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サキュバスと老人(後編)

俺はカウンター席に座り、年季の入った机を撫でる。ここのバーも1つ1つの置物や絵に温もりが宿ってなんとも優しい空間だ。

この鯉夏という名のバーテンダーは、また麗奈とは違ったタイプの美人で、なんだかこの世の者ではないような不思議な雰囲気を醸し出している。彼女はシェイカーを振り終わると俺の前にカクテルを置き、優しく微笑んだ。
鯉夏「ベルベットハンマー。堂島さんにぴったりのカクテルだよ」
見たことのないカクテルだ。早速一口頂くと、甘いクリームと強いアルコールが五臓六腑に染み渡る。

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堂島「カアア!甘くて燃えるような…これが鯉夏の味か」
鯉夏「少しカルーアミルクに似ているだろう?」
堂島「でもこれがどうして俺にぴったりなの?」
鯉夏「ベルベットハンマーのカクテル言葉は、「今宵もあなたを想う」なんだ」
こやつ、俺を口説いているのか?胸が高まる脈拍高まる。
鯉夏「堂島さんは毎晩のように大事な人を想っているからね」
なんだ、俺のことかい。口説きじゃないのかい。
堂島「まあねえ、毎晩口説いてる人はいるんだけどねえ。なかなか振り向いてくれないんだよ。最近は旅行にも一緒に行ってくれなくなったし」
鯉夏「わざとじゃないかな。麗奈さんは気づいてしまったんだと思うな」
堂島「ん?気づいたって?」
鯉夏「堂島さんが旅行に行く理由に」
俺は一瞬言葉に詰まった。この不思議な女は俺のことをどこまで知っているんだ?
というかなんで知ってるんだ…?
鯉夏「聞かせてください。アルバムの話」
一緒に出されたチェイサーの氷が溶けて、カランと音がした。
それとともに、3年前のあの日の記憶が頭の中に蘇る。


あの頃の俺は、ソファに腰掛けて息を吸って吐いて。それだけで一日を終わらせていた。
早送りができるのなら5倍速で死へゴールしたいとさえ思っていた。俺には生きている理由がなかったのだ…。
しかしある日、俺の部屋の棚から見たことのないアルバムを見つけた。
広げてみると、妻と旅行に行った時の写真が収められていた。違う場所で撮った11枚の写真には番号と地名が書かれていた。

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懐かしいなあと思ってページを捲ると、最後のページに短い文章が載っていた。
「生きていれば美しい景色を見ることができます。死ぬまでにもう一度、恋人を連れて愛おしい日本の風景を私の代わりに見てください」

枯渇していた肌の下で、ゆっくりと血が巡り始めた。
俺は久しぶりにカーテンを開けて窓の外を見た。明るい日差しが住宅街を照らし、スズメたちが身を寄せ合っている。

秘書の菅原を呼びつけ、早速相談してみた。
菅原は目を丸くして答えた。
菅原「恋人を作りたい…ですか?」
俺が頷くと、菅原はついにボケてしまったか?という顔で眉を顰めた。
堂島「どうすれば作れるか?できればセクシーでボインな女が良いのだが…」
菅原は憐れむような目で俺を見た。ボケを通り越し、とうとう気が狂ったとでも思ったのだろうか。
菅原「まあでも、恋をすることは良いことだと思います。こうして会長が外に出てきてくれるのも嬉しいことですし…」
菅原は腕を組むと顔をぐしゃんと縮めて、困ったようにうーんとうなってみせた。
すると何かを思いついたように菅原は「あ」と声を出すと、ドヤ顔で俺を見る。
菅原「銀座のクラブはどうですか?女性の教養も高いし、品もある。何より客層の年齢が高い」
一縷の希望が俺の心を照らす。
堂島「恋人できるかなあ?」
菅原「お金があればワンチャンあるかもですよ!」
堂島「俺もまだまだいけるかなあ」
菅原「いけますとも!」
堂島「…よし!いざ銀座に出陣だ!夜の暴れん坊将軍に俺はなる!!」
菅原「いやあ嬉しいな!会長が元気になってくれて!そして僕も銀座のクラブに行けるなんて最高かよ〜」
俺と菅原は心躍って、ついでにその場で小踊りもした。
そして早速友人に紹介を頼み、日本一の華の都へ駆け出して行ったのだった。


