕の顔を見た。
『……あ、それでね!!えーとね!』

 タリムは無理に明るい声を出した。僕に気を遣っているのだろうか。
 自分だって深刻そうな顔をしていたのに。

『あんなの見たことないでしょ?図鑑にも載ってないし』
「お、おう……。
なんで、君があんなのと戦ってるんだ?」
『それはね、私は人類で唯一の機密天使だからなんだ!!
あの化け物を倒せる唯一の機密兵器なんだよ』
「機密……天使?」

 唯一の機密天使……?
 いや、さっきから何を言っているのか理解が追い付かない。

『それでね!えーと!
私のお仕事は、この力でみんなを守ることなの!!』
「みんなを……守る?
どうして?
わざわざ見知らぬ人を?」
『それが私の使命だからです!!』
「君だって危ない目に合うんだろう?
そこまでして……なんの見返りがあるんだ?」
『うん?見返りなんて要らないよ』

 こんな小さな女の子が……自分を犠牲に誰かを守る?
 なんでそんなことを……?
 それでこの子になんの得が?
 使命って……なんだよ。

『……あっ』

 校庭につながる吹きさらしの廊下を二人で歩いていると、サッカーボールが近くの水たまりのそばに転がってきた。
 彼女は上履きのままそっちに走り出し、華麗なドリブルをしてから、
スカートが大きく翻るのも構わず思い切りボールを蹴り上げた。
 ボールは空高く飛んでいき、校庭に設置してあったバスケのゴールにスポンと入った。


『やったーーーー!!ゴーぉおおおル!!!
ねえねえ、見てた見てた?!』
「……」

 しばしの、沈黙。

「見てた、っつーか見えてたわ周りに!!!
めっちゃパンツ見えるわ!!!
あと、あんたが何者かよくわかんねーけど、そんな目立つことしていいのか?!
周りの目少しは気にしろやああああ!!!
あと上履きで泥の上走るなあああああああ!!!
それで廊下に戻ってくるなよその辺泥だらけだろがあああ!!!」

『……うん?』
 彼女はなにがまずいの?と言いたげに首をかしげた。
「いや、だからあ、スカートめくれてパンツ……見えてたんだが」

 大事なことだから、二回言うハメになった。本当はこんなこと一度も言いたくないが。

『私の地元の女の子だいたいこんな感じ!七年前までこうやって遊んでた!』
「えっと、今何歳……?」
『14!!』
「……あー、七歳ならわかるけど、その年になったらやめような?常識的にわかるだろ」
『なんで?!女の子もスポーツしてるじゃん』
「みんなブルマはいてるだろうが?!
スカートめくって運動する女子がいるかあああ?!」
『あれもパンツとあんまり布面積変わらなくない?むしろあっちのがちょっとエ……」

 なんてこと言おうとしてるんだ。

「それ言うんじゃねええええ?!みんな思ってることだけど!!」
『みんな思ってるのに言ってはいけない……???」
「あと、上履きで土とか泥の上走っちゃいけません!!」
『うん?靴で地面歩くの何が悪いんですか?』
「これは上履きっていう室内用なの!!そういう規則なの!!」
『ふーん……』

 タリムは納得してないような、不服気な態度だ。

「それに泥だけのまま歩いたら廊下が汚れるでしょーが!!」
『それならだいじょぶです!!』
「ああ、ちゃんと掃除して……」
『明日雨降ればキレイになる!
明日降らなかったら来週くらいにはキレイになります!!』
「ならねーーよ!!それまでに先生に見つかったら怒られる!!あー、雑巾取ってくるからそこにいて!」
『えー』

 僕は慌ててしぼった雑巾を二つ持って戻ってきた。
 そこに彼女はおらず、足跡が点々と続いていた。

「あの馬鹿……!!」
 僕は足跡を拭きながら辿っていった。

 近くから甘い匂いがした。
 調理部がクッキーでも焼いているのか。
 ……。
 まさか。

『ハムハム』
 ほお袋を大きくしたリスみたいなヤツがいた。
「動くなって……言ったよなあ……」

 汚れた足で調理室の中には入らず、開いた扉の前にいたのが唯一の救いだが。

『おいしい』
「おいしい、じゃねええーー!!あー、こっちまで泥だらけ!
あ、言ったそばから歩くな!」
『やーん、無理やり脱がしちゃ嫌だ~~~』
「人聞きが?!上履き貸して拭くから!!……あ」

