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マサちゃん(母)の話

先日、友人に何年かぶりに会った。
友人は今年に入ってお父さんが往生されたようなんだが、心境を聞くと「自分は父親に手のカタチや性格や、たくさんのものを譲ってもらっているからか、墓を見てもそこに居る気が全くせずにまるで自分が墓標のようだ」と言ってたのがとても面白かった。
ふと自分の中に親の姿を見る時って、去ってからだとまた違う気持ちになるんだろうな。私はマサちゃん(母)の墓標には、確かになりそうだなとふと思ったりした。

久々に会った彼女は私より一回り?以上歳が上で、不登校で全く勉強をしていなかった中学生の時代に、高校には進学できるくらいの学力を得たいと思っていたところ、週に一度家庭教師として2時間ほど勉強を教えてくれた当時のお店のお客さんで、無事高校に進学した後も1年に一度、または2,3年に一度会うような友人となってくれた。
精神的に未熟で不安定で柔らかい頃に、柔軟性がありながらも豊かに地に根を張り、自然な呼吸で生きる彼女を見ていて「ああ、こんな大人になりたい」と思える自分のいつまでも追いつくことのない素敵な人と知り合えたことは本当に財産で、ありがたいことだしとても恵まれた環境だなと改めて思ったりなどした。

ちなみに彼女とは結構縁があるようで、人間として魅力でフットワークも軽く体験型の知識を求め続ける人だから大体予定が詰まっているらしいんだけど、たまにふと思い出して「あ!あの人に会いたいから連絡しよ!」と思って連絡するとたまたまスケジュールが空いていたり、一度はたまにしかいかない登山の山頂付近でたまたま出会ったりして帰りにも遭遇したから一緒に温泉に入ったりなどした。高尾山でも筑波山でもなく、棒の折山で出会っているのがこれまた面白い。

縁が続くというのは巡りあわせだなと思うし、離れていくのもまたしかりである。

お題箱って本当にありがたくて!!!の話

さて今回は、はじめて届いたお題箱にお応えしてみようと思う。

まずは言わせてほしい。
ほんとうに~~~~~~ありがとうね~~~~とてもありがたいです、本当に(五体投地)
年末に向けてなんだかんだ仕事も私生活も忙しい中で全く本が読めずにどうしようかと思っているところにお題が来たもので、ありがたすぎてお題が届いて直ぐにマサちゃん(母)と妹(看護師)、そしてよく連絡している友人にまで「お題箱が来たんだよ~~~!」と報告をしてしまった。
いつでもなんでも気軽に、わたしを助けると思って、お題の投稿してくれたらうれしいです。よろしくね!

はい!ではお題に入ります。

マサちゃん(母)はね~~、とても不思議な人で、なんてお話すればいいんだろうかなと少し迷った。

わたしが真澄屋でちゃんと働き始めて丸5年ほど経ったわけで、その間大体1年のうち360日ぐらいは二人で働いているわけだが、知れば知るほど、不思議な人だなあって思うのが所感である。


いつだって長い余談の話

というのも、マサちゃんは思考も柔軟だし、物のとらえ方もなかなかに現代にアップデートされている(少々余談だけど、以前男友達が父親は昔の曲ばかり聞いているのに対して、母親は新しい曲をたくさん聞いている違いは何だろうという話をしていた時、以前の父親は結婚しても子どもが産まれても”変わらないこと”がステータスだったことに対して、母親は育児や介護により変化しなければいけないことが多かったから、ということの延長戦なんじゃないかなと思って面白かった。)し、これはどこからやってきた発想なのか気になったときに母になる以前の生活やらを聞いてみたりするんだけれど、秋田の実家そしてばあちゃん(マサちゃんの母)から受け継いだ考え方でもどうやらなさそうだぞ?となった。

だからといって、18歳で東京に出てきて就職して中央線沿いに住んでいたころに知り合ったウーマンリブなどの活動からすべてを新しく吸収して再構築した感じともちょっと違うっぽい。
長男を一人で産んで育てていた時期だって、しんどくなかったの?と聞いたら「え?全然?長男と2人だったら、今日朝どこでご飯食べよっか~~って言って喫茶店に行ってお互い好きなもの食べて、なんかしらして散歩とかしたもんで楽だったよ」という。
そ、そう~~

6人も子ども育てんの大変だったでしょというと「あたしは前世でとんでもなく悪いことをしたからそれの苦役で今世はこんなに大変なことしてんだわ~~」ともいう。(これを言われると妹は罰ゲームのように扱うなやといつも文句を言っていてかあいらしい)
へ、へえ~~

そもそも世の中の子どもは、親に対して「父・母」以外の一社会人としての側面を、一定時期に母には母になる前があって~~ということを自覚するタイミングがあるらしいんだけれど、我が家にはほとんどそれがなかったように思う。
いつだって、マサちゃんは「母」とは呼ばれながら一個人だったし、アチくんだって「父」と呼ばれながら一大人だった。
そしてわたしたち子どもに対しても「子ども」ではなく、一個人としてずっと接してくれていたので、両親である面と一個人の面に差異が存在しなかったのだ。
けれども「保護者」としては成人しても見守り続けてくれている。
でもそれってどんなに難しい事だろうね?!