鯉夏さんにそんな話をしていると、それを楽しそうな顔で聞くものだから、俺はついついお酒が進んでしまって。甘い香りが胃に入ってまろやかに広がると、熱いリキュールが立ち登り、鼻息となって吹き抜ける。
堂島「そこで出会ったのが、麗奈だったんだ。一目惚れだったよ。まさにサキュバス。妖艶な悪魔さ」
鯉夏「とても聡明な人だね。想像力も深くて次が読める人なんじゃないかな」
堂島「だろう?でもなぜか菅原は麗奈を警戒視してるんだよ」
鯉夏「悪魔のサキュバスに堂島さんの魂が吸い取られてしまうやもと思ったのかもねえ」
堂島「吸い取れ吸い取れ!鯉夏もいつでも俺を吸っていいんだぞ?」
鯉夏「あはは!あっぱれだね。皆このくらい元気なら日本はもっと明るくなるね」
鯉夏はクスクスと肩を揺らして笑う。

あれ?一体どこまで俺は話したんだっけ?でもどうでもいいや。だってなんかいい感じじゃない今。麗奈には申し訳ないが俺は鯉夏にも特攻するぞ〜。
鯉夏「でも、堂島さんはアルバムの景色を好きな人と一緒に見に行ってる。きえさんの願いをちゃんと叶えているんだね」
俺は不意をつかれて固まった。でも心の闇や壁を溶かすような鯉夏の笑みは、俺の全てを包み込んでくれる気がした。
堂島「…そうだねえ。妻が残したアルバムの順番通りに回っているよ」
鯉夏「堂島さんは、きえさんとの思い出の旅をしているんだね」
きえは竹田城跡に行った後、病気との戦いの末、息を引き取った。
それが3年前。


若い頃、俺ときえは大恋愛をして、駆け落ちをしてまで結婚した。俺にとって、きえは生きる全てだった。
アルバムを残したのは、きっときえを失ってしまうとどう生きていけばいいかわからなくなった俺に、生きるための課題を残してくれたんだろう。俺はそう思っている。
きえとの思い出を辿るように、俺は旅をした。切なくなる時は、そばに麗奈がいてくれて無言のまま微笑んでくれていた。

楽しかった。

人生の終盤に俺は日本の美しい景色を見て、まだこれを見ていたい、まだ生きていたいと思えたのだから。


鯉夏「麗奈さんが竹田城跡への旅行を渋るのは、それが最後の旅だとわかったからだと思うな」
堂島「どうして麗奈はわかったのかな?何も言ってないのに…」
鯉夏が天井から吊るされている紐を引っ張っると、上から本棚が降りてきた。鯉夏はその一冊を手にとり、カウンターでひろげた。
それはきえのアルバムだった。どうしてここにあるのか、とても不思議だったが鯉夏は当然のように落ち着いた口調で話す。
鯉夏「1の番号はわき街。2は高千穂峡…」
鯉夏はページをめくりながら番号と観光地を述べる。そして最後の竹田城跡を指すと、そのみずみずしい瞳で俺を見る。
鯉夏「順番通り観光地の頭文字を合わせると、わたしは しあわせでした、になるんだ」
堂島「え…」
鯉夏「これはきえさんからのメッセージ。麗奈さんは、きっとこれに気がついた。この旅が終わると、もしかしたら堂島さんがいなくなってしまうかもと思ったのかもしれないね。まだ生きていて欲しい、そう思ってるはずだよ」
じんわりと胸が熱くなって、俺は声を出せなくなった。そのせいなのか、歳のせいなのか、喉の奥が震えてうまく言葉が出ないのだ。
俺は誤魔化すように酒を飲む。

ベルベットハンマーは甘く、切なく、俺を酔わせる。
すると鯉夏さんは俺の前に手を出した。
鯉夏「なので、ポケットに入ってるそのチケット、私にください」
堂島「え?」
俺はスーツの右ポケットに手を突っ込む。すると、見たこともない黄金色をした電車の切符が入っていた。そこには「銀座のクラブ→銀河行き」と書かれている。
堂島「これは…?」
鯉夏「銀河鉄道の切符さ。ほら、窓から見えるだろう?」
堂島「銀河鉄道…?」
カウンターの大きな窓の外には満天の星の中、銀河鉄道が上へ向かって走っている。
俺は驚いてしばらくその光景をひたすら眺めていた。そのうち鯉夏は俺の手からスッと切符を抜くと、破いてしまった。

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鯉夏「まだ早い。竹田城跡を見るまでもう少し楽しみなさいと、きえさんからメッセージを預かっているんだ」
堂島「きえから?」
彼女はそういうとにっこりと微笑んだ。