 調理部のひとたちがなんとも言えない目でこっちを見ているのに気づいた。

「あ、すみません、えっと、マジですんません!!
えーと、その……こいつ勝手に盗み食いとか……
しちゃいましたか……?」
『違うよー、匂いに呼ばれてきたら、形が失敗したヤツいっぱいあるって言うから、もらった』

 何餌付けされてんだ。

「どうもすみませんでした!!」
『くれるって言うからー。おいしかったです!ありがとー、またくるねー』
「迷惑かけにくるなよ?!」

 彼女は歩きながら言った。
『あのさ、ちょっといいかな』
「なに?」

 今日あれこれ世話を焼いてやったお礼かな。

『あなたは、規則とか、常識とか、みんながどーとか、あーしろこーしろうるさいです。
そんなんじゃ一緒にいてつまんない』
「……。
げふぅっ?!……ゴホッ、ゲフゥっ?!
……つまんない、ヤツ……だと?」

 唐突な最大の攻撃に、僕はよろめき、喉から苦悶の音が出た。

『……あ、ゴメンね。ちょっと言い過ぎました。
だけど明日からそういうのいいです』

 容赦のない追い打ち。
 ……
 ……
 そうだな、こんな面倒なこと、明日からしなくて……。
「彼女の秘密を守り、日常を支援しろ。さもなくば正体を知っているお前は機密機関に処理される」
 黒鵜先生はそう言っていた……。
 あの先生もこいつの関係者で只者じゃないんだろうな。
 機関とか処理ってなんだよ、ホントによー……。

「よくねえよ!!お前のために!何より僕の安全のために!!
しっかりこの学校での生活を教え込んでやるから覚悟しろよーーーーー!!!」
『ヤダーーーー、今日はもうお家帰るーーーー!!
べーーー、だ!!嫌い!!!』
「下駄箱で靴はいてから帰れーーーーー!!!」

 タリムに無理やり上履きを脱がして靴に履き替えさせ……しかも学校指定のローファーじゃなくて南国風のサンダルしかない。

「ローファーはどうした?黒い革靴」
『あんなの動きづらいしムレるから嫌!!!』

 そう言い捨てて彼女は脱兎のごとく……
いや、競走馬くらいの勢いで帰っていった。
 どんだけ足早いんだ。
 まるでオリンピック選手……いや、それ以上か?化け物と戦っていただけあって只者ではない。
 それにしても、よっぽど嫌だったんだろうな。学校が……いや、僕が。

「はぁ……」
「そこの少年」
 ため息をついていると、誰かが後ろから話しかけてきた。

「えーと……。
たしか、今学期から来た保健の先生……」

 学年の途中から保健の先生が入れ替わることは珍しいが、始業式で紹介されていた……。

「茨よ、よろしくね」
「はい、こちらこそ」

 若くて背が高く、やたらグラマラスな女性の先生だ。
 顔立ちはちょっとキツくて、西洋系っぽい感じ。
 周りの男子学生はけっこう騒いで喜んでたな。

「あの子のことも、出来ればよろしくね」
「……あ、はい」

 タリムのことだよな。
 よろしくも何も、非常に嫌われた直後だが。

自宅


「あああああ~~~~はあああああ~~~~~~……」

 僕は家に帰ると、自室のベッドで頭を抱えてゴロゴロ転がった。
 正直、女の子に面と向かって嫌がられるのは想像以上のダメージだ。
 色々一杯一杯。
 
 悪夢のような化け物に襲われ、あの子に命を救われ。
 と、思ったらその命の恩人が転校生で、彼女の面倒を見ることになり、
 しかも凄いガキというか、ポンコツというか、アホというか、常識知らずというか……。
 14歳?言動はまるで小学生……。
 そういや、七年前までこんな感じで地元で暮らしてた……とか言ってたか?
 まるで七年間も中身が変わってない子どものままのような……
 じゃあ、その後の七年はどういう風に生きて来たんだ……
 ……
 ……
 わけわかんねえ。
 だいたい、担任の黒鵜先生も一体なんなんだ?
 秘密とか機関とか……守れ、とかさ……。
 夕飯……親は両方とも都会で働いているから自分で用意しなくては……
食欲ないし面倒だ。
 もう、今日はこのまま寝ちまおう……。

”ガサ!ガサ!”
「……?」
”ガサガサガサ!!”