マサちゃんが子育てで一番大切にしていたことの話

マサちゃん(母)は、いつだったか、お客さんと子育ての話をしているときに大事にしていたことを聞かれたとき、「私がしたのは子どもたちに兎に角いろんな人に会わせてあげることで、子どもたちはいろんな大人を見る事、いろんな人に触れることで自分が何が好きなのか、どういう人間になりたいのかを自分で選択していくようになるんだよ」と言っていた。

その言葉の通り、我が家はアチくんやマサちゃんの付き合いの中で一般家庭よりはいろんな人に触れることが多い中で育ち、様々な人と触れ合い、各々いろいろ感じ、思い、選択し、確固たる個人が出来上がっていったわけなんだよなあ、6人とも。

相手の選択を信頼して、見守る。転んだ時に手を出してくれる。いつでも「家」で、寄る辺であり続けているということを無理なくし続けるマサちゃんはまごうことなく変な人だし、愉快な人だし、尊敬すべき大人で、尊敬すべき魂なのであるんだよなあ。
でも一つ注意しておくことは、マサちゃんはべつに聖人ではない。
悪口も好きだし、人がミスしたり間抜けしたり失敗する話は世界で一番楽しそうな顔して笑うし、すぐ物事を忘れるので鍋もよく焦がしている。だけれど魅力的なことには変わりがないんだよなあ。


大体のことを肯定的に結果的に考えたいの話


そういえば、冒頭に出てきた友人とあれこれ近況を話しているときに「くるみちゃん(わたしの名前)って、どんなことが起きても最終的にまああれも必要だったんだよな~よかったよかった。ってなるから、いいよね。何が起きても良い方に転がっていくでしょ」と言われた時に、ん?そっか、それって普通じゃないんだ?ってなったのを思い出す。

わたしがマサちゃん(母)に教わった中で、たぶん芯から染みついている考え方は
”やってくる出来事はその都度、すべて自分が成長するために自分が乗り越えられる難易度の障害物である。”
ということである。
そしてこれに、
”過去の自分が選択したものはその時点での自分が考え抜いた最適だったんだよ。だから後の成長したり落ち着いた時点の自分がタラレバを考えたとて、それはそれ。反省はすれど、後悔はするな”
というものが組み合わされると、過去・そして現在に対しても、まあそういう流れの中にあるんだなと思うことが出来るようだった。

これらの考えは、「なんで自分ばっかりという苦悶」と「変えることのできない過去への執着」から意識を遠ざけるのに役立っていて、変えようのないことを変えたいと願うことはそれはそれで否定しないけれども、わたしにはあまり楽しくないし、そこに使える余力がないので基本的に事が起きても喉元過ぎれば熱さをまんまと忘れて健やかに日々を過ごせるようになる。
ありがたいことだな。


ところでアチくん(父)はわたしが真澄屋に入った当初、「マサとクルミがすぐ喧嘩して続かないんじゃないか」と危惧をしていたようだが、5年ほど一緒に働いていて喧嘩らしい喧嘩をしたのは一昨年に一度だけである。
しかも喧嘩の理由が、運動を始めて短いズボンをはいていた時私に対して、マサちゃんが「なんでそんな太い足出して…」と言ってきてそこから派生したもので、今考えてもしょうもない理由である。
マサちゃんとわたしの相性が良くて何よりだ。


私が産まれたときのマサちゃんの子育て日記の話

最近マサちゃんが昔に真澄屋の発行物のなかで書いていた「マサの子育て日誌」が掘り出されたので、ついでに私の産まれたときの日誌を載せておきますね。



次回予告の話

次回はちょっと面白すぎた本「生物から見た世界」の話をしようと思います~~!
よろしくね


何かしらあればこちらでも

いついかなる時も何を書こうか悩んでおりますので、なにがしらの質問や読んでほしい本などあればなんでもどうぞ!という気持ちで、お題箱おいておきます。よろしくね
なんでもどうぞ (@masumiya_kabu) | お題箱 (odaibako.net)


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