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【cinema】静かなる叫び

2017年10本目。
※都合上、結末がわかるレビューです。記憶しておきたいため。

全編モノクロでの本作は、1989年にカナダはモントリオール理工科大学で起きた銃乱射事件を基にしたフィクションとのこと。銃乱射事件といえば、アメリカのコロンバイン高校のが有名だけど、こっちの方が先なんだね。全く知りませんでした。まぁ私は当時小学生だったし、まだそんなニュースもちゃんと見てなかったからかな…。

事件は、極度のフェミニスト嫌いの男が、自分の人生はフェミニストの女たちによってダメにされたと思い込み、理工科大学にて、女子学生だけを狙って銃で撃ったもの。犠牲者は14人、全員女性、そして自分もその場で自殺を図って死にました。

この物語は、その犯人と、撃たれて奇跡的に助かった女子生徒ヴァレリーと、彼女の友達で自分は男だったから助かった、同じ教室に居合わせたジャン=フランソワの3人の視点から描かれています。

犯人がなぜフェミニストに人生を台無しにされたかは語られないけれども、多分就きたかった職種やなりたかったものになれない理由を誰かのせいにしたかったから。その矛先が、女性だった。逆恨みとか憎悪って、人の心の奥深くに蔓延って、増幅させるのはこんなにも容易いんだと改めて思う。これは、全てにおいて言えることで、宗教や政治的思想、価値観、観念の違いって、本当に憎悪を招きやすい。作中、淡々と犯人の独白が流れるけれど、彼の目に宿った憎悪の炎はモノクロなのと、雪深い風景で、ちょうどかき消された感があり、実際は相当なものだったんだろうなと。その見せ方が巧いなぁと思いました。

また、生き残った女性の1人、ヴァレリーは機械工学専攻で、将来は航空機のエンジニア志望。事件当日は、そのインターンの面接があり、キャリアのためには、子供を産まないとまで言って、その座を得た背景がある。男性社会の中で、女が勝ち抜いていくには、今よりもずっと生きにくく、自分たちで切り拓いていかなければならなかった時代。犯人の身勝手な言い分で、彼女のような女性たちの未来が、夢半ばで途絶えてしまった。「女だから。女の特権を使いやがって。都合のいい時だけ主張しやがって」事件から30年近く経った今でも、そんな考え方は根強く残っていたりするし、憎悪は一瞬にして湧き起こるけど、完璧に消し去ることはできないと改めて思いました。

そんな中で、ヴァレリーが最後に、犯人の母親に向けてしたためる手紙の独白は希望でもあります。新たな命を授かることで、愛に満ち溢れて、縛られていた憎悪から解き放たれようとしている彼女の姿に幾分か救われました。

とはいえ、もっと救えた命があるかもしれない、自分はあの教室に残るべきだったと最後まで罪悪感に苛まれたジャン=フランソワのその後は、とても悲しくてやりきれない。彼一人が負うべきではない責任や重圧に押しつぶされてしまった。きっと、誰が声をかけてもダメだったんだと思う。

77分という短い上映時間ながら、3人の日常が交錯し、時系列も前後して、ただひたすら銃撃のシーンは目も耳も塞ぎたくなるばかりだけど、何かこれは忘れたら駄目な事実が詰め込まれた映画だなと思いました。

ドゥニ・ヴィルヌーヴの作品は、これからもずっと追っていきたいです。

それにしても邦題の「静かなる叫び」はインパクトが薄い。作中の何を表しているでもなく、抽象的すぎる。原題は「Polytechnique」。なかなか直訳だけだと難しいけど、まだ理工科大事件をタイトルとして持ってくる方が、インパクトはあったのかなと思いました。

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