 ……まさか、泥棒?!
 慎重に薄目を開けると、うっすら人影が……。
 親なら無言で入ってくるはずがない!!
 
”パリ、パリ……”

 まさか、泥棒が堂々と何か食べている……?
 馬鹿な……野生のアライグマ……にしてはデカすぎる。

 思い切って目を開けると、そこにはタリムがいた。

「なにしてんの……?」
『せんべー、おいしい』
「……そうじゃなくて、なんで僕の部屋にいるの?」
『学校から帰ろうとした。お家の道忘れた。
後からお前が出て来た。
一旦隠れて、後ろから追いかけた』
「いや、隠れんな。
後をつけてくるなよ」
『……だって、嫌いって言ったばかりで、どう話せばいいかわからなかったから……』
「せめて、なんでもいいから一言いえよ。
他に頼れる人は……」

 タリムは首を横に振った。

『けど、黒鵜先生は、困ったときはお前に頼れって言ってました!!
お家に泊ってもいいって。
だけどお前、私に冷たいし……』
「おい、そもそも先生から何も聞かされてないぞ僕は?!」
『え、そうなの?
……それで、どうしようか迷って。
ドアに触ったら鍵開いてた。
お腹減った。お前寝てる。
せんべー。
終わり』

 僕は頭を抱えた。
 いつの間にか『お前』呼びだし。

「あのねえ。
だからって、勝手に許可なく他人の家に入っちゃいけません」
『そうなんだ。
昔暮らしていた島じゃみんな自由に出入りしてたから……』
「それはみんな顔見知りだからだろ」
『うん?お前と私、顔見知り!問題ないです。
島のおばちゃんは好きにおやつ食べていいって……』
「いや……。
この国じゃ勝手に入ってせんべー食べたら泥棒だからな……」

 タリムは口から食べかけのせんべーをポロリと落とした。

『ごごごご、ゴメンね?!
あ、お詫びにこのせんべー食べる?!』
「食べかけの落としたヤツを無理矢理僕の口に入れようとするな?!
頭痛が……頭痛が痛い……」

 僕は文字通り頭を抱えた。

『あははははは!頭が痛いの間違いじゃん!!』
「アホなのに的確なツッコミするんじゃねええーー?!誰のせいだと!!」
『今アホって言ったー。アホって言う奴がアホなんですよー』
「ほんと、小学生みたいなヤツだな。
こんなのが本当にあのとき助けてくれた人なのか……?」
『しつれいですよー。だいたいお前はお礼も言ってないじゃないですかー』
「あ」

 それは確かにその通りだ。まあ、それでも不法侵入者には変わりないが。

「先日は命を救って下さり誠にありがとうございました」
 僕は正座して深々と頭を下げた。
『うん、よろしい。……せんベー食べていいよね』
「どうぞどうぞ、一袋全部どうぞ」
『ああ、お茶飲みたいな~』
「いますぐ!」

 僕は慌てて湯を沸かし始めた。

『ほかになんかないの~』
「は!冷蔵庫にプリンがございます」
『食べていいよね?ね?』
「は!スプーンはこちらに!」
『今日ここに泊まっていいよね?ね?』
「は!仰せのままに……は?」

 中学生同士で親もいない、一つ屋根の下。何か起こらないはずもなく……。
 ……。
 いや、起こらなかったけど。
 いや、こいつなんなの?
 なんの警戒心も照れもなく勝手にひとのベッドで寝ちゃったんだけど。
 まるで小学生同士のお泊り会だな。
 本当に、小学生のまま中身が止まっちゃったみたいな……。
 
