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リトアニアは忘れない。

エミリヤ、自由への闘い」リトアニア🇱🇹

1972年春、ソビエト連邦支配下のリトアニア第2の都市カウナスでは、若者が抗議行動を繰り広げている。子供時代の秘密を抱えて故郷を後にしたエミリヤは、共産主義体制への忠誠と自由を求める心とに引き裂かれつつ、女優を目指して舞台に立ち、やがて抵抗の象徴的存在となっていく。(イベント公式サイトより転記)

この物語は、レビューを書き連ねるには、なんだかとても難しくて、日本人には特にちんぷんかんぷんなところもあると思う。

エミリヤが舞台女優として演じる役と、エミリヤの過去と現在とが混在して、私も理解するのに時間を要した。

全てを理解するための受け皿なんて、到底無くて、ただ観客は、エミリヤの壮絶な過去、大人になってからもそれに囚われながら、自らの思想を貫く様を目の当たりにし、ひたすら苦しくなるばかりで。

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私は5年前にバルト三国をそれぞれ数日間ずつ旅しました。どれも首都しか行けなかったけれど、何となく、特にリトアニア、ラトビアは、"嫌露"感が漂っていたと感じたのです。

行ったところがそういうところだったからかもしれません。

ゲディミナス城は中世リトアニアの要塞でしたが、ヴィリニュスの街を一望でき、今ではリトアニアの歴史博物館のようになっていて、そこに展示されていた写真が、ソ連支配に抗議する人々の「バルトの道」のもので、私にはそれがかなり印象に残っていて。

1989年。リトアニアからエストニア、距離にして約600㎞。バルト三国間に200万人もの人々が手を繋ぎあって、鎖のようになり、ソ連支配に対して抗議をしたのがそれです。

私が訪れた時にリトアニアの首都ヴィリニュスで何があったかというと、市民マラソンと地元のフェスみたいなのがあったくらいで、全然この映画の内容にかすりもしないんですが、何でなんでしょうね。

天候のせいだったのかもしれない。リトアニア、ラトビア、エストニア、どの国も曇天、雨天が多く、エストニアでやっと晴れ間がのぞいたというのもあるのかも。

いや、それでもです。この映画では、強く強く当時の体制を批判していて、エミリヤ自体が、リトアニア国そのものを体現していたんだと思います。

どんなに苦しい目に遭っても屈することなく、時に周りに翻弄され、弱い面を見せつつも誰よりも強い意志でもって闘う姿勢を貫く女性…。

この映画を作ることの意味は、そういうことなんだなと。

幼き頃に、反体制派だった父が嬲り殺されたのを目の当たりにし、唯一の形見である父の詩は、実は自分を執拗に追い回すKGBの男が書いたものであった。父の仲間だった彼も時代の犠牲者だった…。

辛い過去が幾度となくフラッシュバックし、観客はいたたまれない気持ちになります。

見てみてよ、と気軽に言えるストーリーではありませんが、リトアニアに興味のある方、ソ連時代に支配されていた小国の苦しい歴史を垣間見たい方は、見てもらえたらと思います。

しかし、どこかで見れる環境はあるのだろうか。

今でもバルト三国は、一瞬でロシアに支配されようと思えばされてしまう位置、環境にあり、NATOとロシアの攻防はものすごいという記事も読んだことがあります。

彼らの闘いは終わったわけではなく、今も続いているということなんでしょう。そのための映画でもあるのかなと思いました。

2018年64本目。EUフィルムデーズ。京都文化博物館にて。

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