【cinema】或る終焉
6/5鑑賞。
観に行かねばならないと強く思わせられる予告編だったのですが、実際に観に行ってみて…。
辛い。ひたすら辛い。救いようのないストーリーで、誰も救われなくて。死から逃れようともがくこと、つまり生き抜くことは、終末期の患者にとって肉体的だけでなく精神的に大きな苦しみを伴う。死を受け容れるには当人だけではなく、彼らを取り巻く人々にとっても、それ相当の覚悟が必要で。そんなこんなを説明するには静かすぎる内容だけど、目を背けたくなるシーンも幾度もある。
そんな患者を専門に介護をする看護師のデイビッド。彼は幼い息子を癌で亡くした。何の説明もないけれど、彼は息子を薬か何かで安楽死させたか、延命治療を選ばず、その負い目から妻とは離婚し、娘ともはなればなれの生活を送る。彼は黙々と、献身的に介護をする。その日常の中にルーティンワークとしているのがジムや街中でのジョギングで、時折そのシーンが映し出されるが、そこで何か起こるわけではない。淡々と彼の一日が描かれる。ただし、赤の他人にも拘らず、彼は患者に、必要以上に関わろうとする。時には患者の旦那や弟になりすまして。彼らの気持ちを推し量ろうとしての行動ではなく、かと言ってサイコなわけでもない。
原題は「chronic」。「慢性的な」。終末期の患者たちの様を表しているのは勿論だけど、彼の精神は息子の死後、静かに、ゆるやかに蝕まれていった、ということを意味するんだろうか。
そして、ラスト。それ、必要でしたか?私はデイビッドが淡々とジョギングするシーンで終わらせとけばいいのにって思ったんです。終末期の患者や手足の不自由な人の世話をしながら、ストイックに身体を鍛える彼の存在って一体何だったんだろう。あのラストは今でも合点がいかない。
死を迎える準備を、細々と、いつ終焉を迎えるかもわからず、自分の力ではどうすることもできずにいる終末期の患者と、一方で肉体を鍛え上げ、自分で何でもでき、他人の余生にも介入せざるを得ない仕事を生業とするデイビッドの最期の瞬間。この対比がこの作品の見どころ、なんだろうか。
こんな映画を誕生日に観に行き、何だかモヤモヤしながら帰途についたわけだけど、それはそれでよかったのかなと思いました。
何となくラストに既視感があって、思い起こしてみると、イギリス映画「おみおくりの作法」でした。あれは突然最後にファンタジックになってある意味救われるけれど、これは救われないストーリーです。精神状態が万全の時にご覧ください。