 しょうがないから僕は隣の部屋で寝た。


翌朝 

 
 朝起きて、僕は二人分のパンとインスタントのスープを用意した。
 タリムは貸したダボダボのサイズが合わないシャツ……以前間違えて買った大きいサイズのヤツだが、なぜかそれが気に入ったらしい……下はパンツだったけど、エロくもなんともねえな。

「僕の部屋の猫のぬいぐるみを勝手に抱えて持ってくるな」
『いいじゃ~~ん。むにゃむむにゃ……』


 途中から何言ってるかわかんないし。
 それから彼女の制服のアイロンがけをして、制服を着せた。

『まだねむいー』
「学校遅れるぞ!……ひぇっ?!」

 玄関を開けると、目の前に黒鵜先生が無表情で立っていて、心臓が思い切り跳ね上がった。
 先生は後からのそのそサンダルを履いている彼女をちらりと見て言った。

「……遅刻するぞ」
「えー……あ、はい」
 先生は先に行ってしまった。
「……あの人はあの人でなんなんだよ……怖すぎる」
 今流行りのストーカーか?この子の?僕のじゃないよな……?

一時限目、英語


『ねえねえ、今から何やるの?』
「英語の授業だ。
教科書は……」
『持ってない』
「じゃあ、僕の見せてやるから。
机くっつけて」
『おお、これ漫画で見たことあるシーンだ。
目がやたら大きくてキラキラして、鼻がやたら尖った美男美女の甘い恋が始まるヤツだね!!』

 タリムは僕の顔をチラリと見てからため息をついた。

『現実は甘くない』
「おいっ!!」

 周りはクスクス笑い始めた。

『で、この本面白いの?』
「教科書を面白いかどうかで判断するな」
『ここに書いてあるTomとKumiはどういう関係?
友達なの?恋人未満?手つないだ?
関係は何ページから進展する?』
「そういう話じゃねえっ。
延々クソつまんねーどうでもいい日常会話繰り広げるに決まってんだろうがっ」
『えっ……?!
二人は一年間関わり続けて延々つまんない話を続けるの……?!
距離が近づくことも離れることもせず……?!
不自然すぎるっ!!!
お年頃の少年少女としてなにか間違っている……』

 僕はため息をついた。

「あのなあ、タリム……。
学校ってそういうものなの!!
ほとんどの男女は一年間クラスで一緒にいてもほとんど進展なんざしねぇんだ!!
お前が言ってるのは一部の恵まれた男女とドラマや漫画の話だけ!!!
諦めろ、お前の期待していた青春はここにはない……」

 周りの男子達は一斉にうんうんと強く頷いた。
 女子たちはそれをなんとも言えない目で見ていた。

『そんなだからモテないのか』
「おまっ……?!」

 周りは爆笑した。

「そこ!!!さっきからうるさい!!!」
「はいっ、すみません!!!」

 珍しく先生に叱られてしまった。
 クソ、僕は何事もなく学校生活を送りたいのに、コイツのせいで……っ!!

「タリムさん、次読んでくれる?」
 先生がタリムを指名した。

『えーっと、どこどこ?』
「ここ読んで……えっと、お前そもそも英語読める……?」
『It's great!The cat is God.Reconcile with the cat!!』

 タリムは先生より遥かに流暢な発音をした。
 先生は凍り付き、周りはざわついていた。
 

 休み時間、女子生徒がタリムに話しかけてきた。

「ねえねえタリムちゃん、英語得意なの?!」
『うんー?ふつーです』
「いや凄いって!!」
『私の周りの人は英語とかフランス語、スペイン語とか色々話せるひといました』
「すごーい!」
『住んでいた島が色んな国に占拠されたり、その後に暮らした場所も色々訳ありの人が多かったのです』
「あ……そう……」
 思わぬ重い話題に女子はするすると下がっていった。

 

二時限目、社会

 
 タリムは大人しく授業を聞いているようだ。
 これで安心して授業に集中できる。

”タンタンタン”

 授業に退屈した男子生徒のひとりが、鉛筆で机の端を叩いた。
 タリムがそれをチラリと見た。

”トントコトントントン”
 タリムは指でリズミカルに机を静かな音で叩いた。

”タン!タン、タタタタタタタタン!!”
 さっきの男子生徒が激しいリズムを鉛筆で慣らして、チラリとタリムを見てにやりと笑った。
 ムッとしたタリムはさらに指で音を立てた。

