20年ぶりに行ってみた。
今日は仕事が休みだったので、ランチ後、昔住んでいた場所、通っていた幼稚園、小学校、中学校へ行ってみようと思いたち、散歩がてらにぶらぶらと歩いてみた。土日だって行けるけど、学校に子供たちがいる時がよかったので。
昔住んでいた場所、そこは父の勤務先の某大手都市銀行の社宅で、私がいた頃はそれはそれは賑わっていた。いつも誰かが外に出て走り回り、遊び場所も十分あったし、母親たちも井戸端会議に勤しんでいる思い出しかない。
久々に訪れたそこは、もう別の場所になっていた。住民はごく僅かだし、多分もうその会社の所有物ではなくなっている。
すべり台はこんなにきれいじゃなかったし、砂場はこんなビニールシートは張られていなかった。鉄棒だけが相変わらずそのままだった。もうほとんどがもぬけの殻の共同住宅。ここで、私は育った。阪神大震災も経験した。
あとはひたすら自分が通っていた通学路を歩いてみた。畑だった場所には家が立ち並び、なかったはずの場所にマンションやアパートがひしめく。何だか無性に哀しくなった。
それでも懐かしさを感じたのは、多分住んでいる人も変わっていないと思われる庭先にあるハクモクレンの木を見つけた時。
子供心に、私はこの木がとても好きで、毎年花を咲かせるのをいつも楽しみにしていた。
昔通っていた書道教室や、公民館。学校専用のノートなどが売っている文具店がまだあるのには正直驚いた。変わらない場所もある。
小学校の運動場も変わっていた。ジャングルジムはなくなり、学童保育の建物が建っていた。なわとび広場と呼ばれたスペースには震災後からずっと仮設の教室が建ったままだ。
幼稚園は、私が通っていた頃より随分と大きくなり、正門の場所が変わっていた。私の住む街は、転勤族が多いのもあるし、わりと人気居住区のため、児童数も増えているからだろう。
中学校は今日が卒業式だったようで、卒業証書を持った男子生徒の集団や、「〇〇先輩へ」と大きく書かれた色紙を持った女の子が帰っていく姿を見かけた。制服は名札まで含めて、当時と全く変わっていなかった。
20年ぶりに訪れた場所は、様変わりしていて、懐かしさよりも自分が異邦人になったような気がしないでもなかった。けれど、ほとんど迷わずに歩いて行けた。迷路のようだった通学路は、立ち並ぶ家々の様相は変わっていても、道自体は何ら変わりなかった。
何で行きたいと思ったのか、未だによくわからないけれど、何か意味があるんだと思う。また訪れようとするには、気力が必要だけど、ポカポカとした陽気の中、たまには、こんな休日の過ごし方もいいのかな。
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