気がつくと、白い空間に囲まれていた。
心地の良い風が俺の頬をくすぐり、微かにエタノールの匂いがする。
視界の隅には菅原がチラリと見えた。目玉が飛び出そうなほど目を見開きこちらを見ている。
菅原「会長…」
その目はじわりじわりと水っけを帯びていき、菅原はゆらりと椅子から立ち上がる。
ああ、これ抱きついてきちゃうやつかな?ちょっと嬉しくないんだけど…。
と思った時、ふわりとラベンダーのいい香りが俺を包み込んだ。
ふと、胸を見ると麗奈が俺を抱きしめている。
麗奈「よかった…よかった…」
俺はじわじわと生きている実感を取り戻した。この状況の方が夢見心地だが、俺は確かに生きている。麗奈の胸の鼓動が温かい。ああ、俺は、生きている。


退院してから数週間経った時、麗奈と竹田城跡へ行った。
車椅子移動だったからとても大変だったが菅原の協力もあり、無事に辿り着くことができた。
雲海の中に浮かぶ城跡はまるでこの世のものとは思えない絶景だ。

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昔きえときた時、彼女は両手を広げ、思いっきり空を仰いだ。
あまりにも幻想的だったから、きえはそのまま天へ行ってしまうのではないかと俺は急に恐ろしくなった。しかし、こうして再度この景色を見ると、口では表現できないほどに美しく、俺の人生や全ての出会いがとても尊く感じた。
気づいたら、俺の目からはなぜか涙が滴り落ちていた。
麗奈はいつものように何も言わず、微笑みながら俺を見る。
きえ、聞こえているか?雲海の向こう側から俺の姿が見えているか?


堂島「俺も、幸せでした」


この声が、届いていますか?
俺は今宵も、あなたを想います。



*エピローグ


竹田城跡に行った数日後、堂島さんは銀河鉄道に乗ったみたいだよ。
今頃きえさんと合流できてるんじゃないかな。

そうそう、余談だけれど、堂島さんのお葬式が昨日あってね。
お葬式で遺言書を朗読するよう、菅原さんに頼んであったらしいんだ。
その光景を少し録画してみたんだ。この年季の入った古いカメラでね。
少しみてみるかい?



随分と広い葬式場に、たくさんの人がハンカチで涙を拭いながら席に腰掛けているね。
麗奈さんは部屋の後ろで、席に座らずに立っている。前方ではマイクを前に緊張している菅原さんがいる。おっと、遺言書を読む時間が始まったね。
菅原「誠に恐れ入りながら、故堂島ヒデアキの意思としてここで遺言書を私が読ませて頂きます。僕も初めて開くので、とても緊張しています…」
会場の空気が一変した。涙を拭っていた人たちが、急にキリッと顔をあげて耳をそば立てる。
菅原「みんな、元気?とりあえず俺の財産についてみんな気になってると思うから端的に言うね」
静まり返る中、菅原さんはひと呼吸して続けたよ。
菅原「法律通りで行いなさい」
前列で、あれは息子さんかな?それらしき人が小さくガッツポーズをした。そういえばお見舞いにもきていなかったみたいだよ。詮索するのは嫌だけど、あの人は本当に血が繋がってるのだろうか?


菅原「そして次に、俺の死に方。残念ながら麗奈と腹上死はできなかった。見栄を張って腹上死と言いたかったのだけど、俺の息子は瀕死のガリア人だからな」
会場がざわつくいたよ。そりゃざわつくよねえ。
菅原「だけど、俺は最後まで幸せだった。それはずっとそばにいてくれた麗奈と、菅原がいたからだ。俺の感謝はその2人にある。深くお礼を言いたい。これを聞いている俺の古き友よ、愛おしき家族よ、どうか2人に温かくしてほしい。…会長、ぐすん…」


さっきまで張り詰めていた空気が、なんだか緩んでしまった。
まあ次の言葉を言うまではね…。
菅原「だから、俺は1つ別で遺産を残すことにした。俺はアルバムを作ったのだ。そのアルバムには番号が振られており、俺と麗奈が旅をした写真が収まっている。順番通りに旅行して1番早く、俺の意図を解いた者に遺産を渡すとしよう。さあ、誰が一番早く解けるかな〜あはは…あはは…」
麗奈さんがいち早く会場を飛び出し走り出した。それを追うように、前席に座っていた息子が走り出す。
菅原さんもマイクを放り出し「僕が頂く〜!」と言って走り出した。
会場の人たちが我よ我よと一斉に立ち上がり、会場内は大混乱。

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いやあ、皆すごいね、目の色が欲まみれだよ。

きっと堂島さんはきえさんと一緒に天国でこの大乱闘を観察しているんだろうね。


麗奈さんに至ってはとっても興味深い人だね。実は彼女のお話もまた後日。

さて、今日はこの辺で。また来週飲みませう♪



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