”トトトトトストトトトト・トン・トン!!!”
 指と机だけとは思えないほど見事なリズム。
 周りは軽く「おおっ」とどよめいた。

「おい、タリムいい加減に……」

”ト、ト、トン!!ト、ト、トン!!”
 今度は吹奏楽でドラムをやっている女子が机を叩き始めた。
 それからタリムとさっきの男子とその周りの男子が一斉に音を立て始めて……。

『エィヤ~~ァあ~~~ကြောင်ကြောင်နဲ့ ပြန်လည်ညှိနှိုင်းပါ~~~~~~!!!』

 タリムがどこかの民族音楽みたいな音程で謎の歌を歌い出した。
「エィヤ~~ァあ~~~そんそんめいみぃまんまぁ~~~」
 周りも面白がって机を叩きながら真似して歌い出した。
 教室はまるで異国の宴の中にいるような雰囲気になっ……

 温厚な社会の先生と目が合った。
 
「タリム、そろそろやめような……」
『え、なんで?!一緒に歌うと楽しいよ~~』
「先生の顔を見ろ」

 先生はとても悲しそうな目をしていた。
『……えっと、ごめんなさい』

 先生は微笑んで、言った。
「今日はいつもの三倍の宿題出しますね」

 

三時限目、数学

 
 やたら静かになったと思ったら、タリムは頭を前後に揺らしながら眠りかけていた。
 先生はなんとも言えない目でそれを見ていた。

「次の問題……タリムさん」
「タリム、タリム……」
『……んん……』
「起きろ、呼ばれてるぞ」
『おかーさーん』
「寝ぼけんな!僕はお前のおかーさんじゃねえ!!」
『しんせきのおじさーん』
「違うわ!!!ほら起きて、あ、よだれ!!
あーもうハンカチ使えよ……ひとのハンカチ噛むな!!」

 周りはクスクス笑い始めた。

 ぼけていたタリムは、先生に指名されてサラサラっと黒板に解答を書いた。
 その授業で一番難しい問題でも、同じようにサラサラっと解答を書いた。
 ……どちらも正解。僕でもさっきのはわからなかったのに……。
 人格は子ども、頭脳は大人なんだろうか……?
 ますます謎だ。

 今度はさっきの女子が僕に話しかけて来た。
「えっと、タリムちゃんって何者なの……?」

 そんなことは僕が知りたい。

「えっと……タリムはタリムだよ。
まあ、遠い国から来たからちょっと変わってるように見えるけど。
こいつの中ではこれがフツー……らしい」
「そ、そうなんだ。なんか凄いねえ。なんで君がタリムちゃんの面倒見てるの?知り合い?」
「あ、うん……その……」

 しまった。予め想定出来る質問に答えを用意してこなかった。
 どう答えれば波風が立たないか……?

『この人は私のゲボクなのです!!」
「たぁりぃむうううううう?!」

 何言い出すんだこのアンポンタン?!

『命を救ってあげたから、恩を返しきるまでゲボクになってもらっています!!』

 女子生徒は戸惑いながら言った。
「えっと……どういうこと?」

 さあ考えろ!この場を切り抜ける言い訳を!!

「半分嘘だから!!!えっと……偶然その……命を救われたのは本当!
そのー危うく車にぶつかりそうになったところを!
こいつがさっと助けてくれて!なあタリム!!!」
『そうじゃないけど詳しくは言えないからキミツジコーでその通りです』
「……」
「……」
『……』
 微妙な沈黙。

「こ、こいつ照れ屋だから、自分が助けてあげた詳細とか、言いたくないって!!
いやあ、謙虚だよなあ!!!」
『うん。私ケンキョ……。ケンキョの意味しらないけど。
だからお家に泊めてもらってお世話してもらったの』
「たぁりぃむううううううぅ?!」

 こいつやっぱ馬鹿じゃねえか?!

「え……二人って……中学生で……親公認なの……」
「あ、いや、ちょっと違くて!その!トラブルで泊まるハズだったとこに泊まれなくて!それでそう!
先生!黒鵜先生に頼まれて一晩置いといただけだから!!!
やましいことはなんもないし、途中で先生様子見にきてたから!!!
なんもあるはずもなく!!!
だいたいこいつ手のかかる妹みたいなもんだし?!」

 聞いていた女子はなんとも言えない表情で言った。

「あはは……兄と妹っていうか。ほら、さっき寝言で言ってたみたいにママというか親戚のおじさんみたいに見える……」
『つまりママオジ』
「え」
 呆然とする僕。

 近くで会話を聞いていた男子生徒が騒ぎ出した。
「それだーーーー!!!」
「ママオジーーーーー!!!」

 今日ここに、クラスで影の薄かった僕に超絶目立つあだ名が誕生した。

「娘をちゃんとしつけしとけよママオジー」
「あ、ちが……その……」
「ママオジ!ママオジ!」

 ママオジコールが続く中、あまりの衝撃に呆然としながらも、僕はなんとか彼女の秘密を守りつつ、波風を立たせない方向に話が流れたことに安堵していた。
 タリムもこれで少しはクラスに馴染めただろう。
 ……一人の名誉と引き換えに。

『なんか急に賑やかです!楽しいことでもありました?』
「……なんもねえよ……」

 

放課後


『よし!お家に帰ろう!』
「じゃあな!真っすぐ家に帰れよ」
「うん!」

 僕は家に向かって歩いていった。
 後ろをタリムがついてきた。
 僕がくるりと後ろを向くと、彼女も後ろを向いた。

『後ろに誰もいないですよ?』
「いや、お前!なんでついてきてる?!」
『さっき、真っすぐ家に帰れって言ったのお前ですよ』
「僕の家のことじゃねえ!!
あーもう、送っていくからお前の家のこと教えてくれよ。
本当は家の道覚えてるんだろ?」

 昨日は言動の幼さから納得してしまったが、授業中見せた知力の高さからそれは嘘としか思えない。

『わかりました、案内します』
 タリムは僕の先を歩いて行った。

『ここです!』
「それは僕の家だ!!自分の家に帰れ!!」
『イヤー。おせんべーとパン食べたいですー』
「そんなもんがいいのかよ。ってか、炭水化物ばっかだな……。
まあいい。食べたらさっさと帰ってくれ」
『わーい』

 彼女は出されたものを食べてから、寝た。

「おい、こんなところで寝たら風邪ひくぞ」
 僕は彼女に毛布をかけてあげてから、気づいた。
「今日も泊まる気満々じゃないか!!!」

 いっそつまんで外に放り出すか?
 いや、こんなんでも一応命の恩人だしなー……。

"ピンポーン"
 玄関のチャイムが。
「こんな時に一体誰だよ?!」

 ガチャ。
 玄関を開けるとそこにいたのは。

「ひえっ?!」
「次の任務だ。タリムが気が済むまで家での世話をしろ」
 黒鵜先生はそれだけ言うと、どこかへいなくなった。

「え……なにあれ……ストーカー?」
 

 居間に戻ると、タリムはよだれを垂らして寝ていた。
「これから、何か大変なことが始まる気がする……。
ただ、平穏な生活を送りたかっただけなのに……」

 僕は頭を抱えた。
「何者なんだよあの先生ーーーー!!!
自分で面倒見ろよーーーー!!!
……いてっ」

 ふと気が付くと、僕はタリムに足を蹴られていた。
 どうやら寝返りをうって一回転して足が当たったようだ。

「あー、もう!!
いつの間に腹出して……どんだけ寝相悪いんだコイツ……。
はあ……妹がいたらこんな感じかなぁ……。
ママオジとか……冗談じゃねえぞ……」
『むにゃあ……ぷりん……』

 僕は頭を抱えながら、二人分の夕飯をどうすべきか悩んだ。


注釈
謎の歌はミャンマー語で「猫と和解せよ、猫~」と歌っています。


第二話はこちら。

↓♡を押すとヒロインおみくじが出てきます。
そして作者は泣いて喜びます。

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